ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇室の窓スペシャル

2015-06-15 16:59:50 | 皇室報道

 あららーー皆様を混乱に陥れてしまった私をお許し下さいませ。

 

そういうお約束になっているからでしょう。皇太子夫妻の行動は全て黙認するという。

皇居に住んでいるのは両陛下ですが、実質的に権力を握っているのは皇太子妃です。

ここの部分ですね。

絶望でもなんでもなく、そう考えるのが自然だ・・・という事です。

西尾幹二氏がその昔、「皇太子妃は皇后に成ったら病気が治る」とおっしゃってました。

人格否定発言の直後でしたよね。

「皇后になったら病気が治る」は私の言葉ではなく西尾氏の言葉です。

識者がそのようにおっしゃっていたのです

 たとえ話ですが。「冬のソナタ」にこんな話があります。

サンヒョクの母はユジンの事が気に入りません。結婚も大反対。だけどサンヒョクが

好きだと言うからしぶしぶ許したけど、内心は嫌だなあと思っていました。

ましてユジンがミニョンと恋仲になっているのを知り激怒。別れた二人にほっと一息。

しかし、サンヒョクは失恋が原因で病気になってしまい、救急搬送

ここでサンヒョクの母は豹変します。

わざわざユジンの元に出向いて「息子の嫁になってくれ」と懇願するのです。

「あなたを大事にするからお願いよ」と・・・・ユジンはサンヒョクの病気を治す為

泣く泣くミニョンと別れます。

するとサンヒョク母は今までの態度が嘘のようにユジンに優しくし、おだてて持ち上げて・・・・・

つまり、皇后陛下と雅子妃ってサンヒョク母とユジンのようなものではないかと思うんです。

母が気にいらない(と思われる)嫁に優しくする理由はただ一つ

「息子が元気でいてくれる為」に他なりません。

 

 これは想像にすぎませんけど。

浩宮徳仁殿下が生まれた時、仮死状態だったとして(これは本当っぽいですよね)

その後、どう頑張っても知的レベルや情緒的に問題がありそうだな・・・と確信した時

親はどうするか。

明治天皇は大正天皇のありのままを受け入れて、幼稚園を退園させ、小学校に上がる歳も

少し遅らせて、皇太子に合う教育を模索しました。

昭和天皇も「ごゆっくり」な内親王に対して、無理を言ったりはしなかったと思います。

しかしながら、浩宮の場合

なまじ、美しく聡明な美智子妃の長男に生まれたばかりに、ありのままを受け入れて貰えなかった

のではないかと。

もしかしたら本当は大学にいく学力もなければ修士課程なんてとんでもないレベルだったんでは。

むしろ勉強嫌いで、歌ったりオペラをみたりするのが大好きな凡人だったとして。

それでも「学習院大学修士課程卒業&オックスフォードマートンカレッジ留学」の肩書はつけて

貰えた 浩宮の留学体験で出てくる映像は寮の部屋の内部とか、ブルック・シールズのポスター

とかそんなものばかり。一方礼宮の映像は先生と研究をしているシーンです。

そういったモロモロの事に関して、国民には常に「ご優秀な浩宮さま」と印象付けて来たわけです。

そんなあれやこれや。表に出されたら困る事があるんじゃないかなと。

仮に、両陛下が「愛子ちゃんの事を何とかなさい」とか「何の病気かはっきりさせなさい」と

おっしゃったとして「そんな事言える立場なんですか?」と逆に言い返されたらどうしましょう?

この秘密は墓場まで持って行く。代わりに皇室の威信(というか皇太子の名誉)は守るって話で。

 

外国訪問時、相手国の国花や国旗に配慮した衣装を選ばれる皇后陛下。

大昔に会った人の事もきちんと覚えていらして「あの時は〇〇でしたね」とおっしゃる陛下。

そこまで気遣いをされる両陛下が、息子がスウェーデンでカメラ小僧した事にも黙認

ルクセンブルクでしたっけ?どこかの王子夫妻の後をちょこちょこついていって

ストーカーのようになってしまっても黙殺。嫁がオランダ即位式でとんでもない恰好をして

出ても笑顔。晩さん会で髪が乱れても(皇后陛下の方がよく見えた筈)平気で次も出す。

そこまで黙殺するという事は、つまりそれでいいと・・思っているから。

とにかく皇太子を即位させる為には嫌いな相手に笑い、媚びるということ。

雅子妃はそれを十分に確信出来たからドタ出を繰り返しているのです。

「皇室外交」というのは「おもてなしの心」でしょう?

日本は非常にきめ細かいおもてなしの心を持った国です。

そして外国から来た要人はみな、両陛下に感動して帰ります。

しかし、実質皇太子妃は「体調の波」を言い訳にして、雨が降って外から内になったら

出ないとか、玄関には迎えに出ないとか、どっちが主役だ?というような感じですよね。

誰かが文句を言えば「傷ついた」とひきこもるからどうしようもない。

両陛下は被害者ではないんですよ。一蓮托生でいいと思っていらっしゃるのです。

一番いいのは、外国の王族が日本訪問のおりに

「何でオランダの国王夫妻には会うのに私には会えないの?何で東宮御所の玄関に出て

来てくれないの?何か格付けがあるんですか」と聞いてくれたらいいのにと思います。

ウイリアム王子など、そういう権利はあった筈。

じゃあ、秋篠宮家にはどんな感情を抱いておいでか。

週刊誌は必死に「佳子様は皇后様の御心をひきついで」と語りますが、実際はそうではないでしょう。

最近の佳子様ブームには眉をひそめている筈。

注目が秋篠宮家に行く事がダメ。だからウイリアム王子にも会わせない。

わざわざ正田家がらみの公務を持って来て阻む。

ウイリアム王子と佳子さまが会ったら、正直、一枚の絵になって世界中を駆け巡ったでしょうし

まして悠仁殿下と会ったら、それこそ「将来の国王と天皇」の図式です。

それをわざわざ避けた事に両陛下の意志を感じるのです。

それは「秋篠宮家を守る為」ではなく、「皇太子家の体面を保つ為」です。

 

