ヤブツバキの下絵です。漫画と絵の違いは何かと言えば、漫画は色をつけるだけだが、絵は色で表現することだ。この下絵が絵になりますように。
2月5日、森喜朗・東京オリンピック組織員長の発言が問題になっている。
朝日新聞によると「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「女性っていうのは競争意識が強い」と言ったという。これは女性蔑視であり、オリンピック精神に反するという。日本だけでなく、諸外国や大使館から避難のメッセージが殺到しているらしい。本当だろうか。森さんの発言が女性蔑視を促す言葉だとは到底思えない。何を誤解しているのか、あるいは誤解するように促す何かがあるのだろうか。
女性が入っている会議は時間どころか、調整に手間取るのは森さんだけの経験ではないだろう。特に女性同士の調整に手間取ることが多い。男にとってはどうでもいいことが、井戸端会議らしく、女同士間で微妙なやりとりが必要なことは、私たちの日々の暮らしの中でよくあることだ。この女同士の調整に上手な男の人が、重宝がられることは、日本人なら誰でも経験していることである。
この発言が日本だけでなく、ヨーロッパを中心にした諸外国で問題視されていると報じられている。嘘をつけ。報じているメディアはニューヨークタイムズとかで、その記事を書いている記者は日本人か、あるいは日本人記者からの引用ではないのか。あるいはそうした風潮=ポリティカルコレクトネスの尻馬に乗る軽薄な人たちだ。
男女は同権だが、心理は男女が別だ。それが性というものだ。その性意識が政治的な場面で、できるだけ出さないようにするのが、知性だ。しかし目立ちがり屋は、逆にわざと強調したがる。性意識を抑制するのは、むしろ女性側が引き受けるべき問題なのだ。それを男の差別意識に理由づける、これこそ本末転倒であり差別である。
私たちは長年、公共の場におけるタテマエ主義を廃し、ホンネで物事を語ろうとしてきた。そうしないと実質性が伴わないからである。賄賂とか忖度とか、そういう言い方はやめて、ホンネで問題を対処することが大切だとしてきたのである。
ところが今、ポリティカルコレクトネスとかと言ったタテマエに翻弄されている。時代の逆行を感ずる。
私は森さんを支持するわけではないが、こんなつまらない言辞に角を立てるのではなく、どうしたらオリンピックが正常に開催できるのか、そのことを本気で追跡するのがジャーナリズムの本義だろう。【彬】