三連休である。
ただ、自分は仕事好きなので職場に行った。
食事は特に気にしない。
MECを続けているのだ。
肉・卵・チーズね。
朝は家でゆで卵2個食べた。
チーズの120gは帰ってから。
昼は、これ。
セブンイレブンの「豚の生姜焼き」140g。
電子レンジで温めるだけ。
これが300円ちょっとである。
この器のまま温めることができる。
あとすすすいで燃えないゴミで捨てるだけだ。
味も秀逸。
外食より断然安い。
様々な面でなかなかである。
三連休である。
ただ、自分は仕事好きなので職場に行った。
食事は特に気にしない。
MECを続けているのだ。
肉・卵・チーズね。
朝は家でゆで卵2個食べた。
チーズの120gは帰ってから。
昼は、これ。
セブンイレブンの「豚の生姜焼き」140g。
電子レンジで温めるだけ。
これが300円ちょっとである。
この器のまま温めることができる。
あとすすすいで燃えないゴミで捨てるだけだ。
味も秀逸。
外食より断然安い。
様々な面でなかなかである。
FBのタイムラインでもシェアした。
ゆきたんくのフィバリットアーティスト、マイク・オールドフィールド氏のデビューアルバム「チューブラーベルズ」のことだ。
チューブラーベルズ マグリットの絵のような不思議なジャケット。
この度、Web読者の投票による「史上最も素晴らしいインストゥルメンタル・アルバム TOP25」を海外のギター系音楽サイトUltimate-Guitar.Comが発表した。
プログレ、メタル、ジャズ、ゲーム、ポストロック、テクノなど幅広いジャンルの作品がランクインした中で、マイク氏の「チューブラーベルズ」が1位を獲得した。
日本では日の当たらないマイク氏だが、ヨーロッパでの支持は多い。
そしてライブは、プログレッシブロックというよりもクラシックに近い趣きも感じる。
彼の1974年の作品、セカンドアルバムのハージェストリッジがチャートの1位を獲得していた。
チューブラーベルズ発売後1年4か月後に、彼自身のハージェストリッジを蹴落として1位を獲得する。
その間のドラマとして、発売後7か月後に冒頭の部分が映画「エクソシスト」に使われる。
不幸なことに、日本では「エクソシストのテーマ」が先に入ってきたばかりにチューブラーベルズは恐怖映画の楽曲として周知されてしまった。
もっとも、ゆきたんくもオリジナルのチューブラーベルズを初めて聴いた時には、「何エクソシストかけているんだよぉ。」と思ったものだ。
全寮制高校の友人の部屋で遊んでいた。
ターンテーブルを持っている奴がいて、チューブラーベルズをかけたのだ。
なかなか曲が終わらず(パート1は25分)様々な展開をしているのに気がつき、元々チューブラーベルズはエクソシストとは違うのだということを知ったのだ。
まあ、「エクソシスト」も直訳は「悪魔祓い師」で映画中の怖い現象を指しているのではなく、いたいけな少女を悪魔から救うためのヒーローである神父のテーマであるのだ。
高校まで、買ったレコードは片平なぎさのデビュー曲「純愛」だけというゆきたんくが趣味としての音楽に目覚めたのである。
長い間、日本では市民権が得られなかったチューブラーベルズが素晴らしい曲であることをアピールできる状況になったのだ。
チューブラーベルズ誕生の地、旧ヴァージン・マナー・スタジオ 2003.08.09 → Map
憬れは、行動を起こす原動力であることは間違いない。
チューブラベルズを知って良かったと思うゆきたんくである。
ついでに、ここでも数回書いているがセカンドアルバムの「ハージェストリッジ」への憬れも実現した。
それが、実在の場所であったからだ。
イングランドとウェールズに跨る尾根。キングトンという町にある。2014.08.12 → Map
とにかく、チューブラーベルズが最高のインストゥルメンタル・アルバムに選ばれたことは、本当に嬉しい限りだ。
最後にロンドンオリンピックの開会式で流れたチューブラーベルズを。
Mike Oldfield - Olympic Games Opening Ceremony London 2012 [HD]
「ぺるり」って何だ。
ペルリ・・・?
