東京生まれのゆきたんくにとって、日光という響きは修学旅行の何者でもない。
旅は旅でも修学の着く旅行である。学校での生活態度はとてもじゃないが、修学の姿勢などありゃぁしない。
その日光で一番きれいだなと思うのが写真の「陽明門」だ。
別称「日暮門」と言って、一日中見ていても飽きないという例えがある。
そして、良いものには必ず、打ち消すような自称が添えられる。
『禍福倚伏 かふくいふく』
災いと福が表裏一体となって交互に出現する。
『禍福糾縄 かふくきゅうぼく』
「禍福は糾える縄のごとし」ならば聞いたことがあるだろう。
『禍福得喪 かふくとくそう』
災いにあったり、幸せにあったり、出世して位を得たり、また位を失ったり
このことわざがと、陽明門の竣工が近いのか、かけ離れているのかは調べてはいないが、完璧はやきりよくないと思っている人が多いだろう。
ゴルフでホールインワンを出した日には、一緒に回っていたメンバーに奢るとか、マージャンで九連宝燈(ちゅうれんぽうとう)という最高の手で上がった日には、その麻雀牌を焼き捨てねばならないとか聞いたことがある。
これは、良いことの後には、必ず悪いことが起こることを示してはいないだろうか。
良いことが大きいほど、悪いことも大きく、それを分けて軽くしようという意味合いがあるのではないかと思うのだ。
そう、陽明門の話だった。察しのよい方ならば陽明門の柱に触れると思っていらっしゃるだろう。
その通りでございます。
陽明門も、その美しさから「完璧に作り上げてしまうとよろしくない。 」
ことから、柱の1本をわざわざ逆さまに取り付けたというのはご存知でしょう。
では、ご覧下さい。
こちらの模様が正しい。
これが逆さまに建てられた柱だ。