今回の日米首脳会談と共同声明は、時代の流れが大きく転換する基点となると説いておられるのは、元産経新聞北京特派員の福島香織さん。
共同声明の最大の意義は、やはり「台湾」に関する表現が1969年11月の佐藤栄作・ニクソン会談以来52年ぶりに日米共同声明に盛り込まれた、という点だろう。各主要メディアもそのように報じたと福島さん。
今回の声明にある「台湾」は、台湾海峡という固有の「地名の一部であり、台湾という「国」を表現したものではないと福島さん。この点も、多くの専門家が指摘しておられるところですね。
米中の関係が大きく変化するとき、地政学的に「台湾」がクローズアップされる。今回の声明も半世紀後に、あの時が国際社会の「大変局」の1つの基点であったと感慨をもって振り返ることになるかもしれないと。
1969年のニクソン・佐藤の日米首脳会談は、中国の国際社会デビューが決まり、そして台湾が国際社会における孤児の運命をたどることが決まった。
その後、半世紀、中国は日米の支援を得て大国になったが、日米の望むような自由アジアのメンバーにはならず、それどころか世界の自由社会の脅威になった。
日米は、この怪物のような大国を育んでしまったツケをどのように払うべきかという問題に直面してきたが、その答えが今回の共同声明であり、台湾への言及は、やはり米国から日本へ対中政策の大変更のシグナルととらえるべきであると福島さん。
日本は台湾を含む同盟国、地域の安全保障のために防衛力強化を約束し、また米国は核兵器を含むあらゆる手段で尖閣防衛に協力することを承諾したと。
時代の流れが大きく転換する基点となる日米首脳会談であり共同声明であったとも。
中国自身が、おそらくはそのことを一番よくわかっていたはずだ。それだけに反応は、慎重にロジックで攻めてきている。
中国は国連の看板を掲げて、正義は我にあり、と主張してきたと。
中国側の反論は、日米首脳会談直後に海南島で開催されたアジア版ダボス会議とよばれる「博鰲(ボアオ)アジアフォーラム」開幕式における習近平によるビデオ演説が下敷きになっているのだそうです。
それは、日米同盟を「小圏子」と呼ぶ一方で、「一帯一路」沿線国家のグループを「朋友圏」とよび、明らかに世界の中心を日米と争う意思を見せた演説。「小圏子」が中国をデカップリングするというなら、より強大でポテンシャルのある一帯一路朋友圏で対抗するという宣言なのだと。
国連は、これまでは第2次大戦の最大の戦勝国、米国をリーダーとしてきたが、今後は中国が中心であり、時代はパックス・アメリカーナからパックス・シニカに変わる、という習近平の主張。
留意すべきは、中国はまだ日本を一帯一路朋友圏に引き込みたいと考えているらしい、ということだと福島さん。
RCEP調印の意義はほかでもない、韓国と日本を中国朋友圏に取り込むことである。韓国は完全に米国の同盟国から中国朋友圏に引っ越した。
日本は調印はしましたが、TPP11の世界標準化を目指していて、英国他台湾、タイ等の加入検討に加え、中国も検討をほのめかせているのは、諸兄がご承知の通りです。
中国のTPP参加「ハードル高いがかなり本気」の理由 | 海外特派員リポート | 小倉祥徳 | 毎日新聞「経済プレミア」
今回の日米共同声明で残念に思うのは、せっかく半世紀に一度の歴史的な声明として人々の記憶に残るであろうこの声明文書が、米国の主導でまとめられ、日本は米国の言いなりになって署名しただけだという印象を対外的に与えた点だと福島さん。
そういう印象を与えるのは、声明発表前の共同記者会見での菅首相の受け答えの弱さにも原因があると。
菅さんのキャラなのか、媚中・二階氏の影響なのでしょうか。
こういう、そこはかとない日本の迷いを中国はやはり見逃していない。独立系メディア「観察者網」に掲載された論評では、「米国についていって、日本は覚悟ができているのか?」と、気遣うように問いただしている。日本に対して正面から非難し恫喝するのではなく、こういう変化球で攻めてくるときの中国は要注意だと。
非核三原則否定や、防衛費増や、中国の経済的デカップリングによる企業が被るであろう不利益は、うまく世論誘導すれば、反米世論にすり替わる。親米か親中かという世論分断は日本で十分に起こり得る素地があるのだ。民主主義社会に対する世論分断は政治を混乱させる最大の中国の戦略だと福島さん。
フィリップ・デービッドソン太平洋軍司令官は人民解放軍建軍100周年の2027年前に中国による台湾進攻の恐れがある、と警告した。台湾進攻は、尖閣侵攻もセットであることは、衆知のこととなってきていますね。
日本は台湾防衛に協力する覚悟ができているか?
