韓国が反日的である一方、台湾が親日的なのはなぜか。
日本が両者と関わるようになった近代史の起点を振り返れば理解できますよというのが私の答えと説いておられるのは、拓殖大学学事顧問・渡辺利夫。
日清戦争での勝利により清国から割譲された海外領土が台湾。日本が台湾に足を踏み入れた時点では、台湾は典型的な異質社会であった。群族は原住民を山間地に追いやり相互に耕地と支配権を奪い合う「分類械闘」といわれる殺伐たる状況下にあった。
清国は、台湾の開発には関心がなく、天子の徳の及ぶことのない蕃地「化外の地」として放置。
日本が新たに領有することになったこの島には、清国兵と現地住民よりなる反日武装勢力、「土匪」と呼ばれるアウトロー集団が存在、これを排除するために、日本は台湾で「もう一つの日清戦争」を戦わざるを得なかった。
その制圧に成功した日本を待っていたのは、社会の末端を深く冒していた熱帯病と「アヘン禍」で、台湾は文字通り「難治の島」だった。
しかし、初期の難題を克服すれば、その後の開発を遮るものがなかった。
児玉と後藤は自ら描いたデザイン通りに開発を進め、全島の隅々にわたる社会統合を史上初めて実現することができた。
以来、終戦に至るまで日本の社会秩序と社会規範が定着した。
日本の台湾放棄の後、国共内戦を経て本土を追われ台湾を占領した国民党の苛烈な政治があったが、李登輝氏による民主化の時代に入った。
対照的に朝鮮はどうだったか。
日本の統治が朝鮮に及ぶ以前の500年余、朝鮮は李朝と呼ばれる厳たる王朝国家であった。
その時代は、支配エリート「両班」の中に強い観念「小中華思想」が刻み込まれていて、中華の本流は満族の清朝にではなく、実に「我に在り」と考えられたのだそうです。すざましい自分勝手な妄想ですね。
中華をより純化したものが朝鮮の小中華思想。日本は小中華の埒外、朝鮮よりはるかに劣る道徳も正義もない「蛮夷」とみなされたと、渡辺氏。
中華思想で中国に朝貢を収めていた朝鮮(半島国家で常に近隣の雄国の侵略にさらされていた)では、中国に朝鮮より遠い位置にある日本は、朝鮮より野蛮な国とみなされていたという説はよく聞きますが、小中華思想で、清より朝鮮が中華の本流と考えていたとの説は初めて聞きました。
清は出自が本流(漢民族)ではないとの説はよく聞きますが。。
李王朝国家の支配エリート「両班」の中にあった強い観念「小中華思想」のなかで、蛮夷・日本に併合されたのでしたが、終戦による棚ぼたで独立国家となった朝鮮。
現在の韓国の知識人、左派政治家、官僚エリートはその観念において紛れもなく新しき両班なのであろうと渡辺氏。
自らを侵した日本、日本と同盟関係にある米国と手を組んで大韓民国を作ってしまった。これは道義において許し難い。文在寅氏の感覚はそういうものに違いないと。
なので、反日の旗を降ろすことは自らの正統性を棄却するに等しいのであろうとも。
「過去史清算」とか「積弊清算」とかいう物言いの文在寅大統領と、現在の韓国の知識人、左派政治家、官僚エリート。
日本は韓国には客観的事実を伝えるだけでいい。他方、台湾にはその親日感情に甘えるのみでいいのか。なすべき外交をなさないでいいはずがないと渡辺氏。
大人の寛容な姿勢で臨んできた日本の対韓外交姿勢。
それに対し、常に約束を反故にしゴールポストを動かし、日本のすねをかじり続ける南朝鮮。
堪忍袋の緒を切らした姿勢を見せ、一旦間を置く安倍政権とトランプ政権の姿勢を、遊爺は支持します。
# 冒頭の画像は、李登輝元総統
カイノキの紅葉
↓よろしかったら、お願いします。
日本が両者と関わるようになった近代史の起点を振り返れば理解できますよというのが私の答えと説いておられるのは、拓殖大学学事顧問・渡辺利夫。
【正論】「反日韓国 親日台湾」由来は何か 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫 - 産経ニュース 2019.11.6
韓国が反日的である一方、台湾が親日的なのはなぜか、としばしば問われる。“日本が両者と関わるようになった近代史の起点を振り返れば理解できますよ”というのが私の答えである。
≪近代史の起点振り返る≫
