去年か一昨年、見るチャンスを逃したこの映画、漸く観る機会を得た。当時の予告編で、ユダヤ人収容所の内側の少年と外側のドイツ人少年の単なる心の交流を描いた、単なるヒューマンタッチの作品を想定して観たのだが、とんでもない結末に、いささか驚いた。こう言う悲劇の描き方もあるのかと、意表を突かれた感じだ。その意味では、大変見ごたえがある映画だろう。
映画の4分の3は、ドイツ将校の子供と収容所に居る同い年のユダヤ人の子供の、無垢な交流を中心に話が進む。いつか、その無垢な交流も、残酷なナチ主義と処刑される運命のユダヤに分かれる日が訪れるのかなと、思っていたら、最後の15分で、思わぬ方向の展開になり、観る方を慌てさせる。
もし、映画館で観ていたら、最後の15分間に、アメリカ人の誰かが、画面の少年に向かって、「止めろ」とか、「未だ間に合う、そこで留まれ」とか声をあげていたことだろう。今まで、そういう光景をいくつも見てきた。日本人はおとなしいから、そんな事は叫ばないが、アメリカ人というのは、思った事を直ぐ言ったりする。悲しい場面で涙が出るシーンなどは、よし坊は周囲に悟られまいと、必死に取り繕うが、アメリカ人は平気で泣いている。つくづく、彼らはストレートな正直者だと痛感する。気配り上手の日本人、といい意味で使われるが、裏を返せば、悟られないように取り繕うのが上手な日本人でもある。
映画の4分の3は、ドイツ将校の子供と収容所に居る同い年のユダヤ人の子供の、無垢な交流を中心に話が進む。いつか、その無垢な交流も、残酷なナチ主義と処刑される運命のユダヤに分かれる日が訪れるのかなと、思っていたら、最後の15分で、思わぬ方向の展開になり、観る方を慌てさせる。
もし、映画館で観ていたら、最後の15分間に、アメリカ人の誰かが、画面の少年に向かって、「止めろ」とか、「未だ間に合う、そこで留まれ」とか声をあげていたことだろう。今まで、そういう光景をいくつも見てきた。日本人はおとなしいから、そんな事は叫ばないが、アメリカ人というのは、思った事を直ぐ言ったりする。悲しい場面で涙が出るシーンなどは、よし坊は周囲に悟られまいと、必死に取り繕うが、アメリカ人は平気で泣いている。つくづく、彼らはストレートな正直者だと痛感する。気配り上手の日本人、といい意味で使われるが、裏を返せば、悟られないように取り繕うのが上手な日本人でもある。