何回か前に使用した画像の再掲です。シイノミは、煎ると外皮が割れ、白い子房が現れます。
用事で出かけたついでに、回り道をして役所の植込みの側を通った。すると、歩道のあちこちに、黒くツヤツヤしたシイノミが落ちている。台風の風に煽られたのかもしれないが、しかし完全に熟している。
私は腰を屈めて、両手いっぱいに拾い集めた。そしてフライパンで煎って、晩酌のツマミとした。美味いものではないが、香ばしく仄かな甘みがある。
同じように以前、シイノミを拾っていたら、通りがかった年配の女性が、何を拾っているのですか、何に使うのですか、食べられるのですか、と怪訝な様子。都会に育った人なのだろうか。シイノミを食べたことがないなんて!
田舎で育ったせいではないが、私は道路側や公園、あるいは屋敷の庭に植えられた実のなるの木々や草花に興味がわく。例えば、グミ、ウメ、キイチゴ、ハナモモ、ビワ、オリーブ、ギンナン、カキなどなど。家内にも教えたものだから、夏の初めに公園から大量のクサイチゴを摘んできて、旨くもなんともないものだからジャムに煮込んでいた。
シイノミを食べるのは、昔を懐しむからではない。栄養があるからでもない。ではなぜ食べるのかというと、野生に馴染むというのか、太古の祖先の記憶に触れるというのか、そういう感じである。また季節を感じるというのもその1つだろうか。
植物学者で探検家でもある中尾佐助さんによると、アジアでは古くから、家の周りに実のなる木を植える風習があるという。「栽培植物と農耕の起源」(岩波新書)より。実のなるものに興味があるのは、そうした流れの中に生きているせいもあるかもしてない。
私は花よりも実にに関心があるのだ。【彬】