今から1か月半前、ゆきたんくは伊豆七島のイベント「島じまん2016」に出かけていた。
38年ぶりに会う友人との飲み会が控えていた。
島じまん2016 …竹芝埠頭公園にて 2016.05.28
イベントと飲み会のインターバルを兄弟分と過ごしていた時だ。
「増上寺まで歩くか。」
インターバルを「お茶」にするか、「いきなりステーキ」(笑)にするか、いいおっさんが悩みながら歩いていたのだ。
増上寺の大門を抜けて、参道を歩くとそそられる喫茶店が数件。
芝大門の奥には東京タワー。
中を覗くと女性ばかりなのでスルー。
ついに増上寺の前まで来てしまった。
手前が公園になっているので案内図をみる。
「ペルリ提督の像」とかある。
なんだペルリってと思いながら近づく。
マシュー・ペリー提督のことだった。
今日7月14日は「ペリー上陸記念日」だったのである。
wikiより
1853(嘉永6)年、アメリカの4隻の黒船艦隊が江戸湾の浦賀沖に現れ、ペリー提督が久里浜に上陸して将軍への親書を渡しました。
蒸気船をお茶の銘柄・上喜撰にかけて太平のねむりをさます上喜撰たった四はいで夜もねられずと狂歌に詠まれるほど、江戸の街は大混乱となりました。
幕府は、翌年のペリー再来に備えて品川沖に6基の砲台(台場)を作りました。
翌年来航したペリーとの間で「日米和親条約」が結ばれ、日本の鎖国が終わりました。
誰もが知っているような知識でも、勉強嫌いだったゆきたんくにとっては刺激的なことであるのだ。
今更、小中学生には戻れないが少しでも埋めていければと思うのだ。
私は筋金入りの本嫌いだった。
今思えば、知識の宝庫である本をもっとたくさん読んでおけばと思った。
初めて読書が面白いと思ったのは、山崎豊子氏の「白い巨塔」だ。
当時大学生だった私は、「白い巨塔」上・下・続の3冊の本をボロボロになるまで読んだ。
その時は、田宮二郎氏主演でテレビドラマ化していた。
全寮制の東京都立秋川高等学校3年生に在学中だったが、大学受験のため自宅に戻っていて毎週見ていたのだ。
受験が終わり、寮も出て自宅に戻り、素晴らしい大学生活の始まりを期待していた。
ところが、母に病気が見つかったのだ。
というよりも、父も母も随分と前から気づいていたらしい。
1月6日の「白い巨塔」最終話の後にポツリと
「お母さんがああなったらどうする?」
あまり大きく受け止めていなかったゆきたんくは、「そうなる前に病院に行けばいいんだよ。」
「白い巨塔」はゆきたんくにとって読書のエポックとなった本だ。
母が亡くなる1週間前まで、父親は病名は教えてくれなかったが状態をみるにつけ悟ってしまったゆきたんくである。
「白い巨塔」を手掛かりに、様々な医学書を読み漁った記憶がある。
また、あれほど読み込んだ本はなかった。
現在、山崎豊子氏の「沈まぬ太陽」がWOWOWで初めて連続テレビドラマ化され放送中だという。
ゆきたんくの家でWOWOWが見れないが、「白い巨塔」以来の「沈まぬ太陽を読みたい」という飢餓感を覚えている。
どうにかして映像を見たい、そして本屋に走るだろうゆきたんくである。
今日のニュースである。
以前、東京医科歯科大学の実験で、毛髪の再生医療の話があった。
あと10年はかかるという話だった。
それがあと4年で可能になるという話である。
自分の毛髪の「種」を培養し、頭皮に植えれば脱毛症に悩む頭に髪がよみがえる――。そんな再生医療技術の実用化を目指すと、京セラと理化学研究所、医療ベンチャーのオーガンテクノロジーズ(東京)が12日発表した。神戸市を拠点に共同研究を進め、2020年の実用化を目標にする。
理研の辻孝チームリーダーの研究グループが開発した器官再生の技術を使う。自らの後頭部から採取した2種類の細胞で、髪の毛の種になる細胞の塊をつくる。これを医療機関などで培養して脱毛部分に外科手術で戻せば、「畑」にあたる頭皮の下で種が根づいて頭髪が生える仕組み。マウスでは12年に再生に成功しているという。
「体」も「髪の毛」もこの頃に戻れるか(笑)
きっと結構なお値段なんだろうねぇ・・・
自分のデスクに戻るとお菓子があった。
いつもゆきたんくが疲れたころ合いを見計らって差し入れをしてくれる。
今日の仕事はハードであった。
そこに優しい、胃にも優しいおせんべい(糖質は少しよ)。
本当に、有難うね。
毎日仕事に恵まれて時間が早く過ぎ去っていく。
これも幸せなんだと思う。
ただ、一つあの日のことを思い出した。
ギャップというのは、「嬉しいこと」ばかりでなく、「がっかりすること」もあるのだということ。
1週間前、国道6号を走っていた。
前の車を見ると、犬(実はゆきたんくの天敵)が気持ちよさそうに乗っているではないか。
くそぅ、犬のくせに(すねおの「のび太のくせに・・・」風)と思ったのだ。
気持ち良さそうなワンチャン。
風も吹いて、体感温度も下がる。
日も沈み、快適な夜になる。
と思って自宅に戻る。
車から出る。
確かに涼しくなっている。
自室で趣味にでもかまけようかと、扉を開けたら跳ね返されてしまった。
何に跳ね返されたかって?