尖閣諸島を守るために血を流す覚悟ができているか?
中国を各種産業サプライチェーンから外していく経済的痛みに耐える覚悟はできているか?
米国の外圧に負けてそうなった、というのではなく、自らの覚悟でそういう道を選択したと、答えられるようにしておかねば、日本は足元をすくわれると福島さん。
媚中派の二階氏などの国会議員、オールド偏向メディア、国益より目先の自社の経済利益を優先する経済界等に、中国の世論戦がどこまで浸透しているのかが気がかりです。
# 冒頭の画像は、記者会見した菅首相とバイデン大統領
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共同声明の最大の意義は、やはり「台湾」に関する表現が1969年11月の佐藤栄作・ニクソン会談以来52年ぶりに日米共同声明に盛り込まれた、という点だろう。各主要メディアもそのように報じたと福島さん。
「煮え切らない日本」を引き込みたい中国のたくらみ 歴史的日米共同声明を発するも、中国への気遣いが見え隠れ | JBpress(Japan Business Press) 2021.4.22(木) 福島 香織
日米首脳会談が4月16日に行われ、菅首相、バイデン大統領が共同声明を発表した。この共同声明の最大の意義は、やはり「台湾」に関する表現が1969年11月の佐藤栄作・ニクソン会談以来52年ぶりに日米共同声明に盛り込まれた、という点だろう。各主要メディアもそのように報じた。
今回の声明には「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」という表現が盛り込まれている。
69年の声明には、「中共がその対外関係においてより協調的かつ建設的な態度をとるよう期待する点において双方一致していることを認めた。大統領は、米国の中華民国に対する条約上の義務に言及し、米国はこれを遵守するものであると述べた。台湾地域における平和と安全の維持も、日本の安全にとって極めて重要な要素であると述べた」とある。
今回の声明にある「台湾」は、台湾海峡という固有の「地名の一部であり、台湾という「国」を表現したものではない。1969年の声明の「台湾」は、当時、国連にも加盟していた中華民国の臨時政府が置かれる地域名であった。なので、比較するのはおかしい、という意見もあるようだが、国際社会の枠組みに大きな変化が起きるとき、特に米中の関係が大きく変化するとき、地政学的に「台湾」がクローズアップされるのだということを思い起こせば、今回の声明も半世紀後に、あの時が国際社会の「大変局」の1つの基点であったと感慨をもって振り返ることになるかもしれない。
時代の流れの転換点となる理由
1969年の日米首脳会談は、沖縄返還(尖閣諸島を含む)と繊維貿易問題が大きなテーマだったが、この会談にはもう1つの目玉があった。それは、ニクソンが佐藤に対し、「アジア政策について自由アジアと共産アジアの間に壁をつくる考えはなく、むしろいつの日か、その間に橋をかけることが必要である」という表現で対中政策変更のシグナルを送ったことだった。つまり、この会談で、中国の国際社会デビューが決まり、そして台湾が国際社会における孤児の運命をたどることが決まったのだ。
その後、半世紀、中国は日米の支援を得て大国になったが、日米の望むような自由アジアのメンバーにはならず、それどころか世界の自由社会の脅威になった。日米は、この数年の間、この怪物のような大国を育んでしまったツケをどのように払うべきかという問題に直面してきた。
その答えが今回の共同声明であり、台湾への言及は、やはり米国から日本へ対中政策の大変更のシグナルととらえるべきである。自由社会の脅威となった中国を自由社会圏から切り離し、インドアジア太平洋の自由社会の橋頭堡・台湾を日米で守ろう、という意志を確認したものだ、といえる。