日清戦争での勝利により清国から割譲された海外領土が台湾である。日本が台湾に足を踏み入れた時点、この島に住まっていたのはマレーポリネシア系の原住民と対岸の福建・広東から移住してきた言語と習俗の違う諸群族であり、台湾は典型的な異質社会であった。群族は原住民を山間地に追いやり相互に耕地と支配権を奪い合う殺伐たる状況下にあった。「分類械闘」といわれる。分類とは原籍を異にする者、械闘とは格闘、闘争のことである。コレラ、ペストなどの熱帯病も蔓延(まんえん)していた。
清国は1684年に台湾を福建省台湾府として自国領とした。しかし台湾の開発には関心がなく、天子の徳の及ぶことのない蕃地(ばんち)「化外の地」として放置した。日本が新たに領有することになったこの島には政治も社会統合も不在であった。統治開始のためには、清国兵と現地住民よりなる反日武装勢力、「土匪(どひ)」と呼ばれるアウトロー集団を排除しなければならない。日本は台湾で「もう一つの日清戦争」を戦わざるを得なかった。その制圧に成功した日本を待っていたのは、社会の末端を深く冒していた熱帯病と「アヘン禍」であった。台湾は文字通り「難治の島」だった。台湾の開発が軌道に乗り始めたのは、総督・児玉源太郎、民政長官・後藤新平が着任して以降のことである。
台湾には日本が継承すべき歴史や文化は何もなかった。しかし、このことは初期の難題を克服すれば、その後の開発を遮るものがなかったことを意味する。実際、児玉と後藤は自ら描いたデザイン通りに開発を進め、全島の隅々にわたる社会統合を史上初めて実現することができた。以来、第二次大戦での日本の敗北による「台湾放棄」に至るまでの間に、日本が台湾に根付かせたものが、日本の社会秩序と社会規範であった。
≪支配エリート「両班」の観念≫
台湾放棄の後、台湾を占領した国民党の苛烈な政治、38年に及ぶ戒厳令下で、日本時代の社会秩序と社会規範は崩れ去ったかにみえたが、李登輝氏による民主化の時代に入るとともに記憶が鮮やかに蘇(よみがえ)り、台湾アイデンティティの淵源(えんげん)となった。
対照的に朝鮮はどうか。日本の統治が朝鮮に及ぶ以前の500年余、朝鮮は李朝と呼ばれる厳たる王朝国家であった。この時代に支配エリート「両班」の中に強い観念「小中華思想」が刻み込まれた。形式上は清国に「事大」するものの、中華の本流は満族の征服王朝・清朝にではなく、実に「我に在り」と考えられた。中華より中華的なるもの、中華をより純化したものが朝鮮の小中華思想である。日本は小中華の埒外(らちがい)、朝鮮よりはるかに劣る道徳も正義もない「蛮夷」とみなされた。あろうことか、朝鮮はこの蛮夷・日本に併合されたのである。
李氏朝鮮は朱子学を原理とする圧倒的な専制国家であった。妻は夫に従い、子は親に従い、身分の低いものは高いものに従う。この血族道徳が政治道徳となっては、民は王を取り巻く支配エリートに盲従する以外に生きる道はない。
血族社会原理が政治統治原理となれば、これはもう一元的専制主義と同義である。この時代の朝鮮には「奪う者と奪われる者」しか存在しなかった。この間、中産階層が生まれることはついぞなかった。ここに身分制の廃止、私有財産の不可侵、契約自由の原則などを持ち込んだのが日本であったが、これは支配エリートには既得権益の侵害以外の何ものでもなかった。日本統治は彼らには心底受け入れ難いものであった。
≪日本のなすべき外交は≫
大戦敗北により日本が統治を放棄、韓国の「光復」がやってきた。しかしたかだか36年の統治により500年以上も続いた観念が払拭されるはずもない。現在の韓国の知識人、左派政治家、官僚エリートはその観念において紛れもなく新しき両班なのであろう。統治時代の「対日協力者」が清算されず、独立運動家たちは建国の主役になれなかった。新たな権力者となった李承晩や朴正煕は反共主義者として朝鮮分断の道を歩み、自らを侵した日本、日本と同盟関係にある米国と手を組んで大韓民国を作ってしまった。これは道義において許し難い。文在寅氏の感覚はそういうものに違いない。
反日の旗を降ろすことは自らの正統性を棄却するに等しいのであろう。エリート達は韓国は「間違って作られた国」だと考えていると李●薫教授は指摘する。そうに違いない。「過去史清算」とか「積弊清算」とかいう物言いは、そういう彼らのセンチメントを政治用語化したものなのであろう。
日本は韓国には客観的事実を伝えるだけでいい。他方、台湾にはその親日感情に甘えるのみでいいのか。なすべき外交をなさないでいいはずがない。(わたなべ としお)
●=火を横に二つ並べ下にワかんむりに水
