2013年6月24日のブログ「なぜ、中高年は山を目指すのか」の続編になります。
11月29日(日)。友人に誘われ、秩父地方のハイキングに参加した。参加者は中高年を中心とした7名のパーティー。ハイキングといえど、起伏大きく、岩場も多く、山登りをしている気分になる。
前のブログにも書きましたが、僕は、19歳から、大学の山登りのクラブに入りよく登山をしていた。だが、30歳の時、北アルプスで病にかかり遭難し、かろうじて救出されたのを機に山登りは一切やめた。これは自分への約束。
今回、山登りではなく、ハイキングだと自分に説得し参加した。快晴で小春日和。澄んだ空気。時折吹き抜ける乾いた風。晩秋の秩父の、のんびりした山行であった。僕は歩きながら考えていた。なぜ、人は山に登るのだろう?
自分のことを振り返る、
① 19~25歳のころは、どのような山でも、より速くコースを踏破することを目指した。
② 25~30歳は、より大きな山を、広範囲に山行することがいいことだと思っていた。
③ 山登りを止めてからは、山里歩き、低山ハイキングなどを楽しむ。そして、木々や野草を観察し、人と自然との関わりに気をとめるようになった。
① ②はスポーツ的。③は、文学的、ですかね。
今回の秩父の山を歩きながら、遠くの山を見て思う。あの山に自分の足で登り山の中に身を置きたい。元々そんな欲のようなものが人間にあるのだな。
「何故、中高年は山を目指すのか」。以前、マスコミがそんなテーマを取り上げていた。
「何故なら、登りたいから登る。」である。
絵は今回、秩父地方でのハイキング。 2015年11月30日 岩下賢治