さらに安全保障に関わる部分では、「日本は同盟および地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。米国は、核を含むあらゆる種類の米国の能力を用いた日米安全保障条約の下での日本の防衛に対する揺るぎない支持を改めて表明した。米国はまた、日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用されることを再確認した。日米両国は共に、尖閣諸島に対する日本の施政を損おうとするいかなる一方的な行動にも反対する」と表現。つまり、日本は台湾を含む同盟国、地域の安全保障のために防衛力強化を約束し、また米国は核兵器を含むあらゆる手段で尖閣防衛に協力することを承諾した。
佐藤栄作が1967年に打ち出し、ノーベル平和賞の受賞理由にもなった非核三原則(核兵器を「作らず、持たず、持ち込ませず」)を事実上否定する内容であるが、多くの国民は、これを非難するより、むしろ日本が尖閣諸島に至るまでしっかりと米国の核の傘で守られていることが確認されて、ほっとしたのではないだろうか。
こうした点から考えても、やはり時代の流れが大きく転換する基点となる日米首脳会談であり共同声明であった、というべきだろう。
中国は国連の看板を掲げて「正義は我にあり」
中国自身が、おそらくはそのことを一番よくわかっていたはずだ。それだけに反応は、いつものヒステリックな恫喝ではなく、慎重にロジックで攻めてきている。
例えば、直接的な反応としては、外交部報道官の汪文斌が次のようにコメントしている。
「まず、世界にシステムがあるとすれば、国連を核心とする国際体系だけである。ルールがあるとすれば国連憲章を基礎とする国際関係の基本準則だけである。米国、日本とも国際社会の代表ではなく、国際秩序を定義する資格もなければ、ましてや自身のスタンダードを他者に無理強いする資格などない。米日が自由開放をうそぶくのは、“小圏子(小グループ)”を作って集団を扇動し対抗しているだけであり、これこそが地域の平和安定の本当の脅威であり、国際規則秩序をほしいままに破壊していることなのだ。
66年前のバンドン会議で、平和5原則を基礎にして、国家間の関係を扱う10原則が提示された。それは今に至るまで、国際関係を導く重要な意義を持つ。これは、団結し分裂しない、平等であり覇権を求めない、協力し対立しないことが、時代の発展的潮流に合致し、歴史の実践的検証に耐えうるということを十分に説明している」
「さらに、人権問題については、日米両国は中国人民と世界に対してツケを負っている。日本は前世紀に侵略戦争によってアジア国家に、特に中国人民に深刻な災難をもたらした。日本国内では今もこれを否定し、侵略行為を美化する言動がある。米国も長期にわたってみだりに戦争を起こしてきた。21世紀だけでも、対外戦争で80万人以上の死者を出し、そのうち平民の死者数は30万人を超える。日米がすべきことは、切実に自分たちの侵略行為と他国の人権に対する誤った侵犯を反省し正すことであり、人権派を装い中国の内政に干渉することではない。人権問題を口実に他国のイメージを中傷し、その国の安定を破壊し、発展を抑制すれば、中国人民も世界人民も納得しない。
日本が急いで行うべきは、周辺国家と国際社会の関心事を正視し、世界人民の生命と健康に責任を負い、放射能汚染水の海洋放出を即刻停止し、人にも自らにも不利益となる行動をやめることである」
「第3に、感染症への対策は、科学的精神をもって各国が協力することが必要だ。米国は感染予防を政治化し、他国に汚名を着せ、責任を転嫁している。これは米国人民に沈痛な代償を支払わせているだけでなく、国際的な感染予防協力の障害にもなり、足かせになっている。米日は感染予防問題の政治化をやめて、命を大切にし、科学を尊重して国際感染予防協力促進のために実のあることを行い、面倒ごとを起こさないようにすべきだ」
中国が国連の看板を掲げて、正義は我にあり、と主張してきたのだ。
日本を自陣営に引き込みたい中国
こうした中国側の反論は、日米首脳会談直後に海南島で開催されたアジア版ダボス会議とよばれる「博鰲(ボアオ)アジアフォーラム」開幕式における習近平によるビデオ演説が下敷きになっている。
