よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

日の丸弁当事件

2007年12月07日 | いろいろ
小学校時代に忘れられない事件がある。

小学校5年の夏休みに都会から東京の田舎に移った。移った所が、東京都北多摩郡xx町だから、これは、東京の田舎である。何よりも嬉しかったのは給食から弁当になったことだ。あのまずい脱脂粉乳のミルクとおさらば出来るのだから言う事なしだ。あの脱脂粉乳のマズサは表現出来ない。鼻を摘んで飲んでも、表面に張った、あの何とも言えない膜が喉を中々通過しない。だからオエッとなるのだ。胃に入った物が逆流しかける瞬間だ。だから、毎日の弁当は、いささかのピクニックである。そして、事件は起こった。

ある日、弁当箱を開けると、手が止まった。そこにあったのは、白いご飯と真ん中にポツンと一つ、赤い梅干。他のオカズは何処に? 今、大変な事が起こっている。こんな事は回りに知られたらいけない。早く、しかも、何食わぬ顔をして隠さなければ。しかし、そんな怪しげな動作はバレる。皆、どうした、どうした、と覗き込む。お後は、食べる振りして唯唯時間が経つのを待つ。中身は帰りに土手に捨てて帰った。よし坊の中ではとんでもない大事件だ。妹はどうだったのだろう。夜、何気なく観察したが、妹の弁当はどうも普通だった様だ。聞いたわけではないが、そんな感じだ。この事件は心のポケットに仕舞いこんだ。
断っておくが、当時の弁当箱はブリキだかアルミだかの15センチx20センチくらいの箱型で、上4分の1くらいにおかず入れ部分があるもの。ご飯とおかずが別々の器なら、おかずの器だけ忘れもしようが、兎に角弁当箱は一つだから、断じて忘れたのではないのだ。

3年前、妹と弟の3人が会う事になった。個別には何度かあっているが、3人一堂に会するのは実に30何年ぶりだった。この時、初めて梅干事件の事を話し、妹はどうだったのか聞いてみた。妹は弁当でそんな思いをしたことはないと言う。人間とは面白い。こんな些細な事が心の隅に残っているのだ。

そもそも、我が家が裕福ではなかった事は小さい頃から分かっていたので、当時のよし坊は、この一件で、やはり家は貧乏なのだと結論したわけだが、真相は分からないままである。因みに、日の丸弁当はこの時だけであった。

こんな事が、今の学校で一度でも起こったらどうなのだろうか。間違いなく、イジメが始っていたのではないか。が、よし坊にそんな事は起こらなかった。今と比べりゃ、ガキの心も社会の心も遥かにおおらかな時代だったのだろう。

この梅干事件の話は、ワイフとの貧乏度論争に発展していく。