イヌツゲの上にはびこるヒルガオです。
四方田犬彦氏が雑誌に小説を発表したというので早速買って読んだ。新潮八月号「鳥を放つ」420枚。
地方から上京し、東都大学に入学した瀬能明生は、教科書や参考書を求め、新入学生で賑わう教養学部のキャンパスにいた。
「彼は上機嫌だった。借りたばかりのアパートの近くで、家庭教師の口が見つかった。これからの大学生活が何不自由なく、円滑に進んで行くような気持ちがした。その先には曖昧ではあるが、未来が誇らしげなふりをして彼を待っているように思われた。」
その彼が突然トラブルに巻き込まれる。構内から学外に出る人気のない木立の間を歩き出したところ、4人の男に取り囲まれ、「おい、木村。こんなところにいたのか」と問い詰められる。過激派政治党派の活動員と間違われ、拉致されそうになったのである。暴行を受け、草叢に倒れこんだところに、運良くフランス語クラスの同級生、未紀と麻希の2人に見咎められ、危うく危機を脱することができた。
物語はこの二人の女性と、クラスメイトである3人のフランス語仲間と、そして見間違えられた〈木村〉という見知らぬ人物を背負っての、学生時代から壮年の今に至る出来事が展開されて行く。
構成は
第1章 東京1972 第2章 パリ1980 第3章 東京1984 第4章 アンタナナリヴォ エピローグ 東京2012 、となっている。この章立てを見れば明らかなように、ベトナム戦争後の、各国における学生運動の激化、その後の左翼思想の衰退、その間隙をついたフランス現代思想の席巻とニューアカデミーと言われた思想状況の顛末などが、東京での出来事とフランスでの出来事とを繋いで展開されているだろうことが即座に想像できよう。
当時の、フーコーやデリダをはじめ、綺羅星のようなフランス哲学はどこに行ってしまったのか?
作者の四方田氏は、フランス文学に造詣の深かった由良君美について書いた「先生とわたし」や、学生運動の内部について書いた「ハイスクール1968」で衝撃を与えた人であリ、自身、当時の社会情勢の真ん中にいた方である。評価の仕方はいろいろだろうが、わたしは薦めたい作品である。
なお、この小説の終わり方が独特で、特記に値すると思うので紹介しておく。エピローグは次のように始められる。
「地下鉄の永田町駅を出て、坂を上っていると、後ろから名前を呼ぶ声が聞こえた。私たちが振り返ってみると、黒いコート姿の関がすぐ後ろにいて微笑していた。その表情から誰も何も話さなくとも、同じ場所に行こうとしていることがわかった。今日は芸術選奨の授賞式で、私たちは村野の受賞を祝おうと、会場のホテルに向かっていた。」
終章のここで「私たち」というからには、語り手は当然主人公である瀬能明生が中心だろう、と思う。ところが瀬能は私たちの中に全く入っておらず、というか欄外にいて、パーティ会場にいるのを「瀬能じゃないか。よくきてくれたなあ。いったい今までどうしていたんだい」と呼び掛けられ、瀬能はただ微笑しているだけで、何も言わなかった、となっているのである。いったい私たちというのは誰を指すのか? 物語の主体が混乱してくるのであるが、おそらくこれは作者が意図して構成したものであって、題名と関わりのあるものと思われる。
「鳥を放つ」というのは二匹(双子)の鳥が別々に飛び立つということであって、一方の鳥は幻鳥だったということ。瀬能は青春という一方の鳥が、いつのまにか幻想の中に囚われて、そして精神の病を彷徨する。それが東京・パリ・マダカスカル(アンタナナリヴォ)であり、そして同級生だった未紀もまた青春という鳥をうまくな放てずにニューヨークで客死するのであった。
強い残像を残す作品である。【彬】