よし坊のあっちこっち

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派遣切りと日米労働事情

2008年12月26日 | ビジネス横丁こぼれ話
今、派遣切りが話題というか、問題になっている。昔からアルバイト、パート、契約社員、派遣社員はいたが、何故問題になっているかというと、ご存知のように、彼らの数が圧倒的に増えたからである。何故増えたかと言うと、バブル崩壊後の正規雇用が激減したために、多くの学生があぶれてしまった。その救済策として、企業に使いやすいような派遣制度をつくってしまい、今や企業は大いにそれを利用(悪用?)していると言ったところである。大分以前の事だが、東の御茶ノ水とともに女子大として有名な西の奈良女を卒業した娘さんが就職できたのが町のレコードCDショップと言う話を聞いて、えらい世の中になったものだとため息が出たものだ。

アメリカは、景気が悪くなってきたら直ぐレイオフと称してクビを切る、だからアメリカは駄目なんだ、とついこの間まで皆が言っていたような気がする。ところが今や日本でも同じ様相を呈してきたではないか。だが、日本がアメリカ並みになってきたのかと勘違いしてはいけない。むしろ、アメリカより悪くなる方向へ行く可能性がある。

根本的に違うのは、転職流動性。これが日本では極端に低いままで今日に至っている。要するに転職しづらいのである、社会が。終身雇用を標榜してきたから当然と言えば当然。終身雇用で培われる精神構造は「同じ釜の飯」を食ったかどうか。別の言葉で言えば、終生の戦友意識。だから、島国ニッポンの民族的排他性は、他の会社から移ってきた人間に対し、排他的な行動を随所にみせるのだ。かくして、転職した者は相当期間「よそ者」の悲哀を味わうことになる。これが横行するから開けた転職市場が発展しない。
片や、アメリカ。転職が普通の現象だから、他社から移ってきても、排他的ではない。と言うよりはむしろ、排他的な行動をとったら、ルールで罰っせられることを社会の規範の中で教えているので、そういう行動はあまり取らない。ルールが確立しているのである。

日本には、そんなルールの確立が見えない。経済戦争に勝つ為には安い労働力を求めるのは当然としても、転職流動性の高い社会基盤を創造しない限り、問題解決はしない。少子化と外国人労働者依存が明確なのに、ぐずぐずしている暇は無いはずだが。

個人主義のアメリカと言うけれど、だからこそ、今のような社会基盤が出来たのだろう。働く合理性ということでは、アメリカは日本よりはるかに優れている。働きやすいさを実感する。