熱気である。
窓を閉めたまま出かけたので室温の高いこと。
こりゃ、参ったわ・・・
2014年夏、ICEに乗りフランクフルトからケルンに向かった話は前に書いた。
そして、時間はかかるが、ライン川沿いの線を選んだ。(友人S氏のお勧め)
川と周囲の景色を楽しみながら、カメラおじさんをしながらの窓観光は楽しかった。
途中、ビンゲンからコブレンツの間で気になった巨岩を写した。
偶然写したローレライ。その距離(列車から岩まで)300m → Map
後で調べたら、あの有名なローレライではないか。
ローレライと知ってローレライと、知らないでみるローレライとでは、観察眼の深さが違うのではないか。
いつもの思い込みが始まった(笑)
「次は、ローレライをローレライと意識して観るぞ!」
別にそんなに力を入れなくてもいいじゃんか。
自分は、今そんなことを思いながらこの文を書いている(笑)
その機会は突然に訪れた。
2015年夏に、友人のОさんのお見舞いにデュッセルドルフに行くことになった。
もともОさんの企画での旅だったのだが、今回はОさんの計画通りにゆきたんくたちが旅をすることになった。
その中にライン川クルーズがあったのだ。
もしやと思ったら、ローレライを通る。
ザンクト・ゴアールスハウゼンからリューデスハイムまでの船旅である。
ローレライ像 → Map
wikiより
この岩山は、スイスと北海をつなぐライン川の中で、一番狭いところにあるため、流れが速く、また、水面下に多くの岩が潜んでいることもあって、かつては航行中の多くの舟が事故を起こした。 この「ローレライ付近は航行の難所である」ことが、「岩山にたたずむ美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまう」という伝説に転じ、ローレライ伝説が生まれた。
高さ130mの岩山である。
ローレライの表示
頂上にはローレライセンターがある。(船からは見えない) → Map
今回は、コース上に目的があったので他の迷惑にはならずに済んだのである。
ちなみに、船からローレライまでの距離は150m。
前回の半分になったのであった。
さて、ローレライを知って観るローレライとそうでないのと・・・
結局気持の差はほとんどなかったのであった。
これを性癖というのだろう。
何回か、このようなことについては投稿してきている。
今回のお話は、原子力発電所のお話。
お名前はミュールハイム-ケルリッヒ原子力発電所という。
1985年から1988年までの3年間働いて閉鎖された発電所だ。
そして、これを初めて見たのは、フランクフルトからケルンまで移動するICEの中からである。
車窓からの撮影。 2014.08.08 この写真は炉から200mほど。
周囲には民家もあり、自分の乗っている電車もこんなに近くを走っているのだから火力発電所だうと思っていた。
帰国して調べたら、原子力発電所とのこと。
さらに驚いたのは、一番近い町のヴァイセンツルムまでは300m程度なのだ。
そしてゆきたんくの乗っていた列車の線路から150mの距離だということだった。
そして悪い癖が。
「できるだけ近くにいきたい。」
そして、それは次の年に実現した。
ドイツの友人のお見舞いと旅行を兼ねていた。
コブレンツという町に2泊する。
この原子力発電所は近くだ。
この旅の運転手のN氏に「ミュールハイム-ケルリッヒ」にいきたい旨を告げた。
OKということで、さっそく胸の高鳴ったゆきたんくである。
前の日からわくわくである。
宿泊した部屋の窓から見当をつける。(自分で運転する訳ではないのに・・・)
どの方向だろうか。宿泊したホテル・メルキュールの窓から探す。
ミュールハイム・ケルリヒの表示が見えた。
そしてN氏の確かな運転によって到着した。
一番近くに近づいて撮ったた写真がこれ。200mくらいか。→ Map
かくして、自分の思いを遂げたゆきたんくである。(昨年と距離はあまり変わりない・・・)
同行者にとっては迷惑なことこの上ないか・・・
今日は七夕。
晴れなので年に一度のデートは成功するだろう。
まぁ、もともとは夫婦なのでデートというよりも、年に一度のお情けというか・・・
昨日「いきたいなあ」を投稿した。
今日は七夕ということで星空に思いをはせたかったが、お仕事がたっぷり。
本当にありがたい。
ただ、空の写真をゆっくりと撮れないので別の写真を用意した。
ゆきたんくの人生の中で、一番高い場所で見た星空である。
ベガとアルタイルが写っているかは分からない。
場所は多分「ペトロザボーツク」上空だ。 → Map
ロシアのカレリア共和国である。
写真はこれ。
モニターに現れた星たち。 2011.12.30
