ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

山里の秋とアケビ

2016年10月12日 | 日記

 10月10日の体育の日。涼しくなったので玉川上水沿いをランニングした。道沿いの木々や草花に秋を感じる。秋という季節、東京生まれの僕でも山里への郷愁のようなものを感じる。そして、走りながら、頭の中には、蔓から下がるアケビの実が浮かんでくる。

 13年間暮らした茨城が、第二の故郷のようなのだ。当地の山里をランニングするコース沿いには、今の季節、アケビの実が豊かだ。住宅の垣根や塀越にもアケビの蔓が伸び、実を覗かせる。僕の頭には、山里の秋とアケビは対となって刻まれている。幼少の頃、絵本でアケビをみていたとき、大人からこんなことを言われた。「アケビというのはとても甘くておいしい果物なんだよ。でも、山の奥にあって人間の手が届かない。お猿さんしかたべることができないんだよ。」山奥の貴重な果物というイメージがインプットされたまま意識の底に沈んでいた。だから、茨城で普通に存在するアケビを見つけると、蔓ごと採ってきて、絵に描いたりしていた。僕に限らず、アケビは、秋をテーマとした絵のモチーフとさえることが多いようではあるが。

 東京でアケビを見ることはほとんど無い。スーパーで稀に見かける程度。

 先日、筑波山にハイキングに出かけ、地元産の野菜果物の売店にアケビの実が並んでいた。だがアケビは蔓に下がる風景が秋を感じさせてくれる。

 自分の住む小金井市は、自然が多く、散歩する時は、ありえないと思いながらも、どこかにアケビがないかと探してしまう。そんな時、先日、ある住宅の玄関先に、植木としての、アケビに酷似した植物を見つけた。葉の形状、実の形、大きさ、似てはいるが違うのだ。それは、今まで見たこともない、珍しい植物。家人に尋ねたいところだがそれも出来ない。本当はアケビを植木にしたいがそれが出来ぬのでその代わりとして植えているんじゃないか、というご主人の気持ちを想像する。僕と同じ嗜好をお持ちだな。そう思えてならない。

 絵は茨城のアケビを思い出し描いたもの。

    2016年10月12日  岩下賢治

 

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