今年の博鰲アジアフォーラムのテーマは「ハイクオリティな一帯一路共同建設」であり、習近平の開幕演説では、目下の国際情勢を「100年に一度の大変局と世紀のパンデミックが交錯する中、世界は大きな変革期に突入した」と定義。日米同盟を「小圏子」と呼ぶ一方で、「一帯一路」沿線国家のグループを「朋友圏」とよび、明らかに世界の中心を日米と争う意思を見せた演説だった。「小圏子」が中国をデカップリングするというなら、より強大でポテンシャルのある一帯一路朋友圏で対抗するという宣言である。
中国としては、100年ぶりの国際秩序再構築に向けた変動期において、一帯一路朋友圏こそが新たな国際社会の主役であると考えている。これぞ「パックス・シニカ」の世界観だ。国連は、これまでは第2次大戦の最大の戦勝国、米国をリーダーとしてきたが、今後は中国が中心であり、時代はパックス・アメリカーナからパックス・シニカに変わる、というわけだ。
ここで留意すべきは、中国はまだ日本を一帯一路朋友圏に引き込みたいと考えているらしい、ということだ。
博鰲アジアフォーラム開幕演説でもRCEP(地域的な包括的経済連携)調印に触れている。RCEP調印の意義はほかでもない、韓国と日本を中国朋友圏に取り込むことである。韓国は完全に米国の同盟国から中国朋友圏に引っ越した。では、日本はどうか。米国と離間させ、中国側に引きずり込むことができるのか。中国にとってRCEPはその取っ掛かりである。
「覚悟」がなければ足元をすくわれる
私が今回の日米共同声明で残念に思うのは、せっかく半世紀に一度の歴史的な声明として人々の記憶に残るであろうこの声明文書が、米国の主導でまとめられ、日本は米国の言いなりになって署名しただけだという印象を対外的に与えた点だ。
そういう印象を与えるのは、声明発表前の共同記者会見での菅首相の受け答えの弱さにも原因がある。たとえば新疆の人権問題について「対中制裁に参加するか」を問われたとき、「新疆ウイグル地区の状況についても、わが国の立場や取り組みについてバイデン大統領に説明し、理解を得られた」と逃げた。おそらくは新疆綿を含め、日本企業と新疆産農産物の関わりの深さを説明して、すぐにはデカップリングに応じられないという立場を説明したのではないだろうか。
台湾問題にしても、台湾という言葉を盛り込むならば、台湾海峡ではなく、もっと明確に台湾防衛に日本がコミットすることを書き込んでもよかったはずだし、米国はそれを求めたであろうが、そこは濁してしまった。
こういう、そこはかとない日本の迷いを中国はやはり見逃していない。独立系メディア「観察者網」に掲載された論評では、「米国が日本に絶えず圧力をかけて、共同声明の中に台湾と人権問題を含めるよう要求」して、日本がその要求をのまされたとして、同情的にみており、朝日新聞の論評記事を引用しながら「日本が米国に引きずられる立場から抜け出さなければ、外交、経済、安全保障など総合的な戦略を決める上で、外交の幅はますます狭くなるだろう」「米国についていって、日本は覚悟ができているのか?」と、気遣うように問いただしている。日本に対して正面から非難し恫喝するのではなく、こういう変化球で攻めてくるときの中国は要注意だ。
日本の現在の世論は強い反中感情に傾いているが、非核三原則否定や、防衛費増や、中国の経済的デカップリングによる企業が被るであろう不利益は、うまく世論誘導すれば、反米世論にすり替わる。親米か親中かという世論分断は日本で十分に起こり得る素地があるのだ。民主主義社会に対する世論分断は政治を混乱させる最大の戦略だ。
だからこそ、今回の日米共同声明の意味をきちんと日本国民は受け止めて、今後の世界の枠組みがどのように構築されるのか、日本がその中でどのような役割を担うかを、自らの意志で選択していかねばならない。