もしかしたら、皇太子の健康は心身共に悪い方向に向かっているのかもしれません。

でも注意出来ないと言うか。これもまた「共依存」関係と言えるかもしれませんね。

元々、情緒的に不安定な息子を抱えていた。

その息子が執着したのは、さらに不安定な女性。

「結婚すれば変わる」「子供が生まれたら変わる」「即位したら変わる」

今、そんな状態なのかもしれませんね。

さて。「皇室の窓」スペシャル見ました。

秋篠宮両殿下の結婚25周年記念版。

江森氏は秋篠宮さまの事について「やんちゃなイメージかもしれないけど実際は逆」と

おっしゃってました。

兄は御優秀。弟はやんちゃ」はマスコミが作り上げたイメージである事がわかります。

婚約記者会見のお二人のラブラブっぷりは、今見てもデレデレで「勝手にしてーー」状態

本来、キコ様はくしゃっと笑うタイプなんですよね。

しかしながら2005年の秋篠宮誕生日の言葉は全てがセリフと化していました。

今思うとやつれきって、言葉を選び過ぎて何も言えない状態だったんだなあという事が

よくわかります。

そうそう、皇太子のスウェーデンでのカメラ小僧やルクセンブルクのへんてこな様子は随分

誤魔化されて映っていましたね。

 

両陛下の「こどもの国」関連公務に関しては。

お若い頃、お子様方を連れている時でも、皇后様はどこから見られてもいいような

ポーズをとっていらっしゃるとちょっと笑ってしまいました。

さすがに紀宮と電車に乗っている時ははしゃいでいらっしゃる感じでしたけど。

そして・・・あの汽車ぽっぽの映像はいつ見ても変。

普通は一番小さい子が先頭に乗るのにねーー

両陛下の間に悠仁殿下がいるのが普通でしょう?なのに「順番」を意識しすぎて

誰の為のこどもの国かわからなくなっちゃった。

汽車ぽっぽ映像は心が寒くなる一枚だなあと。

これがエリザベス女王などだったら、50周年の式典には迷いもせず孫を連れて

ご一緒に臨席するだろうなあ・・・なんて思ったりしてね。

週間女性編集の「華麗なるプリンセス 佳子様」はとっても面白いです。

っていうか、ダイアナ妃ブームを思い出しました。

内容がそっくりっていうか。日本のプリンセスがここまでねー感慨深いわ。

別冊宝島の方が大きく、文章も多いです。お勧め。

 

 

 

 

 

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皇室ウイークリー

2015-06-14 12:47:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

6月5日・・・両陛下 → アキノ大統領とお別れ

                勤労奉仕団に会釈

                宮城と山形訪問について説明を受ける

                勅使・皇后宮司と会う(仁殿下3年祭にあたり)

      天皇陛下 → 通常業務

6月6日・・・両陛下 → 復命報告(勅使・皇后宮司)(仁殿下3年祭の儀につき)

6月8日・・・両陛下 → 復命報告(勅使・皇后宮司)(宣人殿下1年祭の儀につき)

      天皇陛下 → 認証官任命式

6月9日・・・両陛下 → 桂宮墓所参拝

               在パラオ大使夫妻と昼食

               勤労奉仕団に会釈

               新任外国大使夫妻とお茶

       天皇陛下 → 通常業務

10日・・・両陛下 → 「第45回戦没・殉職船員追悼式」出席

 

皇太子同妃両殿下

6月6日・・・皇太子殿下 → 仁親王三年式年祭 霊舎祭(三笠宮東邸)

       両殿下 → 仁親王三年式年祭 墓所祭(豊島岡墓所)

6月7日・・・皇太子殿下 → ヴィオラスペース鑑賞

6月8日・・・皇太子殿下 → 宜仁親王喪儀 建舎一年祭の儀(赤坂東邸)

          両殿下 → 宜仁親王喪儀 墓所一年祭の儀(豊島岡墓所)

6月9日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

                  海外青年協力隊に会う

         両殿下 → 大アマゾン展鑑賞

 

秋篠宮家

6月5日・・・紀子妃殿下 → 全米さくらの女王、日本さくらの女王と会う

                  X線発見120周年記念式典出席

       秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所の会議出席

6月6日

両殿下 → 仁親王三年式年祭 霊舎祭の儀(三笠宮東邸)

        仁親王三年式年祭 墓所の儀(豊島岡墓所)

6月6日ー7日・・・佳子内親王 山口県訪問

 ・ 安天皇陵参拝

 ・ 赤間神社視察・参拝

 ・ そものせき水族館視察

 ・ 海底広域研究船 命名・進水式出席

 ・ 祝賀会出席

6月7日・・・両殿下 → 愛知県訪問

 ・ 岡崎市地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里 六ツ美歴史民俗資料室視察

 ・ 六ツ美悠紀斎田100周年記念式典出席

 ・ 式典関係者と懇談

6月8日・・・両殿下 → 宜仁親王喪儀 権舎一年祭の儀(赤坂東邸)

                宜仁親王喪儀 墓所一年祭の儀(豊島岡墓地)

6月9日・・・両殿下 → 神奈川県済生会横浜市東部病院及び

               同重症心身障害児(者)施設並びに神奈川県ライトセンター訪問・概要聴取

     秋篠宮殿下 → 日本植物園協会創立50周年記念大会」について説明を受ける

6月10日・・・両殿下 → 国立研究開発法人産業技術総合研究所

                福島再生可能エネルギー研究所の活動について説明を受ける

  皇后陛下の頑固なまでの着物へのこだわり。少し鼻につくかなと思います。

   一般の方はわからないと思いますけど、三笠宮妃は洋装。他の皇族方も洋装。

   これは一種の「しきたり」ですよね。

 

 桂宮一年祭 

三笠宮両殿下

秋篠宮両殿下

黒田清子さん

三笠宮彬子女王・瑶子女王

高円宮久子妃殿下・承子女王

承子女王

 

桂宮殿下の御霊を皇霊殿に移すの儀に臨む彬子女王

 

 自殺の30代男書類送検=赤坂御用地侵入容疑―警視庁 

 昨年12月24日、何者かが赤坂御用地のフェンスを抜け侵入。

   10秒後にバイクで走り去る。

 直後、この男性は日本刀で多数の傷をつけ死亡。自殺と判断。

 6月12日。被疑者死亡のまま書類送検。

 奇妙の一言ですね。

 

 「天皇陛下に会いたい」 皇居に侵入未遂容疑 20代の男逮捕 

 12日。皇宮護衛官に殴り掛かり皇居に侵入しようとした20代の男性が逮捕された。

 「中に用がある」「天皇、皇后に会いたい」

 男は大学生とみられ、つじつまのあわない事を話している。

 統合失調症・・・でも、大学って入れるの?

