よし坊のあっちこっち

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我が街 アトランタ (2) 初めてのアトランタ

2015年12月01日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
初めてアメリカに行ったのはいつ頃だろうか。間違っていなければ昭和56年(1981)だったと思う。この年、日本キューバ経済委員会主催の企業視察団が組まれ、それに参加したついでに同行した商社マンのNYオフィスを訪問したのが最初だ。この時の出張が中国ビジネスへ入るきっかけとなった。

加工基地韓国中国との商売は企画元アメリカとも接点が出来る。その頃は企画元のアメリカ企業をたまに訪問していたが、毎年行われるスポーツ産業の一大イベントであるスーパーショウにも顔を出すようになり、当時はシカゴで開催されていたので2-3回行っている。

思えば、アメリカに出張で来たとはいえ、NY、シカゴ、サンフランシスコ、ロス等どの地域もアメリカを代表する都市には違いないが、点のアメリカであり、アメリカを面でとらえ理解することは難しい。これらの都市はいずれも北部にあるから、まして南部のアメリカは全く視野の外になってしまう。

スーパーショーの開催が1985年からアトランタになった。その年に行ったか翌年行ったかは定かではないが、その一回を最後に担当替えになったので最後のスーパーショーとなった。長らく眠っていたアトランタの名前が再び仕事の関係で現れたのである。

当時は日本からの直行便はなかったはずで、ロスとかサンフランシスコで乗り換えたのであろう。思い出がある。空港に着いて荷物を待っていたのだが、待てど暮らせど荷物が出てこない。そのうち回転荷物台が止まってしまった。困っていると屈強そうな大柄の係の人が”どうした”と声を掛けてくれた。しばらくして荷物台が再び動き出し、荷物が漸く出てきた。

タクシーに乗りホテルへ。コンベンションがあるとホテルが満杯になるから、それほどいいホテルではなかったはずだ。今でも市営鉄道のマルタの東西線と南北線の交差点ファイブ・ポイントに大きなオムニホテルと、それに隣接してコンベンションセンターがあるが、ここから一駅か二駅のところにホテルがあったと記憶する。毎日そこから会場へ出向き4日間開催の三日目まで通った。初めてのアトランタも会場とホテルの往復であっと言う間に過ぎた。これが初めてのアトランタであった。観光で周りを観るわけでもなく、仕事優先だから当然と言えば当然なのだが。

この時からおよそ10年後に今度は駐在で家族共々アトランタに来ることになろうとは。


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