ゴルフの全英オープンは、プレーオフによるハリントンの劇的逆転劇で終わった。残念なのはガルシアだろう。手の中に入りかけていた大魚がスルッと逃げてしまったからだ。
翌日や翌々日のメディアの記事を見ると、「タイガー、惜しくも優勝を逃す」的な見出しが躍っていた。知らない人は、さぞ、タイガーが接戦で敗れたかのように錯覚してしまう。ゲームを見ていれば分かることだが、タイガーは早々と優勝戦線から離脱していたわけで、それにも関わらずのこの見出しである。惜しくも優勝を逃したのは写真のガルシアであって、タイガーではない。
前から気になっていたのだが、スポーツ記事には、凡戦で負けたり、大敗した場合でも、「惜しくも優勝を逃す」のフレーズが蔓延って居るような気がする。特に主役が高い知名度だとなおさらだ。
「惜しくも」とか、「惜敗」という言葉には、もうちょっとのところで負けたとか、接戦で競り敗れたような、あと一歩、というニュアンスであるはずだが、今頃の記事がそんなのはお構いなしである。
記事を売らんが為にやっているとすれば、言語道断の話で、言葉がドンドン破壊されていく。公共にニュースを提供するプロフェッショナルは言葉をもっとキチンと使うべきだと思うのだが、こんなことで憤っているのはわしだけやろか。
翌日や翌々日のメディアの記事を見ると、「タイガー、惜しくも優勝を逃す」的な見出しが躍っていた。知らない人は、さぞ、タイガーが接戦で敗れたかのように錯覚してしまう。ゲームを見ていれば分かることだが、タイガーは早々と優勝戦線から離脱していたわけで、それにも関わらずのこの見出しである。惜しくも優勝を逃したのは写真のガルシアであって、タイガーではない。
前から気になっていたのだが、スポーツ記事には、凡戦で負けたり、大敗した場合でも、「惜しくも優勝を逃す」のフレーズが蔓延って居るような気がする。特に主役が高い知名度だとなおさらだ。
「惜しくも」とか、「惜敗」という言葉には、もうちょっとのところで負けたとか、接戦で競り敗れたような、あと一歩、というニュアンスであるはずだが、今頃の記事がそんなのはお構いなしである。
記事を売らんが為にやっているとすれば、言語道断の話で、言葉がドンドン破壊されていく。公共にニュースを提供するプロフェッショナルは言葉をもっとキチンと使うべきだと思うのだが、こんなことで憤っているのはわしだけやろか。