よし坊のあっちこっち

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闘うハシモト

2008年12月22日 | いろいろ
今、何と言っても面白いのは大阪府知事の闘うハシモトだろう。地盤沈下の大阪を立て直すべく、若さに物言わせて日々闘っている。

言葉の使い方などでしょっちゅう物議をかもしているが、それもご愛嬌だ。何が良いかと言うと、「おかしい」と思える案件に、次々とイエローカードやレッドカードを連発しているからだ。長らく、やりたい放題既得権やら、悪しき慣行にまみれて利益享受してきた連中が、慌てているのもよく分かる。
今までは改革派のトップと言っても、長いものには巻かれた方が良いと思う部分はうまく巻かれて泳ぐのが殆どだったが、今度のハシモトは、青臭いほどいちいち問題提起をしている。まるで、小学校の生徒が分からない事を挙手連発で先生に質問攻めにしているような感じだ。これが誠に気持ちが良い。

最近では、関空活用アップの為の伊丹ー成田線の廃止で噛み付いた。そもそも、関空を西の玄関として、しかも24時間空港で開いたにも関わらず、必要でもない神戸空港を作ったり、兎に角、それぞれの地域のボス達がやりたい放題やっているとしか思えない。今では地方の空港は関空をハブにするどころか、お隣韓国の仁川空港のスポーク空港になっているんじゃ、一層の地盤沈下は避けられまい。関空を作る時の世界を睨んだ戦略的デザイン等はそもそも存在しなかったのだろう。ハシモトはこんなにもったいない財産資産があるのに何故活用しないのか、出来なかったのかを提起している。

学校での携帯電話にも噛み付いた。これも拍手喝采の部類だ。兎に角、この携帯と言う奴は困ったものだ。特にテキストメッセージが主流になってきたから、音を出さずに相手と交信ができるから、あの餓鬼どもは授業中でもやるわいな。授業そっちのけでやりゃ、成績も落ちようと言うもの。

携帯電話の携帯の是非を議論すると、必ず心ある(?)識者が一人位いて、「個人の問題だから、当局が禁止等と言う筋合いではない。要は、家庭教育の問題と本人の意識だ」なんて能天気なことを言う。馬鹿言ってんじゃないよ、おっさん、と言う感じだ、よし坊もおっさんだけど。家庭内教育なんぞとっくに崩壊している今、そして、学校教育現場が同じく瀕死の重傷に陥っている今、教育を出来る奴が居ないのだ。親や先生が教育できる次元はとっくの昔に過ぎてしまった。

アメリカは、だらしない日本とは一味違う。
まず、子供には出来るだけ持たせないようにしている。持たせるとしても、最初に使う範囲をキッチリ言い聞かせる。それでも子供、やるときはやっちゃうのだ。例えば、最初に親が遭遇する事件が、テキストメッセージの多用によるとんでもない高額請求書である。知り合いのアメリカ人は、子供に超過分の支払い責任を負わせる。子供は収入の手段を持たないから、家の仕事を何かさせてもらう事で支払っていく。責任を持たせるチャンスを家で創造するのだ。
携帯の持込は自分のホームルームにある個人ロッカーへ置いておかねばならない(そう、アメリカは個人ロッカーがある)。構内での携行は禁止である。これに限らず、生徒に問題が起こると学校から親へ注意の手紙と呼び出しがある。親は学校に出向いて、内容を聞き、指導を受け、そのように家で本人と解決に向けて話をしなければならない。親の責任が追及される。親が目を背ける事が出来にくい環境を作っている。日本ではこの部分が、何もやらない、何も出来ない。

アメリカに住むとアメリカは変わった国だと思うが、遠くに日本を見ると、日本も相当変な国だ。