ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

友人の死

2023年03月20日 | 日記

               満開のユキヤナギ

 歳をとってくると、親しくしていた人の死亡通知が届くようになる。死ぬべき年齢がきたのだから、死ぬのは当たり前で、私はつらい想いはあまり持たないほうだが、しかし死に対して、どのように対処してよいか、本当はわからない。悲嘆の情が湧かないし、と言って平然としているわけにもいかない。
 昔、文学者で追悼の名人などという人がいたが、必ずしもそれがよいとも思わない。
 田舎だと地域にそれなりの風習があって、あれやこれや考えずにやり過ごすことができた。だが、都会では地域の風習が当てはまらない。我々、田舎からでて都会民となって、墓をお持たない人も多いから、葬儀らしいものも行われない。家族葬と称してひっそりと送り出す他はない。コロナで蟄居を強いられていたこともあって余計にその傾向がある。
 特定の宗教に帰依している人は別だが・・・。でもキリスト教の葬儀などで讃美歌などを歌うのは全く御免だ。
 宗教を離れ、親しい仲間同士でお別れ会を開くこともできるが、さてお別れ会というのは、どのようにひらけば良いのか。そのような適切な施設があるものなのか。ホテルなど高価な場所は憚れる。都会の葬儀をどのように執行らばよいのか、遺族だけの問題ではなく、友人としても対処の仕方が難しい。
 著名人の場合は、一層、難しいのだろう。
 大江健三郎さんが亡くなった。誰かがお別れ会を計画するに違いない。誰が主宰するのか。作家、言論人、著名人として、大江さん対する想いもさまざまだろう。私にも賛否を含め色々な想いがある。だから、どのように会を設定するのか。主催者は難しいと思う。
 少子化対策など次の世代に対する考えばかりでなく、終焉する世代の、思想、文化など諸々、どうすべきかが、今日の成熟化した時代の大きなテーマのような気がする。【彬】

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