フィリップ・デービッドソン太平洋軍司令官は人民解放軍建軍100周年の2027年前に中国による台湾進攻の恐れがある、と警告した。日本は台湾防衛に協力する覚悟ができているか? 尖閣諸島を守るために血を流す覚悟ができているか? 中国を各種産業サプライチェーンから外していく経済的痛みに耐える覚悟はできているか? そう問われて、米国の外圧に負けてそうなった、というのではなく、自らの覚悟でそういう道を選択したと、答えられるようにしておかねば、日本は足元をすくわれる。
日米首脳会談が4月16日に行われ、菅首相、バイデン大統領が共同声明を発表した。この共同声明の最大の意義は、やはり「台湾」に関する表現が1969年11月の佐藤栄作・ニクソン会談以来52年ぶりに日米共同声明に盛り込まれた、という点だろう。各主要メディアもそのように報じた。
今回の声明には「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」という表現が盛り込まれている。
69年の声明には、「中共がその対外関係においてより協調的かつ建設的な態度をとるよう期待する点において双方一致していることを認めた。大統領は、米国の中華民国に対する条約上の義務に言及し、米国はこれを遵守するものであると述べた。台湾地域における平和と安全の維持も、日本の安全にとって極めて重要な要素であると述べた」とある。
今回の声明にある「台湾」は、台湾海峡という固有の「地名の一部であり、台湾という「国」を表現したものではない。1969年の声明の「台湾」は、当時、国連にも加盟していた中華民国の臨時政府が置かれる地域名であった。なので、比較するのはおかしい、という意見もあるようだが、国際社会の枠組みに大きな変化が起きるとき、特に米中の関係が大きく変化するとき、地政学的に「台湾」がクローズアップされるのだということを思い起こせば、今回の声明も半世紀後に、あの時が国際社会の「大変局」の1つの基点であったと感慨をもって振り返ることになるかもしれない。
時代の流れの転換点となる理由
1969年の日米首脳会談は、沖縄返還(尖閣諸島を含む)と繊維貿易問題が大きなテーマだったが、この会談にはもう1つの目玉があった。それは、ニクソンが佐藤に対し、「アジア政策について自由アジアと共産アジアの間に壁をつくる考えはなく、むしろいつの日か、その間に橋をかけることが必要である」という表現で対中政策変更のシグナルを送ったことだった。つまり、この会談で、中国の国際社会デビューが決まり、そして台湾が国際社会における孤児の運命をたどることが決まったのだ。
その後、半世紀、中国は日米の支援を得て大国になったが、日米の望むような自由アジアのメンバーにはならず、それどころか世界の自由社会の脅威になった。日米は、この数年の間、この怪物のような大国を育んでしまったツケをどのように払うべきかという問題に直面してきた。
その答えが今回の共同声明であり、台湾への言及は、やはり米国から日本へ対中政策の大変更のシグナルととらえるべきである。自由社会の脅威となった中国を自由社会圏から切り離し、インドアジア太平洋の自由社会の橋頭堡・台湾を日米で守ろう、という意志を確認したものだ、といえる。
さらに安全保障に関わる部分では、「日本は同盟および地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。米国は、核を含むあらゆる種類の米国の能力を用いた日米安全保障条約の下での日本の防衛に対する揺るぎない支持を改めて表明した。米国はまた、日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用されることを再確認した。日米両国は共に、尖閣諸島に対する日本の施政を損おうとするいかなる一方的な行動にも反対する」と表現。つまり、日本は台湾を含む同盟国、地域の安全保障のために防衛力強化を約束し、また米国は核兵器を含むあらゆる手段で尖閣防衛に協力することを承諾した。
佐藤栄作が1967年に打ち出し、ノーベル平和賞の受賞理由にもなった非核三原則(核兵器を「作らず、持たず、持ち込ませず」)を事実上否定する内容であるが、多くの国民は、これを非難するより、むしろ日本が尖閣諸島に至るまでしっかりと米国の核の傘で守られていることが確認されて、ほっとしたのではないだろうか。
