真冬のブリュッセルの寒さは厳しかった。おまけに12月の暴風雨にみまわれた空港はかなりの荒れ模様。
皇太子夫妻はタラップから降りる時、あまりの寒さと風に、身を震わせる。
それでもマサコが珍しく上機嫌だったのは、空港に迎えに来ていたのがブラバント公フィリップだったから。
明日、結婚するフィリップ王太子自らが迎えに来ているという事実は、マサコの自尊心を大いに満足させた。
マサコはこの、背がたかくてハンサムな王子がとても好きだった。
どうかして自分の夫と変われないものかと思う程に。フィリップの笑顔の素晴らしさ、女性を喜ばせるしぐさの
一つ一つが好ましい。
生き生きとフィリップに話しかける妻に、皇太子は嬉しそうに笑った。
下手したらコキュにされそうな勢いなのに、そもそも世間知らずの皇太子にはそんな疑いは微塵もないのだった。
かつて、ベルギーには「ベルギーの薔薇」と呼ばれた王女がいた。名をステファニーという。
「薔薇」と言われたのは、その美しさというよりは国民の「愛情と親愛」の証そのものだったのだが。
ステファニーには兄がいたが、早世し、以来、両親の仲は悪く、母はひきこもり、父は高圧的な態度で臨んだ。
ステファニーはあまり美人ではなかったけれど、綺麗な金髪を持ち、健康的に太っていて、さらに熱心なカトリック
信者で、真面目が取り柄の娘に成長した。
そんな彼女に縁談が持ち上がった。
相手はヨーロッパ一家柄がよく、美しいプリンス。ハプスブルク家のルドルフ皇太子である。
ベルギー王室とハプスブルク家の繋がりは強く、ステファニーの母はハンガリー副王の娘であったし、
王の妹はフランツ・ヨーゼフ一世の弟に嫁いでいた。
ルドルフ皇太子は、いつも美しい母を見慣れているせいなのか、やたら平凡なステファニーに却って興味を
そそられ、お見合い後、一発で結婚を承諾。
「二人は合わない」と反対していた皇后をも説き伏せた。
そしてステファニー・フォン・ベルギエンはフランス語圏のベルギーからドイツ語圏のオーストリアに輿入れしたのだった。
真面目で努力家であった皇太子妃はすぐにドイツ語を覚え、毎朝の礼拝には欠かさず出席し、公務にも意欲的。
皇帝も非常に嫁を可愛がった。
しかし、姑の皇后は彼女を「とうもろこし頭みたい」「美人じゃないのが許せない」「太ってるわね」と
宮殿の中で堂々と罵倒する。
教会が嫌いだった皇后に比べ、信仰心が篤い皇太子妃。公務せずに旅ばかりの皇后に比べ、仕事はきっちりとこなす
皇太子妃。しかし、いかんせん、外国人の弱さなのか、宮廷では孤立の度合いを深めていく。
ステファニーが宮廷で孤立した最大の原因は、夫、ルドルフの死である。
ルドルフがステファニーに関心を抱いたのは結婚後1年ちょっと。その後は娼婦やら例のマリー・ベッツウェラとの
浮気が公然の秘密になっていた。
二人の間にはエリザベート王女が生まれたが、ステファニーはルドルフに性病を移されて不妊の体に。
思い余って離婚しようにも、父のベルギー王は「お前がルドルフの心を掴まないから悪い」と取り合わず。
そんなこんなでルドルフがマリー・ベッツェラと死ぬと、宮廷では皇后が「あなたのせいよ」とステファニーを責め
生涯彼女を許さなかった。
ハプスブルク家は女子にも皇位継承権はあるが、基本は男子のみの継承であったから、皇帝は甥の
フランツ・フェルディナンド大公を後継ぎに。
世継ぎの母ですらないステファニーではあったが、「帰ってくるな」と父王にも言われ、身の置き所がなくなった。
それでもステファニーは皇帝の庇護の下、「元皇太子妃」として宮廷にいるしかなく、回りの貴族たちの心無い
噂や中傷を避けてマディラ島に静養に出たりもした。
彼女が、ハンガリーの貴族と出会うのはちょうどそのころ。彼は年下でしかもハンガリー人。
伯爵の家柄を持つとはいえ、プロテスタントの家系。
二人の結婚には沢山の障害が・・・・ただでさえ、ハプスブルク家ではフランツ・フェルディナンド大公が
「ゾフィー・ホテク」という身分の低い女性との結婚を譲らず、結果、「貴賤結婚」として認めるものの、ゾフィは
「夫人」であって「妃」ではない。それゆえに宮廷での地位はいつも最下位。
そんな妻を何とか喜ばせようと、フランツ・フェルディナンドはサラエボ行きを決意。