  つじつまのあわない事を言ってるといってしまえば「ああ、こいつは変だ」と誰もが認識するでしょう。

  

  ぺぷさまへ

日本の皇太子妃ではないのでしょうか?

多分 思想はどうかわかりませんが行動が「日本なんか大嫌い」と言ってますしね。

 

 ぷぷるさまへ

何故、天皇皇后両陛下は何もおっしゃらず、行動されないのでしょうか???

そういうお約束になっているからでしょう。皇太子夫妻の行動は全て黙認するという。

皇居に住んでいるのは両陛下ですが、実質的に権力を握っているのは皇太子妃です。

それが確実になったから、皇太子妃はこのところドタ出をしているのです。

つまり「皇后になったら病気が治る」は本当になりつつあるって事ですね。

 

 

 

 

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謙譲と思いやり

2015-06-13 16:42:49 | つれづれ日記

 偉そうに語らせて頂きます。

日本語には「謙譲語」というのがあって、第三者に身内の事を話す時は

例えそれが自社の社長であっても「〇〇が」とへりくだっていうのが礼儀です。

返信用封筒に「」と書かれていても、出す時は「御中」と書くのが礼儀。

かの国では、第三者に身内を語る時にも「様」をつけます。

我が社の社長様が」と。呼びかける時も「」をつけたりします。

尊敬語があるというのは世界各国の共通だと思うんですが、謙譲語がある国というのは

そうたくさんはないのでは。

「日本語の起源は韓国」だから「奈良」は「ナラ(国)」だーーとかいう話も聞いた事があります。

私はそう思わないけど、100万歩譲って、かりに起源だったとしても、

その後、日本語というのは、漢字からカタカナやひらがなと多種多様な文字を使って進化して

行きます。

最初は単なる当て字だったものが、表意文字として確立します

そして語彙も増えて、さらに言うなら言い回しも増えた・・・・

それにひきかえ、ハングルは発達しそこなって古代の言葉のまま残っているのかしら?

なんて韓国ドラマを見ながら考えたりするんですけど。

 

それはいいとして。

何で日本がこんなに「言い回し」に気を遣うかと言えば、それは民族性ですよね。

言いたい事をはっきりと口に出す民族ではありません。

源氏物語」なんか読んでると、本当に回りくどいというか、そこはかとなく感じさせる

事が大事なんだなあ・・・・そしてそれを感じられない無粋な人は生きていけなかったんだなあと。

欧米化した日本の中でも、その片鱗は残ってる。

それがいわゆる「相手に対する心遣い」です。

「爆AGE」とか「上げ上げ」とかいうけど、心になくても持ち上げる事、相手をたてる事は必要な

文化ですよね。

先日、60歳前後の女性のお客様が来て「免許証を見せてください」と言ったら

かざしただけだったので「いえ、こっちの番号を・・・」と言ったら「あら、顔と照合するんじゃないの?」

って言われました。

思わず「はい。確かにお顔も照合いたしました。実物の方がずっとお綺麗です」と言ったら

あらーーお役所の人だってこれくらい言わなきゃだめよねーー」とにっこにこ。

吾ながらどこからくる?そのセリフ・・・とは思うんですけど、これも一種の心遣いです。

(いや、本当に実物の方がお綺麗だったんですよ)

 

こういう心遣いとか、倫理観の源はなんでしょうか。

遠い昔の聖徳太子の17条の憲法かもしれません。

そして明治に出来た「教育勅語」かもしれません。

どちらにせよ、皇族が源を請け負ってきたわけですよね

聖徳太子は仏教による「和」を尊び、他国に対して日本のプライドを示しました。

明治天皇は自らの勅語を守るべくご自分を律し、厳しい生活をされていました。

日露戦争の時、広島で「兵士が戦っているんだから」と幕にストーブを入れず

何日も着替えず・・だったというのは有名な話です。

また、「大津事件」(日本人がロシアの皇太子を暗殺しかけた事件)の時は

昭憲皇太后と共に、ロシア皇帝、とりわけ皇后への手厚い詫びの手紙を書き

皇太子を徹底的に看病し、帰国の際には船までお見送りした・・・という話もあります

皇太子を暗殺しかけたのは一般庶民だったけど、責任は陛下がとられたという事です。

日本は明治維新後、外国と対等に渡り合っていくために、その文化を受け入れて

皇室はさらにその先鋒を行くべく「洋装令」をだし、朝食はパンにしたり。

好き嫌いは置いておいて、とにかく今、やるべき事をやる。

そして相手に不愉快な思いをさせないようにするという事を徹底させていたと思うんですよ。

 

しかしながら今の皇室はどうか。

先ごろ、トンガの戴冠式に皇太子夫妻が出席する事が決まりましたが

雅子妃は戴冠式と国王主催の晩さん会には出るけど、皇太子主催と王女主催の

晩さん会には出ず、在留邦人との面会もしないと発表されました。

重要な戴冠式と国王主催の晩さん会には出る」と報じたのです。

私は、この記事を読んだ時、日本人のモラルハザードもここまで来たかーーとがっくりしました。

相手を思いやる?どこが?

自己都合しか考えていない文章ですよ。

国王主催と皇太子・王女主催の優先度をこちらが決めてどうするのか?

在留邦人と会うのは、世界各地で活躍する日本人を励ます意味で重要かと思います。

が、それは『重要ではない」と言われたも同然。

しかも、皇室の中で「身位」が高い皇太子が「さほど重要でない」ものに出て、妻にすぎない

妃が出席しないという・・・・・・

「体調の波」といえば、日本人は「ああ・・・あれね」とわかるけど、外国人にとってはどうでしょうか?

遠い日本からトンガまで飛行機で来る程元気なのに、どうみたって元気そうなのに

「体調が悪くなる予定」なので出て来ないって・・・って思いませんか?

 

オランダ国王夫妻が来た時も、日本は連日「雅子様晩さん会出席」と主役をおしのけて

皇太子妃報道オンパレードでした。

これって相手に気遣っている事になりますか?