JAL機のモニターが雲で真っ白だったが、急に視界が開けて星が目に飛び込んできた時には感動した。
こんなにもたくさんの星をモニターを通した見れるとは思わなかったからだ。
地上で見た星空で一番きれいだったのは、岐阜・白川郷の「合掌造りの宿・伊三郎」の庭で見たやつだ。
三脚を立てて撮った。取れた写真は肉眼で見たのよりは随分と劣るが、素晴らしいできだと思う。
白川郷でみた星空 2007.08.08 → Map
いやぁ、夏の予定が立たない。
そう、仕事の予定はちゃんと入っているのだ。
休みの予定が立たないのである。
昨夏はヨーロッパに飛んだ。
この窓観光も楽しみなのだが・・・
今年は、どこに行くかというより、時間をどのように組み合わせるかができていないのだ。
考えてもしょうがないので、目の前のことを一つ一つ終了させていく。
空いた時間で、考えたい。
時間が空くと突発的な予定が飛び込んでくる。
「行きたいなぁ。」とタイトルを付けたが、いきたい場所の選定ができないのである。
ある意味贅沢な悩みではある。
ただ、暇がないだけでなくお金もあまりないのである。
さて、すでに通ってきた場所であるが再び通ることになるので前回はスルーした。
さて、空穴からの順番でいくと、まずは「さいの河原」。
「ひとつ積んでは父のため・・・」
とかいうのを聞いたことがあると思う。
ちゃんと積まれている。そしてお金まで・・・
全景といいましょうか・・・
そして、本物の氷と見間違えてしまう氷石。
名前を付けた人はよく考えたと思う。
氷石は空気が入っている氷によく似ている。
そして、次は500羅漢。
遠めに見て、「あぁ、見える」かなと思っていた自分がいた。
本当に羅漢がいるように見える。
そのうちの一つ。
鍾乳石は見方によっては様々なものに見える。
時間をかけて散策し、名前を付けるのも楽しいかもしれない。
さて、そうしているうちに夢世界の不二洞とさようならの時が来た。
最後はなぜか、出口の上部分で頭をぶつけるゆきたんくである。
まるで夢の中だったような気がする。
年間通して一定の温度である不二洞。
夏は涼しく、冬はあたたかく。
そう、この出口から外は暑いのである。
「灯の柱」から「空穴」へ向かう。
ここから少し下に下がるのだが、足が随分と滑りそうになる。
狭くて下っていて滑る・・・
運動靴は必須。
不二洞で熊の白骨死体が見つかったことがある。
山の穴に落ちたのだ。
その場所が不二洞の中側から見ることができる。
それが「空穴」である。
カメラの感度を上げて見た。
小学生の集団が、光が漏れてくる穴をみている。
穴の下には、外から入ってきた落ち葉が散乱している
上を見上げて撮ってみた。
落ち葉。この辺りに熊の骨があったという。
そして、空穴からのお客様にコウモリがいるという。
この日は、何匹か飛んでいるを見ることができた。
休憩しているコウモリも、カメラでゲットできた。
コウモリゲット。
さて。音楽堂の次のランドマークは「弘法の杖」だ。
この「弘法・・・」と「六地蔵」から真言宗に関係がありそうだ。
「弘法の杖」の次は「蓮華の塔」。
とにかく鍾乳石の立派な塔である。
スタイル抜群の蓮華の塔。
2016年ヴァージョン。ライトアップで感じが変わる。
仏教の中では教えを具現化した花として蓮華が登場する。
「泥の中に根を張りながら、泥にまみれることなく美しい花を咲かせる姿が、仏教の教えと一致する」という考えからだ。
仏像はハスの花を象った蓮台に座っている。
日蓮和尚は釈尊の悟りの世界が妙法蓮華経の五文字にあるとし、南無妙法蓮華経と唱えるべしと教えた。
とすれば、この「蓮華の塔」は洞内で一番美しい鍾乳石であると考えてよい。
新しい生命を感じされる名前である。
三途の川とか、死出のとか続いた後、音楽堂で口直し、そして次は「生湯の滝」である。
この名前は安心できる。
そして次に現れたのが・・・
「灯の柱」、「手洗い鉢」、「ごおおうの計り」の3点セット。
「灯の柱」は天井と床に繫がっている立派な鍾乳石だ。
「手洗い鉢」は生湯に赤ちゃんを浸からせた後、手を洗うのを連想できる。
そして計りで赤ちゃんの体重でも計るのか。
2016年、赤いライトアップヴァージョン。
鍾乳洞の中に音楽堂?
音楽堂。
この写真の壁を叩くことで、様々な音が出る。
もっとも、最初に行った2011年と、今年2016年では音が違う。
何かしら、強く叩いた方がいたみたいで、鍾乳石のどこかが破損したのだそうだ。
この壁の中が空洞になっていて、その空間の広さや壁の厚さで音色が変わって聞こえる。
2011年5月8日撮影の動画を用意した。
音楽堂のコンディションは良い。
fujido-music-hall