「玉川上水に親しむ会」第234回例会 続きです~
近江彦根藩 井伊家中屋敷跡 を散策します。
この場所は現在、ホテルニューオータニになっています。
当初、加藤清正の下屋敷があった。関ヶ原の役を境に次第に勢力を失い、後に井伊家中屋敷へと引き継がれた。
その後、壬生家を経て伏見宮邸宅に。
第二次大戦後、外国人の手に渡ろうとしたのを、ホテルニューオータニ創業者である大谷米太郎が買い取り、
荒れ果てた庭を改修し、今日の庭園に作り上げた。湧水もあったらしい。
庭園内を散策
外国人向けでしょうか、富士山!
池もありますが、湧水ではなさそう。
脇の道を通り過ぎて・・・
坂に出ました~
紀尾井坂
紀伊 紀州徳川家(紀州藩・和歌山藩)55.5万石
尾張 尾張徳川家(名古屋藩)62万石
井伊家(近江彦根藩)35万石と、重要な家が並びあっていた地。坂。
その頭の字をとって『紀尾井坂』と名付けたようです。
かなりの急坂です~
さらに先へ進みますと、「清水谷」の名前が。
隣接するグランドプリンスホテル赤坂は、江戸時代まで紀州徳川家の上屋敷があり、
この付近で隣の井伊家と接していた。
井伊家との境目付近が谷だったこと、井伊家との境目付近の紀州徳川家の屋敷から清水が湧き出ていたことから、
この付近は「清水谷」と呼ばれていた。
清水谷公園の入口です。
公園の名にちなんで、湧水を復元してあります。
高さ6.27mの大久保利通公の哀悼碑
紀尾井坂の変
明治11年(1878)、大久保利通が国会議事堂付近の自宅から仮皇居に向かう途中で暗殺された。
現総理大臣の権限を越える大久保の暗殺事件は人々に衝撃を与えた。
後に、暗殺現場となった地に哀悼碑が建てられた。
明治23年(1890)、「清水谷公園」として開園され、現在では哀悼碑を中心に行きかう人々の憩いの場所になっている。
麹町4丁目交差点付近から発掘された、玉川上水の石桝。
本来は5段重ね(蓋と最上段は欠失)。江戸城への樋筋に設置。筒状にくり抜き、最下部には底があり、
2段目との間に内径1尺を越す木製の樋が通じていた。
桝内径は106センチ、深さは4mを越す。
(CANON PowerShot S120)
ここで記念撮影~
続く~
昨日(5月16日)のトータル歩数8680歩、脂肪燃焼量25.4g、総消費カロリー1863kcal
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