アキノ大統領の晩さん会でも途中退席しました。通常、そんな事をされたら大事なのに

誰も何も言わない。無論、外国からの賓客はそれに不満を持っても言葉に出せない。

だしたら外交問題になるから (外交問題にしてくれていいんだけど)

オランダの戴冠式でも同様でした。

あの無様なドレスを着た日本の皇太子妃をヨーロッパ中の人が見てしまい、いや

あの場にいた各国の王族はどこに目をやったらいいのかわからなかったと思います。

出来れば避けて通りたい。会話したくないと思ったでしょう。

皇太子はその前によその国での結婚式で、かなり失礼な事をやらかしているし。

 

今の皇太子夫妻は

気遣われるのが当然の立場であって、自分達は気遣う必要なはい

と考えているようです。

そしてそれをいさめる立場の人は誰もいない。

近い将来、日本でトップの立場に立つ人が「私が法律だ」という。

その先に待っているものは何でしょうね。

 

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書き殴り

2015-06-12 07:18:09 | つれづれ日記

 すみません。

お仕事と講演会の準備でちょこっと忙しく。

歳のせいか・・・

 なんて寝坊なの ♪

♪ まだ6時・・・・♪

♪ 毎朝5時きっかりに全て始めるのよ ♪

♪ 無理ーーーーーーー!♪

って事で。

 

朝から師走さまのコメントに爆笑させて頂きました。

春画展かあ。東宮はぜひ行かれたらいいのでは?

正妃とではなく、この際、若くて可愛らしくて血筋もしっかりしたご側室を持ち

本当の男子を得るのがよいかと。

その為の春画なら、春画も本望というもの。

 

歴史秘話ヒストリア」ご紹介ありがとうございます。

見ましたよーー「天上の虹」が完結したからお祝いのテーマなの?

どこ行っても売ってない漫画 いつになったら手に入るやら。

 

ちょっと持統天皇を美化しすぎじゃないの?

「私が天皇になる」とおっしゃる前に大津皇子暗殺事件が そっちはスルー?

あのマンガには、草壁君にプレッシャーをかけ続けたあげく、その草壁君が死んじゃう

シーンもあるのよーーそっちもスルー?

持統天皇がなした偉業の半分以上は高市皇子のものではないかと思われ。

不比等と讃良の危険な関係もスルー?

あの番組だけみると、持統天皇ってすごいっ!やっぱり女帝もありだよねっていう風に

感じてしまいます。

実際にはなかなか「天皇」として正当性を認めて貰えなかったようですし。

亡き夫の権威と高市の助力で何とか即位出来たのが事実では?

古事記の「天照大神」を女性神とする事で、強烈に「女帝あり」アピールする。

過去2人の女帝より正当性がなかった。

なぜって、「男系男子」は他に一杯いたから

何より大津を殺した罪は大きいと思いますけどね。

日本史を選択しなかった人向けの都合のいい歴史解釈だよなあと。

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皇太子夫妻 大アマゾン展に

2015-06-11 07:36:11 | 皇室報道

 よーするに佳子様の存在が怖い・・・・と。

今までは何もしなくても、ちょこっと顔を見せただけで「ありがやー」と報道してくれたのに

今はスルー 結婚記念日ですら・・・(静かな環境は欲しいけど持ち上げ報道してくれなきゃ嫌だ)

このジレンマが、ドタ出を引き起こしているのでしょうね。

国民に出来る事は「無視」以外の何物でもないのかも。

 

 皇太子夫妻 大アマゾン展に 

皇太子の顔っ 解説は必要なし?

いつも同じな雅子妃の「普段着風スーツ」これって前回の美術館の時も着てました。

「芸術鑑賞はこっち」って決めているんでしょうかね。

 

ちばみに秋篠宮ご夫妻のアマゾン展

 

 

 

映像で見るとよけいにわかるのですが、雅子妃は説明を聞いていません。

説明する人の顔をしげしげと見ているんです。

多分、説明されてもわからないんじゃないのかな。

だから「このおじさん、面白い」って感じで見てる?

晩さん会でも同じような顔してシャンパングラスを持ってますよね。

乾杯のタイミングなんかどうでもいいんです。

とにかく彼女が興味があるのは「今、喋っている人の顔」って事ですかね。

 

皇太子の眼の動きは、必死に「興味があるふり」をしようとしている・・・・風な。

どちらにせよ、はた迷惑な。

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政権を奪い返してから処分する

2015-06-11 07:00:00 | 政治

 ガア子さま。「共依存」の解説をありがとうございます。

 何となくわかりました。

 信子妃はそこから抜け出たんですね。

 だけど、一般庶民と違って皇族は回りにもう少し遮断できる人がいそうなものですのに。

 孤独を自ら生み出してしまっているんでしょうか。

 

 またまた小西洋之議員がやらかしてくれちゃった。

世の中が平和すぎると、ひっくり返るという事がないし、思うようにいかない。

ゆえに激高するとか・・・・・超上から目線で上下逆に行くような事があるんですよね。

小西議員の発言は以下の通り。

 

片山 「小西洋之君」

小西「はい。あの。質問に答えて頂きたいんですけど。先ほどの私の発言について

少し補足をさせて頂きますけども、今、私もかつて官僚でしたので

こういう個々の方のことを申し上げるのはアレなんですけども、

今、大臣に耳打ちをされた秘書官の方は、先に私がその平和主義、憲法の平和主義に

ついての質問の時に政府の行為によって戦争の惨禍を再び起こることがないように

決意して国民主権を採択する、そこの部分の戦争の意味について

いわゆる国際法の、この戦争の意味であると、つまりその満州事変のような

そういう武力行使は含まないんだよという間違った耳打ちをしたんですね。

それを官房長官、そのあと答弁の修正をされましたけど、私もかつて官僚でいましたけれども

憲法違反の答弁を大臣にさせるそんな補佐は憲法順守法義務を持つ国家公務員は

絶対やってはいけないんです。かつ私はこの事について防衛省の官房長あとに呼んで

あの、秘書官にそういう指導をきちんとしろと、本来だったら理事会で取り上げるように

私、いうところだけれども、本当は国民の事を考えるとしなければいけないんだけれども

あなたから指導しろという風に、お隣に座ってる官房長に申し上げました

ところがそういう指導が全く徹底してない。

理事会でしっかり協議頂けますか。

秘書官が憲法違反の答弁を大臣に補佐している問題についてしっかりと協議して

頂けますでしょうか。

片山「御事情も含めてあとで報告理事会でお話させて頂きます。はい。小西洋之君」

小西 「あのすでに私、防衛省や官房、あの外務省の官房・・・みなさんに言ってますけれども

政治家に言われて解釈改憲をいやいや、必死に抵抗しながらやるっていうならまだ・・

それでも理解なかなか難しいですけれども、同情の余地ありますけれども

解釈改憲安保法制を、憲法違反のものを御先棒担ぐような官僚の皆さんは

絶対に許さない。政権を奪い返してから、必ずみなさんを処分する。

当たり前です。憲法違反ですから。

当たり前の事ですよ。憲法順守義務を犯した国会議員を法に基づいて処分するのは

当たり前です。政治の役割です。議院内閣制の国会勧告の当然の役割です。

そこを、かつて私も官僚だったので、おかしい政治のもとで苦しむ側面があると

いうのはわかる。わかるけれども積極的にそれを補佐するのは違うと断言させて

申し上げます」

 どこかで見たようなこの物言い。

  ああ・・・韓国ドラマを見ているみたい あっちの両班はこういう物言いをしますけど。

  でもこれって脅迫?