テロで危ないと言われているサラエボ。でもそこへ行けば、「ゾフィを皇太子妃として扱う」約束がなされていたから。
しかし、結果的にはそれで命を落とす。
ステファニーはこの機を逃さずに皇帝に「皇籍離脱」と「再婚」を打ち明ける。
ステファニーを憐れに思った皇帝はハンガリー貴族がカトリックに改宗する事で結婚を許し、ベルギー王女の資格を
はく奪するーーと息巻くベルギー王を説得し、財産権等はそのまま、再婚に踏み切る。
そのステファニーの消息はわからない。娘・エリザベートは皇帝のおひざ元に残され、身分が違うのでなかなか
会う事は出来なかったし、母と娘の確執も色々あったようだ。
でも、19年の長いハプスブルク家の皇族としての生活より、その後の一伯爵夫人としての人生の方が
幸せであったと思われる。
真面目で信仰心が篤かったプリンセスをハプスブルク家は大事にしようとしなかった。ハプスブルク家は第一次
世界大戦で敗れ、600年の歴史に幕を下ろした。
彼女がもし皇子を産んでいたら、オーストリアの歴史も変わったかもしれない。
ベルギー王室と日本の皇室の密接な友情は、前国王、ボードワン一世の頃から始まる。
先帝、そして今上らがはぐくんで来た王室と皇室の「友情」
とりわけ皇后とファビオラ妃は仲がよく、例の「皇后バッシング」の時も真っ先に慰めてくれたのだった。
そして現国王、アルベール2世とパオラ妃も先例に従い、皇室に一目置くようになる。
ファビオラ妃もパオラ妃も、日本の皇太子妃がハーバード大の才媛だったという話は聞いている。
でも、それゆえに自我が強く、なかなか皇室の空気に馴染めない事も。
だから、結婚式前夜の夕食会は、日本から来た新しい妃の品定めの場になる筈だった。
部屋に集まったのは国王夫妻、前国王妃ファビオラ妃、ブラバント公フィリップ、妹のアストリッド王女、弟のロラン王子。
アストリッド王女はマサコの一歳年上で、すにでオーストリア・エステ大公妃であり、ベルギー赤十字の総裁だった。
オーストリア・エステ大公とはハプスブルク家で、いわゆる最後の皇帝カール1世の孫の家系。
アストリッド王女はベルギーの王女であり、オーストリア・エステ大公妃でもあるのだ。
彼女は夫の大公と長男のアメデォ・ド・ベルジックを同伴していた。
アメデオは若いながらに将来のエステ大公として一目置かれている。
ロラン王子はマサコと同い年だった。
フィリップはオックスフィー大学トリニティカレッジを卒業。マサコの大好きな高学歴である。
そして妃になる予定のマティルドはダコ伯爵家の令嬢にて、母方はポーランド貴族出身。
フランス語、オランダ語、英語、イタリア語を話、ルーブル・カトリック大学で学び言語聴覚士の資格を持つ
働く女性でもある。
いわゆる、家柄も血筋もピカ一の家族に囲まれたわけだ。
エステ大公夫妻の紹介ついでに、何となく前述のステファニーの話になったのだが、マサコにはさっぱり
意味がわからなかった。
「エリザベートはね、自分より家柄のいい家の娘を娶るのが嫌だったのよ」とファヴィオラ妃が言えば
「エリザベート皇后はヴッテルスバッハ家でしょう?」と小さなアメデオが言う。
「確かに。ヴィッテルスバッハ家は名門中の名門よ。でもエリザベートが生まれたマックス公爵家は分家の分家。
ベルギー王室と比べたら・・・ねえ」
「そうだ。わが王家はヴィッテルスバッハの分家ごときには・・・」
「性格も合わなかったのよ。今思えばエリザベートって拒食症だったんじゃない?皇室には自由がないとか言って
国民の税金を使って旅から旅へ旅行三昧。しきたりを守るとか、伝統を継承するとかいう事に意義を見出せなかったのよ。
その気持ち、私もわかるわ。でも私達は生まれた時代が悪いわね。今、同じ事をしたら王室はほろぶもの」
にこやかなエステ大公妃の目線に、マサコはわけがわからないままにっこりと笑った。
一応、こちらに来る前にベルギー王室の成りたちは習って来ている。
誰それが誰それと結婚してどうのこうのというのも。でも、どの血筋が一番よくて悪いというレベルがわからないのだ。
天皇家というのが世界最古の家柄で一貫して男系男子で繋いでいるという意義も。
いくらファビオラ妃やパオラ妃が褒めた立ててくれても、隣にいる皇太子が誇らしげに頷いても、マサコは
ただただ「はあ・・そうなんですか」としか言いようがなく。
