ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

スポーツはビジネスである

2015年07月06日 | 日記

                              雨の中の睡蓮

 テレビ放映と相まって世界のスポーツ界では注目のビックイベントが目白押しである。

 そんな中、日本ではオリンピック用のスタジアムの建設でもめている。未来都市のようなスタジアムを建設するための、用地の確保と多額の費用をめぐる疑念が絶えないのだ。責任者は一体誰なのか、とまでジャーナリズムを賑わしている始末。

 果たして8万人を収容するスタジアムを建設する必要があるのか、私も疑問を感じているが、それはそれとして、現代社会の中でスポーツをどういうふうに位置づけるのか、という根本的な問題がなおざりにされているように思う。

 問題は多岐にわたるので、オリンピックに絞って考えてみる。当初は、アマチュアの精髄としてのオリンピックであった。それがドイツオリンピックを契機にして、国威発揚の場としての国際イベントとなった。冷戦期これを引き継いでソ連、東ドイツは国家スポーツとしてスポーツ大国を築いた。その後、商業化が進んで、オリンピックはビジネスの場になった。

 スポーツがプロ化=ビジネスの場になるのは、私は必然だと思う。芸術や芸能がビジネスの対象となるのと同じである。こうした推移に反対する人もいることは承知しているが、そういう人の意見を敷衍していくと結局は、俺のところの競技、私んとこの競技もオリンピックの種目にいれろ、という大合唱になってくる。男女でも同じ種目がないと目くじらを立ててくる。さらには、種目がどんどん多くなり、そんなに細分化して意味があるのか、と疑いたくなる。こうした動きは、スポーツを生活の楽しみとして考えるのであるならば、有意味であるが、オリンビックなどのビックイベントにぶら下がる感じで主張するのは、大いなる勘違いである。それはかつての国家スポーツと繋がってくるように思う。

 オリンピックスタジアムを過度に巨大化するというのも、こうした動きを無縁ではない。

 スポーツはビジネスなのである。ビジネスとして価値を認めるから、テレビをはじめ、マスコミが挙ってスポンサードするのである。ビジネスにならないマイナーなスポーツはその発足当初からの生活の楽しみの一部として自己完結していけばいいのである。それに不満があるならば、ビジネスとして成り立つように工夫すべきだ。古典芸能のように国家の補助をもらいながらの活動である必要はないのである。実際ラグビーやサッカーは、オリンピックなしで十分ビジネスとして成立しているのだ。

 話を元にもどすが、オリンピックスタジアム建設の云々は、結局、採算に合うかどうかということである。国威の発揚などと言っては元も子もない。そもそもオリンピックは国家行事ではなく、都市の行事なのである。東京都は純粋にビジネスに合っているかどうか、検討すべきなのである。【彬】

 
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