  何で秘書官に八つ当たりしているんでしょうか。

 枝野氏

 「少し言葉が過ぎるのではないか。思いは分かるが、十分注意するよう指摘したい」

 「秘書官の助けがないと答弁ができない防衛相に根本的な問題の原因がある」

 これって韓国の大統領がよく言う・・・・「そっちが悪い。そっちの存在の仕方が悪い」

  っていうセリフですよね。

  こーにーしーー君。

  早口でまくしたてるような言い方は、実は気の小ささの裏返し?

  権力を持たない人が持った気になってしゃべりまくる時はこんな言い方かもね。

   生意気な小僧が目上に向かって「ちゃんと指導しろ」ですって。

  どっかの皇族に似てる

  平和の前に長幼の序か? 片山さん、何とか言ってやって。

 基本的に、小西君が何をそんなに怒ったのか・・・・わかりません。

  ただ、「日本の過去は全て悪」という意志は伝わってまいりました。

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彬子女王の手記  2

2015-06-10 07:10:00 | 皇室報道

 

 父の死という悲しいきっかけであったが、三笠宮家と深く絆を結んだ今だからこそ、

痛切に感じることがある。

それは、いかに長い間祖父母や叔母たちが私たち仁親王家のことを気にされ、

心配してくださっていたかということだ。

そのあたたかいお気持ちを最近まで知るすべがなく、

今のような親交を持つことができなかった自分自身に歯痒ささえ覚えている。

 親とその親族が仲が悪いと子供は苦労する典型。まるで将来の愛子内親王のよう。

   むしろ、愛子内親王が健常じゃなくてよかった・・・・彬子女王のようには感じないでしょうから。

 そんな風に疎遠にしてきたのは、一緒に暮らしてきた「父」でしょう?違う?

  父を悪者にしたくない気持ちはわかるけど、それを全面的に母のせいにするのはどうかと。

 ここでいう「今のような親交」とは何でしょうか。

  普通なら「父の死をきっかけに祖父母と和解し、穏やかな交流を持つ事が出来て幸せだ」と

  なるべきところ「歯がゆさ」を覚えている。

  穿った見方をするなら

  彬子女王の祖父母ならびに宮家に繋がる人達は

   彬子女王に「あなたが宮家の当主におなりなさい」と言っている。

   「あなたのようなよい娘が跡取りで本当に嬉しい」と言っている。

   「あなたこそ淑子女王以来の女性宮家当主。だから仁親王、桂宮の式年祭

    そしていずれ私達の祭祀を受け継いでおくれ」と言ったかも。

 そして仁親王は、そういう考えではなかった・・・・・という事です。

 

 母が病気のご療養ということで仁親王家を出られて以来、

  私は10年以上母ときちんと話をすることができていない。

  再三母に話し合いをしたい旨をお伝えしてきたが、その都度代理人を通じて

  拒否の旨が伝えられるだけであった。

 ちょっと待って。今まで、何度も公の席に同席しているでしょう?

   この週刊誌と真逆な話を信じるべきかいなか。

 拒否られているというなら「理由」をきちんと書かないと片手落ちです。

  私は信子妃が拒否をするようには見えません。

   もし、彬子女王が何かの話をしたいといい、拒否する事があるとしたら、それは

  「私を宮家の当主として認めて」という一件に尽きるのでは?

  信子妃側としてはそれはどうしても受け入れられない事ですよ。

  どこの世界に、娘達に一生独身でいろと願う母がいますか?皇族の身分に拘らず

  幸せな結婚をしてほしい。宮家の事は自分が・・・というのが筋です。

  それを「母は野心を持っている」と見るのはひねくれすぎ。

 

 体調が回復され、ご公務に復帰される母に望むことが二つだけある。

  一つは心配をおかけした三笠宮同妃両殿下にお目にかかり、

  公務復帰のご報告と無沙汰のお詫びをしていただきたい。

  そして私たち皇族を支えてくださっている国民の皆様に公務復帰の

  ご報告をしていただきたい。

  それ以上のことをこれからも私が望むことはないだろう。

  三笠宮両殿下に謝って欲しい → 何を謝れと?

                          心配をおかけしました。でも葬儀にも出して

                          戴けませんでした。最期も看取る事が許されませんでした。

                          私をお許し下さい・・・って?

   国民に公務復帰の報告を → 記者クラブを通じてもうして頂いているし、現実に

                        公務に出られていますが。他に何を報告しろと?

 この一文で「彬子女王・・・やっちまったな」という気がします。

  娘が母に「おじい様に謝ってよ」って言いますか?

  父と母の確執は夫婦にしかわからない事。そして三笠宮両殿下にはわかっているという事。

  晩年の仁殿下が「離婚」を真面目に考えていたとするなら、その通りにしなかった

  信子妃に両殿下はいい感情を持っていないと思います。

  つまり、彬子女王はいい歳をして祖父母とその後ろに控える人達に利用されたんでしょうね。

 ちょっと 麻生家は何をしているの?

   太郎さん 大事な妹がここまで貶められていいんですか?