宮殿内のプライベートな居室は、マサコ好みに作られていた。
大きな暖炉、ふかふかのソファ、きらめくシャンデリア、大理石と金・銀に彩られた家具の数々。
(私、断然こっちの方が趣味だわ)とマサコは思った。
東宮御所を初めて訪れた時、「皇室のくせに何でこんなに地味なの」と思った事を思い出した。
日本の一般家屋に比べたら広いし、部屋数も半端じゃないし、絨毯1枚にしても職人の手による
技術の粋が集められているものだったのだが、マサコには殺風景な部屋にしか見えなかったのだ。
それでも母のユミコは、調度品を見に来て「これ、いくらくらいかしら」などと面白がっていたけれど、自分には
興味がないと思った。
それに比べてこの部屋は何とゴージャスなんだろうか。
いわゆるハイソな一家の中にいるという自尊心がマサコを喜びに震わせた。
「だけど、レオポルド2世だってひどい父親だわ。娘が不幸になるのを黙ってみてたなんて。ああ、そういう血が
お父様やお兄様にも流れているのね」
エステ大公妃のからかいにブラバント公は苦笑いする。
「勘弁して欲しいなあ。僕はマティルドを大事にするし、娘が生まれたらそりゃあ目に入れても痛くない程愛しますよ」
「わが愛しい娘よ。私がいつお前にあんな冷たい態度を?」
「でもね、王室を守る為には時には非道になるものですよ」
ファビオラ妃が釘をさす。
「父親としての立場と国王としての立場は違いますからね。まして、当時は国王が統治していたわけだし。
そういえば、日本の皇室では外国人との結婚はないの?」
その問いに、皇太子はちょっと口ごもった。
「え・・・と。大昔に百済の高野新笠という人が天皇と結婚した事はあります。百済とは今の韓国です」
「じゃあ、あなたには韓国人の血が混じっているという事?」
「そうなんでしょうか。陛下は「ゆかり」を感じるとおっしゃってますが。それから戦前、韓国の李王室に
梨本宮方子というプリンセスが嫁ぎました」
「マサコ?まあ、あなたと同じね」
パオラ妃が興味深そうに言った。
「それで、その方はどうなったの?」
「え・・・と。韓国は当時、日本に併合されていましたから、李皇太子と方子妃は日本で暮らしていたんです。
皇族としての待遇を受けていました。戦後、韓国に戻ったんですが王室はほろんでしまって。皇太子は
そのまま死去。方子妃は一般人になって韓国の福祉に力を注いだそうです」
「素晴らしいわ」とファビオラ妃は言った。しかし、皇太子は複雑な表情だ。それもその筈、
李方子の母、梨本宮妃伊都子こそ、母・ミチコの入内に最後の最後まで反対した人物なのだから。
結婚式の当日、日記に「日本ももうだめだと思った」という言葉が残っているほどに。
「ねえ、マサコ。あなたの事を知りたいわ」
エステ大公妃が促し、マサコはちょっと得意そうに言った。
「私はハーバードで学びました。外国にいる事が多かったので・・・」と。
それを聞いた女性陣はみな、一様にくすっと笑ったようだった。
「あなたの英語はハーバード仕込みなの?」
「ええ。ハーバードは世界屈指の大学ですから」
小さなアメデオは「ハーバードってアメリカにあるんでしょう?」と聞く。
「ええ。アメリカです。でも、私、オックスフォードにもいましたのよ」
「すごいわね。お勉強が大変できるのね」
ファビオラ妃は冷静な視線を向けた。
「ご趣味は何?」
趣味と聞かれてマサコはちょっと戸惑った。今まで自分にこれといった趣味があったろうか。
自分的には仕事にまい進する日々で趣味にうつつを抜かしている暇はなかったし・・・
「スキー・・・です」
「スキーが御得意なの?スポーツマンでいらっしゃるのね」
「じゃあ、乗馬は?乗馬はなさる?」
エステ大公妃が身を乗り出した。マサコはいとも簡単に「乗馬はしません」と答えたが、それで場の空気が
微妙になった事にはまだ気づいていなかった。
「音楽はお好き?読書は?私、以前、源氏物語を読みましたの。あれは世界最古の小説ですものね。本当に
素晴らしかったわ」
「ああ・・源氏・・・私はそれは専門ではないので。高校で習ったくらいで」
「まあ、そんな風にしか習わないの?古典を?」
「ナルヒトはクラシック好きだから」とフィリップが助け舟を出した。
「まあ、確かヴィオラを演奏されるのよねえ。ミチコはピアノをたしなむし。エンペラーはチェロでした?
