よし坊のあっちこっち

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朝青龍騒動に見る横綱の品格の問題

2007年08月08日 | いろいろ
高見山の出現以来、昔から日本の「国技」と呼ばれてきた相撲の世界に外国人力士がドンドン増え、面白い世界だなと思う。日本伝統の国技だから、さぞ外国人が入るのは大きな抵抗があると思いきや(実際にはあるのだろうが)、最初はハワイ勢、今モンゴル勢、ポツリとヨーロッパの人と、実力があれば最高位まで上り詰めることが出来、本来差別がキツイ日本社会の中では、やはり異色に見える世界だ。

ま、柔道も、かのヘーシンクに負けて以来あっという間に自由化されたのだから、ひょっとして、スポーツの世界はあの時点で大きな転換があったのかも知れないし、スポーツの世界とは元々そういう世界なのかもしれない。

ところで、朝青龍問題で揺れているこの相撲、元来、実力の最高位と言うのは大関の位だそうで、その大関の中で心・技ともに優れた者に綱を許すというのが主旨らしい。それが横綱という地位だ。「心・技共に優れた者」。この言葉は重い。

とするとだ。今までの歴代横綱で、ホントにふさわしいと言える横綱が一体何人いたのか、と言うことになる。相当乱造してきた感は否めない。

ただ強ければ良いという風潮は、いただけない話だ。識者による横綱審議会なるものが有るそうだが、連中は何をやっているのかね。どんな権限があるか知らぬが(恐らく何も無い、ただの権威付けの団体だろうが)、厳しい注文をつけているのだろうか。

とくると、改革しかない。話は簡単だ。横綱なんかは名誉位にしちゃうのよ。本来の最高位である大関までは、実力があれば、多少「心」が無くてもしょうがない。その中で品格を備えたと認められる者にのみ、引退した時に横綱位を与えるのだ。そして、横綱は引退後の一年は、各場所で初日と千秋楽に、土俵入りをやるのだ。