   いくら皇族でもやっていい事と悪い事があるでしょうに。

 

 今、私は日本の伝統文化を子どもたちに伝えることを目的に設立した、

  心游舎という団体で活動をしている。

  父はよく、「皇族というものは、国民の中に自ら入って行って、

  彼らが望むことをするのが仕事だ」とおっしゃっていた。

  父にとってのそれは、社会福祉であり、スポーツ振興であり、青少年育成であったと思う。

  私には父ほどの力もないし、知識も乏しいので、父と全く同じことをすることはできない。

  ただ、父がこれらの活動に情熱を傾けられたように、

  私は日本の伝統文化を次の世代に伝えること、

  日本の伝統文化が生き続ける土壌を耕すことに自身をかけたいと思っている。

  そして、そのことが、本当の意味で「父の仕事を受け継ぐ」ことではないかと感じはじめている。

  亡くなられた今では確かめることはできないけれど、

  父はいつものように「にやり」と肯定の笑みを浮かべてくださるのではないかと思っている。

 「皇族というものは・・・・」が「公務は受け身」と少し違った意味に聞こえますよね。

   とっても偉そうという感じ。

   まあ、仁親王はそういう方だったでしょう。悪気はないんだけど。

 ただね。仁親王があそこまで福祉にのめりこんで行ったのは、ある種の自己満足だと

  思うんですよ。それはそれでいいと思います。

  ただ娘が過大評価する必要はないんじゃないかと。受け継ぐなら粛々と静かに。

 それにしても間違った敬語が気にかかる。

   謙譲語のないかの国の人みたい。

 

 父が薨去され、仁親王家は三笠宮家に合流することとなった。

   ありがたいことに祖父母は私と妹に「私たちが責任者になったのだから

   何でも相談してちょうだい」と仰ってくださる

   この言葉はあたたかい毛布のように、私たちをふんわりと包んでくれている。

   父の死から三年ということで、さまざまな媒体から取材のお話をいただいた。

   こちらへの寄稿と同じように月刊誌からも原稿の依頼を受け、

  自分の今の状況を整理する意味もあって手記を寄せた。

   その手記につけたかったタイトルが「父からの最高の宝物」であった。

  残念ながら月刊誌の手記のタイトルは私が見ることもできず、

  編集部の方がつけられたようだが、私にとって三笠宮家との絆が、

  この3年間で得た何よりも大切な財産である。

 

彬子女王はわかっていない。

三笠宮家との復縁を果たしたのは「父の死」があってこそ。

そしてそれは決して「贈り物」などではない・・・という事。

彬子女王が今、考えなくてはならないのは、なぜに父と祖父母が断絶していたのか

冷静に検証する事。

そして皇室の長い歴史の中で、三笠宮家がどの立ち位置で、何をすべきか。

ご自分は「三笠宮家の幕引き」をする存在であると自覚する事です。

高円宮家の2女王は久子妃によって、そういう割り切りが出来ないから

いまだに結婚しないのでしょう?

このままじっと黙っていれば、いずれ女性宮家の話が再燃し、その頃、いくつになってるか

わからない彬子女王と瑶子女王が、花も実もある人生を棒に振って

ただ「好きな事が出来る皇族生活」を謳歌し、「宮家当主としての誇り」によってのみ

生きるなら、それは非常に悲しい事だし、国民にとって迷惑です。

宮家は血のスペア。

スペアになれない皇族がいつまでも残る事は意味がないからです(冷たいけど)

彬子女王がやっている仕事は、いうなれば彼女の「趣味」であって、決して本当に意味で

自己犠牲ではないし、福祉ではない。

そんな予算があるなら、秋篠宮家に、悠仁親王に。将来、天皇の姉となる眞子・佳子内親王に・・・と思う。

それが国民というものですよ。

 

信子妃殿下。黙っている必要はないのでは?

麻生家としてもこれは抗議すべき案件です。

「皇室」をゆるがす事件に他なりませんので。

三笠宮家の件を許しつつ、東宮家を批判することなど出来ないでしょう?

いやはや・・・皇室のモラルハザードがここまで来ているとは。

そして手を出せない宮内庁。いさめる事が出来ない天皇と皇后。

悲しいですわね。

 

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彬子女王の手記  1

2015-06-10 07:00:00 | 皇室報道

 文芸春秋7月号にも

「彬子女王 母には三笠宮両殿下にお詫びして欲しい」という手記が載るようですが

こっちはブログに載ったもの。

雑誌とブログでここまで・・・・・と。宮内庁は結局止める事が出来なかったのですね。

以下の文。敬語の使い方がおかしい部分は赤で記します。

仁親王殿下薨去から3年

「父からの最高の贈り物ー三笠宮家との絆」

 タイトルからしてもう 一体何なの?「三笠宮」を名乗っているのにあらためて

「三笠宮家との絆」っていうと、本当に上から目線のプライドを感じる。感じすぎます。

 

 この6月6日で父の死から3年を迎える。

   私にとって父の死は、覚悟していたようで、まったくできていないものだった。

   正直言えば、未だ失ったもののあまりの大きさに戸惑いを覚えているほどだ。

   でも、父は最後に私たち姉妹に最高の宝物をくださった。

   それが今の私たちを支え、力を与えてくれている。

   その宝物、三笠宮家との絆を、父亡き今、

   大切に育んでいくことが残された私たちの定めと思っている。

 まずしょっぱなから「殿下が亡くなるまで、三笠宮家との絆はなかったんですか?と問いたいです。

  親しみをこめているんでしょうけど、この場合、「父」ではなく「仁親王」とお呼びするべきかも。

  「父」に対して「三笠宮家」は「祖父母の家」になるわけで。

  曖昧な敬語の羅列が苛立たせるんですけど。

 要約すると

父の死は覚悟していたけど、いざ本当に亡くなってみると、その気持ちをあっさりと

覆す程悲しみにくれてしまい、今もまだ続いている。

父が最後にくれたもの。それは私達姉妹のルーツである「三笠宮家」との絆であると思う」

こんな漢字でしょうか?

 

 父を亡くし、母は病気療養中でご不在という状況で取り残された私たちに、

   手を差し伸べてくださったのは、三笠宮家の方々だった。

   ちょうど3年前の今頃のこと。父を失った悲しみに浸ることもできないほど

 毎日さまざまな儀式があり、

 右も左もわからない状態で、

  ひっきりなしに来られる御弔問のお客様に対応をしていた仁親王邸では、

  当然のことながら些細な失敗が繰り返されていた。

  それをどうするかの判断に追われ、本当に訳がわからなくなってしまった私は、

  恥ずかしながら一切の思考がストップしてしまい、廊下で立ち尽くしてしまっていた。

  そんな私に「しっかり!」と声をかけ、お客樣方へのお茶の準備の指示をしてくださったのが、

  父の姉である近衞の伯母だった

  また、父の妹である千の叔母も、自ら伯母と共にお茶出しをしてくださった。

  そのおかげで仁親王邸は無事その日の行事を終えることができた。

  その時ほど親族のあたたかさを感じたことはなかった。

 なぜ母の「御不在」という書き方をするのか全くわかりません。

   皇族なのに敬語と謙譲語がわからないってどういうこと?

