アサガオ
朝日新聞の政治記者が先の都知事選での、蓮舫と共産党との関係について、その動向をSNS上でコメントしたら、蓮舫から激しい反論が出て、訴訟するなどと騒ぎになっている。
政治を志す人が、あれやこれやの毀誉褒貶を暴かれたことで、本人が眉毛を吊り上げているのには呆れ返るほかないが、同時に新聞記者が所属の会社を明記して、これは会社とは関係のない個人の見解などとSNS上に投稿しているのをいくつか見聞するが、これにも違和感を禁じ得ない。
個人の見解なら個人でやればいいのに、わざわざ社名を登録している。なぜ個人そのものでやれないのか。バックにビッグな社がついていることで、コメントの信ぴょう性を高めたいのか。これは、ジャーナリズムに身を置いている人の禁じ手である。というのは、新聞記者というのは、一つの特権を有していて、たとえば記者クラブに登録すると、取材名目でどこにでも出入れできる身だからである。だから取材して得た情報は個人の情報であると共に社のものでもある。社として報ずればいいのである。社として取り入れてくれないのであれば、社を辞めて、その価値ある情報を報道できる場所を探すほかない。これがジャーナリズムの基本である。
現在、新聞やTVが衰退しているのは、記者や編成する人の、報道し、制作する姿勢に問題があるからである。私たち受け手は意義のある情報を求めている。だからマスメディアからツイッターなどSNSに視線を移動しているのだ。
テレビの報道番組でも気になる。たとえばフジTV系の番組に朝日新聞の論説委員とかが出演して高説をのべる。TBSなども同様。これは、どういうことか。朝日新聞の論説委員なら、同系列のテレビ朝日に出演すればいい。社員コードや記者コードは機能していないのか、経営者はなんの指示も出していないのか。報道の自由とか、言論の自由とか、能書を述べる前に、ジャーナリストは特権の持ち主なのだと、自覚すべきである。【彬】