音楽一家よね。好きな作曲家は?」
「ワーグナーです」
「まるでバイエルンのルードヴィッヒのよう」
エステ大公妃のセリフに、フィリップは大きな咳払いをして、国王夫妻も厳しい目を向けた。
「ルードヴィッヒ」とマサコはつぶやいた。彼なら聞いた事があった。
「ルードヴィッヒってノイスバンシュタイン城を作った人ですよね」
「そうよ」
「あそこってディズニーランドのシンデレラ城のモデルになった所でしょう?私、結構好きなんです」
「ディズニーランド?」
王族はみな固まってしまった。無邪気なアメデオは「アメリカのでしょう?ディズニーランド。僕も行ってみたいです」
と笑った。
「でしょう?東京にも出来たのよ。シンデレラ城ってすごく素敵なの。あなたも行ってみるといいわ」
「それなら本物のノイスバンシュタイン城を見た方がよくないかしら?」
パオラ妃が笑い、国王も「確かにその通りだな。人工的で商業的な施設に行かずとも、本当に素晴らしいものは
身近にあるものだ」と言った。
「シンデレラ城だけじゃないんですよ。スペースマウンテンとか、ミッキーやミニーの・・・」
「マサコ」と皇太子が止める。さすがに皇太子もそれは場違いな話題だと気づいたのだった。
マサコは話を途中で止められたので、ちょっと怒った顔になった。
「あなたってよく表情が変わる方ね」とファビオラ妃はずけずけと言った。
日本の皇后の苦労がしのばれると同情したに違いない。
「民間から王室に入るのは大変だったでしょう?しきたりや価値観など」
「はい。全く理解できません」
マサコは自分が試されているのもわからずに、調子に乗って喋る。
「結婚した途端に子供を産めと強要されましたの。今の時代、そんなのナンセンスじゃありませんか?
子供を持つとか持たないとは個人の考えの筈。なのにすぐにですよ。結婚してすぐに。そのせいで公務も制限されて
外国に行かせて貰えなかったんです。だから今回、こちらに来る事が出来て幸せです。旧弊っていうんでしょうか?
フランス語では何と?古臭いっていうのかしら?殿下の後ろを歩けとか、喋りすぎるなとか、男女平等時代に
考えられないしきたりばかりで。私、本当に困ってしまいましたわ。私が受けてきた教育のひとかけらも
役に立たない場所があるなんて」
マサコは次第に熱くなって来たのか、回りが黙っているので自分の話に興味を持ってくれたのだと思った。
だから隣の皇太子に
「そうよね?」と相槌を求めつつ
「何もかもが古くて陰気なんですよ。カーテンが破れても修理して使う程だし、お茶一つとってもブランドが
決まっていて変えられないし、本当に自由がなくて。ヨーロッパの王室は王様が自由に外出できると
聞いています。羨ましいです。そういうのって理想ですよね。私が外食したいって言っただけで、側近が
みな反対しますの。警備費がかさむから外出するなって。まるで牢獄でしょう?」
そしてマサコはケラケラと笑った。彼女にしてみれば冗談のつもりだったかもしれない。
しかし、それを聞かされたベルギー王室はみな、一言も返事が出来ないでいた。
皇太子ですら黙り込んでしまった。
そんな回りをよそにマサコは「今時、男じゃないと天皇になれないとか、自由に外出したり遊んだり出来ないとか
ありえないと思いませんか?ああ、ヨーロッパが羨ましいです。王室の人達も自由で」と
延々としゃべっていた。