 ここでわかる事は、葬儀を取り仕切るべき「当主の妻」の不在。代わりに

   取り仕切ったのは娘。しかし影の立役者は近衛庸子氏と千容子氏だった。

  「近衛の伯母」「千の叔母」という言い方も今一つで。間違ってはいないけど。

  「近衛家に嫁いだ伯母」とか「千家に嫁いだ叔母」とか・・・そういう言い方は出来ないかな。

 ちょっと、父が亡くなった時を思い出しました。

  すごくよく似ていると思います。

  私はまだ21歳で、喪主の母は頼りにならず右も左もわからない私が葬儀を取り仕切るにあたり

  口を出したのは母方の親戚連中で。

  こういう人たちに取り込まれたのか?とちょっと・・・・・

  だって本当の親族なら「お具合が悪いと言ってもお母様なのだから、こちらに来て

  戴くのが筋ではありませんか」と進言すべきでしょう?

 父を亡くし・・・って「父の葬儀」だもん。当たり前じゃん。

 要約すると

母が病気療養中で不在であった為に私が一切の取り仕切りをしなくてはならず

 そのせいで数々の失敗をやらかしてしまった。

 その時に助けてくれたのは二人の伯母・叔母であった。

 おかげで弔問客にお茶出しをする事が出来たのだった

 あーわかるわかる。こういう時、積極的にぶつかってくる人に弱いよね。

 「味方なんだわ」と思ってしまう。今まで疎遠だったのに急に優しくされると余計にそう思う。

 

 三笠宮家の長男として生まれた父は、将来三笠宮家を継ぐことになることから、

  宮号を賜らず、仁親王家当主として独立した生計を立てていた。

  本来であれば長男として、三笠宮家を支える立場であったはずの仁親王家だが、

  雑誌などに報道されたように、長い間三笠宮家の中で孤立した存在であった

  その大きな要因が長年にわたる父と母の確執であった。

  私も妹も特別なお祝い事などを除いては、御本邸を訪ねることもほとんどなく、

  どことなくぎくしゃくとした雰囲気もあって、三笠宮家の方々と

  深く親交を結ぶことができなかったように思う。

  そんな家族の状況にも関わらず、父亡き後、葬儀のことだけでなく、

  私たち姉妹を様々な場面で面倒を見てくださったのが、

  祖父母や高円宮妃殿下を始めとする三笠宮家の方々であった。

  最近では皇室のしきたりなど、わからないことがあると、

  すぐに御本邸の祖父母を訪ねてご相談をさせていただいている。

  そんなとき、祖父母の口から語られる父や叔父、叔母たちの他愛もない思い出話は、

  かつての三笠宮家の姿をよみがえらせるものであり、

  私の知ることのできなかった父の姿を垣間見る本当に貴重な物語だ。

 いいのか?こんな事を暴露して。

  「両親の確執のせいで本邸と疎遠になた」と告白しているんですよ。

 基本的に彬子女王は、三笠宮家に生まれながら宮家の歴史、皇室の歴史に疎かったのでは

  ないかと思われます。理由は誰もそれを教えなかったからという話?

  彬子女王にとって「父」は皇族というか「皇族という職業についている人」くらいの認識だったのでは?

 父と母の確執(つまり仲違い)がどうして長老殿下と疎遠になるのか。

  個人的に、最初に仁親王と三笠宮殿下の間に「疎遠」が生じたのだとすれば

  それは例の「皇籍離脱」宣言のあたりではなかったかと。

  当時はまだ彬子女王は生まれていなかったっけ?

  印象ですけど、三笠宮は桂宮ともそんなに仲がいい・・・というイメージはありません。

  桂宮家創設の宴には三笠宮殿下はいなかったし。

  仁殿下も桂宮も、学習院時代に「皇族」である事に関して随分嫌な目になったでしょう。

  つまり、そういう「血筋」に関して親に責任転嫁するような事があったのではないかと。

 祖父母あら昔話を聞いて「へえ、うちってそんな立派な家だったんだ」と初めて知り

  プライドを強く持つ。

  宮家として格下であっても、今では「長老」と言われる程古い家なわけだしね。

  それが生きるステイタスになったのかもしれませんね。

   30になるまで皇室のしきたりを祖父母に聞く必要がなかった生活ですか・・・・・

 

 三笠宮家の方々以外にも、父の死に際して様々な方からお力添えをいただいた。

  天皇皇后両陛下から賜ったあたたかいお言葉は、

  どれだけ感謝を尽くしても尽くしきれないほどの

  大きな心の支えとなった。

  皇太子同妃両殿下、皇族殿下方から日々いただくお心遣いが

  どれほどありがたかったことだろう。

  また、斂葬の儀を始めとする一連の葬儀にあたっては、宮内庁職員、宮家職員、皇宮警察、

  警視庁の皆が真摯に、それぞれの役割を超えて「殿下のために」と準備をしてくれた。

  皆の気持ちに頭が下がる思いでいる。

 この一件に関して秋篠宮家と常陸宮家は全くの無関係だという事がわかりますね。

  宮内庁らには上から目線。どこの御姫様だ?って感じです。

  

 

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映像で見る宝塚  ネオ・エゴイスト!

2015-06-09 07:44:16 | 宝塚コラム

 あまりに懐かしくて

私が家にいる時はテレビを独占しています。いつも録画した時代劇とかアメリカドラマとか

中国ドラマを見るのに費やしてます。

姫は宝塚を見たい。だったらDVDを自分の部屋に持って行ってみればいい。

なのにリビングの大きな画面じゃないと嫌。

そこで、「ママの好きなマリコさんが出てる作品なら途中で消されないだろう」という事で

スカステで録画した「ネオ・エゴイスト」を見始めたのでありました。

確かに私は・・・・・途中で消さなかった

 

 魅惑Ⅱ ネオ・エゴイスト!  (1997年 星組)

この頃、姫ちゃんまだ4歳 私はほぼ土日は劇場に通っていたようなな印象が。

この頃だって、ビデオで見せていたし、その後も何度も見せていたんですけど

21歳には21歳なりの感想があったみたい。

こういう時はビデオという存在が非常にありがたいですよね。

 

まずこの作品は、星組「エリザベート」の直後、白城あやか退団直後の作品で

娘役トップに月影瞳が就任したお披露目ともいうべき作品です。

「誠の群像」と並んで、湖月わたるの場面が一気に増えて「爆上げ」状態になったかなーー

と思いつつ、あっという間に宙組へ。

そして絵麻緒ゆう初の単独シーンがあったショーでもあり。

姫 「ぶんちゃん可愛い。わたる君かっこいい。なんでりかちゃんは月組へ行ったの?