韓国が反日的である一方、台湾が親日的なのはなぜか、としばしば問われる。“日本が両者と関わるようになった近代史の起点を振り返れば理解できますよ”というのが私の答えである。
≪近代史の起点振り返る≫
日清戦争での勝利により清国から割譲された海外領土が台湾である。日本が台湾に足を踏み入れた時点、この島に住まっていたのはマレーポリネシア系の原住民と対岸の福建・広東から移住してきた言語と習俗の違う諸群族であり、台湾は典型的な異質社会であった。群族は原住民を山間地に追いやり相互に耕地と支配権を奪い合う殺伐たる状況下にあった。「分類械闘」といわれる。分類とは原籍を異にする者、械闘とは格闘、闘争のことである。コレラ、ペストなどの熱帯病も蔓延(まんえん)していた。
清国は1684年に台湾を福建省台湾府として自国領とした。しかし台湾の開発には関心がなく、天子の徳の及ぶことのない蕃地(ばんち)「化外の地」として放置した。日本が新たに領有することになったこの島には政治も社会統合も不在であった。統治開始のためには、清国兵と現地住民よりなる反日武装勢力、「土匪(どひ)」と呼ばれるアウトロー集団を排除しなければならない。日本は台湾で「もう一つの日清戦争」を戦わざるを得なかった。その制圧に成功した日本を待っていたのは、社会の末端を深く冒していた熱帯病と「アヘン禍」であった。台湾は文字通り「難治の島」だった。台湾の開発が軌道に乗り始めたのは、総督・児玉源太郎、民政長官・後藤新平が着任して以降のことである。
台湾には日本が継承すべき歴史や文化は何もなかった。しかし、このことは初期の難題を克服すれば、その後の開発を遮るものがなかったことを意味する。実際、児玉と後藤は自ら描いたデザイン通りに開発を進め、全島の隅々にわたる社会統合を史上初めて実現することができた。以来、第二次大戦での日本の敗北による「台湾放棄」に至るまでの間に、日本が台湾に根付かせたものが、日本の社会秩序と社会規範であった。
≪支配エリート「両班」の観念≫
台湾放棄の後、台湾を占領した国民党の苛烈な政治、38年に及ぶ戒厳令下で、日本時代の社会秩序と社会規範は崩れ去ったかにみえたが、李登輝氏による民主化の時代に入るとともに記憶が鮮やかに蘇(よみがえ)り、台湾アイデンティティの淵源(えんげん)となった。
対照的に朝鮮はどうか。日本の統治が朝鮮に及ぶ以前の500年余、朝鮮は李朝と呼ばれる厳たる王朝国家であった。この時代に支配エリート「両班」の中に強い観念「小中華思想」が刻み込まれた。形式上は清国に「事大」するものの、中華の本流は満族の征服王朝・清朝にではなく、実に「我に在り」と考えられた。中華より中華的なるもの、中華をより純化したものが朝鮮の小中華思想である。日本は小中華の埒外(らちがい)、朝鮮よりはるかに劣る道徳も正義もない「蛮夷」とみなされた。あろうことか、朝鮮はこの蛮夷・日本に併合されたのである。
李氏朝鮮は朱子学を原理とする圧倒的な専制国家であった。妻は夫に従い、子は親に従い、身分の低いものは高いものに従う。この血族道徳が政治道徳となっては、民は王を取り巻く支配エリートに盲従する以外に生きる道はない。
血族社会原理が政治統治原理となれば、これはもう一元的専制主義と同義である。この時代の朝鮮には「奪う者と奪われる者」しか存在しなかった。この間、中産階層が生まれることはついぞなかった。ここに身分制の廃止、私有財産の不可侵、契約自由の原則などを持ち込んだのが日本であったが、これは支配エリートには既得権益の侵害以外の何ものでもなかった。日本統治は彼らには心底受け入れ難いものであった。
≪日本のなすべき外交は≫
大戦敗北により日本が統治を放棄、韓国の「光復」がやってきた。しかしたかだか36年の統治により500年以上も続いた観念が払拭されるはずもない。現在の韓国の知識人、左派政治家、官僚エリートはその観念において紛れもなく新しき両班なのであろう。統治時代の「対日協力者」が清算されず、独立運動家たちは建国の主役になれなかった。新たな権力者となった李承晩や朴正煕は反共主義者として朝鮮分断の道を歩み、自らを侵した日本、日本と同盟関係にある米国と手を組んで大韓民国を作ってしまった。これは道義において許し難い。文在寅氏の感覚はそういうものに違いない。
反日の旗を降ろすことは自らの正統性を棄却するに等しいのであろう。エリート達は韓国は「間違って作られた国」だと考えていると李●薫教授は指摘する。そうに違いない。「過去史清算」とか「積弊清算」とかいう物言いは、そういう彼らのセンチメントを政治用語化したものなのであろう。
