ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

新安保法制について

2015年07月22日 | 日記

        犬=本多厚二作

 新法制について、各界で議論が賑やかだ。私はあまり興味はないが、放置したくもないので、自分なりに思うことを書いておきたい。
 新法案のうちの【武力攻撃事態法改正案】は、次のようになっている。
「この法律は、武力攻撃事態等及び存立危機事態への対処について、武力攻撃事態等及び存立危機事態への対処のための態勢を整備し、もって我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に資することを目的とする。」
 そして関連する【重要影響事態法案】に
「この法律は、そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態「重要影響事態」に際し、合衆国軍隊等に対する後方支援活動等を行うことにより、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約の効果的な運用に寄与することを中核とする外国との連携を強化し、我が国の平和及び安全の確保に資する」となっている。
 新聞等の解説にあるように、つまりアメリカなど主要国と一体となって、問題地域に対し、武力の後方支援活動を行うということである。従来の周辺事態法に変わるもので、自衛権の外縁をギリギリまで伸ばして集団自衛権にまで近接させるということのようだ。
 自衛の範囲といってもこれは明らかに憲法に違反しているが、もともと自衛隊そのものが憲法に抵触するのだから、違反論議をすれば、朝鮮戦争以来、軍隊を保持してきた日本の存立そのものがおかしなものになる。自民党にしろ、旧社会党にしろ、この論議には深入りせず、凌いできたわけである。だから、こうした議論を憲法学者がいまさらあれこれいうのはどうか、という感じがしなくもない。
 そうしたことより、この法制が、安倍首相の言う戦後レジームからの脱却という意図があり、ある意味、時代を画する政治的な象徴になるのだということが大事である。昨今の格差社会という言い方にも現れているが、若者や低収入者の労働条件が極めてわるい。経済的に、文化的に、時代の大きな変換期はとっくに来ているのは明らかで、それが今回安保法制として政治レベルで実現されたというべきなのだろう。ではその変換・転換というのは、どこからどこへ、というのだが、それがよく見えないので苛つくのである。国会をとりまくデモ隊も、そうしたわけもわからない焦燥感から、戦争反対、徴兵制反対などというアナクロニックなスローガンを発しているに違いない。
 もっと具体的にいうと中国の台頭である。中国は今「一帯一路」と言って、シルクロード経済ベルトと21世紀海上シルクロードを構築しつつあり、その一端が南シナ海岩礁の基地化である。ペルシャ湾からインド洋、マラッカ海峡など、世界の海上交通路を自国の経済利権の中に封じ込めようとしており、これがアメリカとの確執となり、日本の懸念として顕在化しているのである。
 おそらくこうした動きは、国家を超えるべきユウロが停滞していること、民主的であるべき中東アラブが、底なしの紛争に見舞われているように、平和な世界統一への希望が、破綻し、再び冷戦時代を呼び戻しているかのような状況と軌を一にしていると思う。
 中国やロシアが戦勝国記念の式典を大々的に開こうと計画しているらしい。戦勝国の理念、あるいは利権とはなんなのか、問うべきである。我々敗戦国日本は戦後世界の理想を憲法前文に表現したが、その意味をもう一度検討する必要があるのだと思う。【彬】

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