  星組トップでもよかったのに」

うーん・・・それはねえー色々大人の事情がきっとあったんだよと。

紫吹淳の濃さって本当に星組にぴったりだったなと思いますし。

最初のユニコーンのシーンを見て、姫は「月影さんがこだま愛に見える」と言いました。

そういえば「ル・ポワゾン」で同じような衣装に髪型をしてたよね?

作った人が同じなのでと説明。

わたる君のくるくる踊るダンスを見て「礼音君にこれ、やらせたかったなあ。最近のショーは

ワンパターンに見えるよね」

と。まあ、あの頃はまだバブルの余波があったのかもと。

月影瞳がトップなのに完璧にトップの扱いを受けていない。かなり気の毒では

ありましたけどしょうがない・・・と今、見てもそう思います。

麻路さきと月影瞳は、ビジュアル的に今一つ。むしろ湖月と組んだ方が可愛らしく見えますよね。

銀橋で紫吹がソロで歌う「言えない」は本当にいい曲で、みんな大好き。

だけどやっぱりこの濃さに圧倒されてしまうのでありました。

 

ヴァレンチノのシーンは、そういえば瀬奈じゅんも似たようなシーンをやってたなと。

大空も。だけどマリコさんのヴァレンチノは、恐ろしく明るい

プレイボーイでも許される明るさがありました。

思えば、この頃のショーの振付って決して難しいものではなかったんですよね。

私達でも頑張れば踊れそうな感じのばかり。

それでも思わず見入ってしまうのはなぜか。

はっきり言って、それはかっこいいというか、男役はムードでなんぼなんだなあと。

マリコさんの場合、それに加えて手が美しい。指先が本当に芸術的。

その「手」をいかした振付こそがふさわしかったのだと思います。

 

そして賛否両論だったロケットのシーンを見て姫は口をあんぐり。

そりゃあそうだよね。金色のレオタードだよ。全身。あまりにもエロチックで

当時、散々な評判だったっけ。しかも寝転んで大股開脚ありだから猶更。

私としては希佳さんの肢体の美しさと久城彬の美しさがあればそれで十分と思いますけど。

あんなに体の線がでまくりの衣装でも、全然お腹が出てない。

まるで機械のような体つきに驚いたものです。

さよならショーみたいと言われたマリコさんの歌のシーン。

群舞の衣装が大好きで、マントを舞台のそでにぽいっと投げて

ジャンプするマリコさんのかっこよさと言ったら

当時は「マリコにあんなに歌わせるなんて、演出家は何を考えてるんだ」と言われたものですが

今みると、そんなに下手でもないんじゃ・・・(もっと下手な人がいるから?)

心を打つ歌い方だし、歌詞がいいよね。

せめて礼音君のさよならショーがこれだったら」と姫が・・・ダメっしーーっ

今さら言ってもしょうがないじゃん。

でもね、ここで私達観客も「本当にトップを、そしてトップだけじゃなくこれからの人を

目立たせるショーの作り方」を岡田先生に学ぶ事が出来たと思います。

歌うマリコさんをすーっと見つめてさっていくノルさんがかっこよかったり。

ビデオの撮影の仕方もすごくいいよね。これはお勧めです。

 

エトワールの秋園美緒の羽根が赤くて華やかで「素敵」と姫。

こういうのをもっとみたいなあと。

なんだよ・・・今は戦時中じゃないのに昔より華やかさに欠ける宝塚って何よ。

ねーー

 

 

 

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映像で楽しむ宝塚 暁のローマ

2015-06-09 07:00:00 | 宝塚コラム

 暁のローマ  (2006年 月組)

実際に見た時もちんぷんかんぷん。

こんなもん、1度でいいや・・・・と思い、その後は記憶の向こうに捨て去りました。

この作品は、宝塚一ボキャ貧あるいはコミュ障である木村信司の作品。

たまたま前年度に「王家に捧ぐ歌」がヒットし。

余談ですが、先日「王家に捧ぐ歌」前夜祭を見たのですが、見た目も歌も

朝香まなとと実咲凜音の方がいいにも関わらず「なーんか違う」と思ってしまって。

何で?

やっぱりあれは作品がよかったというより、湖月わたるとラダメスのキャラが

似合っていたおかげのヒットじゃないのかと。

湖月&安蘭の銀橋ラブラブシーンが見たくて通ったようなものだし。

朝夏と実咲。もうちょっとラブラブかなーーと思っていたんだけどね。

「お披露目だからしょうがない」ではすまないでしょ。

 

それはいいとして。

つまり「王家・・・」のヒットで気をよくした歌劇団というか、そしてそれに乗っかって

鼻高々になったキムシンが、轟悠理事御光臨月組の為に書いた・・・と言えるのでは。

なんといってもカエサル → 轟 ブルータス → 瀬奈 は役柄的に釣り合うし。

ところがふたを開けてみたら、ストーリーらしいストーリーはなく、ただただ

「えらい」と「愛している」の繰り返し音楽劇だったという話。

今、映像でみても

 カエサルは偉い ♪ は醜悪な歌詞だと思います。

無論、後半の ♪ ブルータスは偉い ♪ も。

あんな歌詞を生真面目に唄ってるキリヤンが可哀想で

 

今思えば霧矢大夢&北翔海莉コンビは「神」とも言えます。

なのに・・・・・ なんじゃありゃ? 見目よく滑舌よく演技派二人が漫才かあ。

だったらもっともっと出番を増やして日替わり漫才を見せてくれたら面白かったのに。

 

そうでした。

主役は瀬奈じゅんだったのよ。

なのにどうでしょう?この存在感のなさっ

かっこいいのに。いや単に好みの問題かも。

私には大空祐飛の方がよほど存在感があるように見えるし

なぜか華やかにも見えましたけどね。

瀬奈の髪が黒いせいなのかしら?

轟理事は安定してましたけど・・・・・ 

私は王ではない。私はカエサルだ」ってセリフもいただけないけど

城咲あいの「エジプトで産んできたの」は爆笑もん。

 

一つ一つの場面がぶつ切りになっていて、整合性がないよね。

で、なにかっていえば歌うから全然意味がわかりません。

庶民たちの♪ 気持ちよく生きたい ♪ ソングは笑う前に

演出家の上から目線にうんざりだよーーって感じ?

1990年代後半からは、こんなオリジナルばかりでスカステも

契約率落ちるんじゃない?って思ったりしてね。

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