日本は韓国には客観的事実を伝えるだけでいい。他方、台湾にはその親日感情に甘えるのみでいいのか。なすべき外交をなさないでいいはずがない。(わたなべ としお)
●=火を横に二つ並べ下にワかんむりに水
日清戦争での勝利により清国から割譲された海外領土が台湾。日本が台湾に足を踏み入れた時点では、台湾は典型的な異質社会であった。群族は原住民を山間地に追いやり相互に耕地と支配権を奪い合う「分類械闘」といわれる殺伐たる状況下にあった。
清国は、台湾の開発には関心がなく、天子の徳の及ぶことのない蕃地「化外の地」として放置。
日本が新たに領有することになったこの島には、清国兵と現地住民よりなる反日武装勢力、「土匪」と呼ばれるアウトロー集団が存在、これを排除するために、日本は台湾で「もう一つの日清戦争」を戦わざるを得なかった。
その制圧に成功した日本を待っていたのは、社会の末端を深く冒していた熱帯病と「アヘン禍」で、台湾は文字通り「難治の島」だった。
しかし、初期の難題を克服すれば、その後の開発を遮るものがなかった。
児玉と後藤は自ら描いたデザイン通りに開発を進め、全島の隅々にわたる社会統合を史上初めて実現することができた。
以来、終戦に至るまで日本の社会秩序と社会規範が定着した。
日本の台湾放棄の後、国共内戦を経て本土を追われ台湾を占領した国民党の苛烈な政治があったが、李登輝氏による民主化の時代に入った。
対照的に朝鮮はどうだったか。
日本の統治が朝鮮に及ぶ以前の500年余、朝鮮は李朝と呼ばれる厳たる王朝国家であった。
その時代は、支配エリート「両班」の中に強い観念「小中華思想」が刻み込まれていて、中華の本流は満族の清朝にではなく、実に「我に在り」と考えられたのだそうです。すざましい自分勝手な妄想ですね。
中華をより純化したものが朝鮮の小中華思想。日本は小中華の埒外、朝鮮よりはるかに劣る道徳も正義もない「蛮夷」とみなされたと、渡辺氏。
中華思想で中国に朝貢を収めていた朝鮮(半島国家で常に近隣の雄国の侵略にさらされていた)では、中国に朝鮮より遠い位置にある日本は、朝鮮より野蛮な国とみなされていたという説はよく聞きますが、小中華思想で、清より朝鮮が中華の本流と考えていたとの説は初めて聞きました。
清は出自が本流(漢民族)ではないとの説はよく聞きますが。。
李王朝国家の支配エリート「両班」の中にあった強い観念「小中華思想」のなかで、蛮夷・日本に併合されたのでしたが、終戦による棚ぼたで独立国家となった朝鮮。
現在の韓国の知識人、左派政治家、官僚エリートはその観念において紛れもなく新しき両班なのであろうと渡辺氏。
自らを侵した日本、日本と同盟関係にある米国と手を組んで大韓民国を作ってしまった。これは道義において許し難い。文在寅氏の感覚はそういうものに違いないと。
なので、反日の旗を降ろすことは自らの正統性を棄却するに等しいのであろうとも。
「過去史清算」とか「積弊清算」とかいう物言いの文在寅大統領と、現在の韓国の知識人、左派政治家、官僚エリート。
日本は韓国には客観的事実を伝えるだけでいい。他方、台湾にはその親日感情に甘えるのみでいいのか。なすべき外交をなさないでいいはずがないと渡辺氏。
大人の寛容な姿勢で臨んできた日本の対韓外交姿勢。
それに対し、常に約束を反故にしゴールポストを動かし、日本のすねをかじり続ける南朝鮮。
堪忍袋の緒を切らした姿勢を見せ、一旦間を置く安倍政権とトランプ政権の姿勢を、遊爺は支持します。
# 冒頭の画像は、李登輝元総統
カイノキの紅葉
↓よろしかったら、お願いします。
これが奇妙にも現代の北朝鮮と南韓という形になって再び現われています。
古代の東アジア戦乱期に乗じてシベリアの遊牧民族と中国系移民者が半島にやって来て、高句麗、百済、新羅の歴史を作るようになったのです。
これらの野蛮さに耐えられなかった先住民たちは、閨秀島と本州島に避難するしかありませんでした。
乞食が押しかけてきて、家主を追い出し、その乞食が本来大家になりすますのが、まさに朝鮮人たちだということです。
朝鮮の両班(ヤンバン)という支配層は、実際に中国から渡ってきた起源を持っており、自ら中華だと考えたことは、論理的に間違っているわけではありません。
韓国の現代既得権らは、中国との関連を通じて再び21世紀の両班(ヤンバン)を再現しようとしています。