こうした点から考えても、やはり時代の流れが大きく転換する基点となる日米首脳会談であり共同声明であった、というべきだろう。
中国は国連の看板を掲げて「正義は我にあり」
中国自身が、おそらくはそのことを一番よくわかっていたはずだ。それだけに反応は、いつものヒステリックな恫喝ではなく、慎重にロジックで攻めてきている。
例えば、直接的な反応としては、外交部報道官の汪文斌が次のようにコメントしている。
「まず、世界にシステムがあるとすれば、国連を核心とする国際体系だけである。ルールがあるとすれば国連憲章を基礎とする国際関係の基本準則だけである。米国、日本とも国際社会の代表ではなく、国際秩序を定義する資格もなければ、ましてや自身のスタンダードを他者に無理強いする資格などない。米日が自由開放をうそぶくのは、“小圏子(小グループ)”を作って集団を扇動し対抗しているだけであり、これこそが地域の平和安定の本当の脅威であり、国際規則秩序をほしいままに破壊していることなのだ。
66年前のバンドン会議で、平和5原則を基礎にして、国家間の関係を扱う10原則が提示された。それは今に至るまで、国際関係を導く重要な意義を持つ。これは、団結し分裂しない、平等であり覇権を求めない、協力し対立しないことが、時代の発展的潮流に合致し、歴史の実践的検証に耐えうるということを十分に説明している」
「さらに、人権問題については、日米両国は中国人民と世界に対してツケを負っている。日本は前世紀に侵略戦争によってアジア国家に、特に中国人民に深刻な災難をもたらした。日本国内では今もこれを否定し、侵略行為を美化する言動がある。米国も長期にわたってみだりに戦争を起こしてきた。21世紀だけでも、対外戦争で80万人以上の死者を出し、そのうち平民の死者数は30万人を超える。日米がすべきことは、切実に自分たちの侵略行為と他国の人権に対する誤った侵犯を反省し正すことであり、人権派を装い中国の内政に干渉することではない。人権問題を口実に他国のイメージを中傷し、その国の安定を破壊し、発展を抑制すれば、中国人民も世界人民も納得しない。
日本が急いで行うべきは、周辺国家と国際社会の関心事を正視し、世界人民の生命と健康に責任を負い、放射能汚染水の海洋放出を即刻停止し、人にも自らにも不利益となる行動をやめることである」
「第3に、感染症への対策は、科学的精神をもって各国が協力することが必要だ。米国は感染予防を政治化し、他国に汚名を着せ、責任を転嫁している。これは米国人民に沈痛な代償を支払わせているだけでなく、国際的な感染予防協力の障害にもなり、足かせになっている。米日は感染予防問題の政治化をやめて、命を大切にし、科学を尊重して国際感染予防協力促進のために実のあることを行い、面倒ごとを起こさないようにすべきだ」
中国が国連の看板を掲げて、正義は我にあり、と主張してきたのだ。
日本を自陣営に引き込みたい中国
こうした中国側の反論は、日米首脳会談直後に海南島で開催されたアジア版ダボス会議とよばれる「博鰲(ボアオ)アジアフォーラム」開幕式における習近平によるビデオ演説が下敷きになっている。
今年の博鰲アジアフォーラムのテーマは「ハイクオリティな一帯一路共同建設」であり、習近平の開幕演説では、目下の国際情勢を「100年に一度の大変局と世紀のパンデミックが交錯する中、世界は大きな変革期に突入した」と定義。日米同盟を「小圏子」と呼ぶ一方で、「一帯一路」沿線国家のグループを「朋友圏」とよび、明らかに世界の中心を日米と争う意思を見せた演説だった。「小圏子」が中国をデカップリングするというなら、より強大でポテンシャルのある一帯一路朋友圏で対抗するという宣言である。
中国としては、100年ぶりの国際秩序再構築に向けた変動期において、一帯一路朋友圏こそが新たな国際社会の主役であると考えている。これぞ「パックス・シニカ」の世界観だ。国連は、これまでは第2次大戦の最大の戦勝国、米国をリーダーとしてきたが、今後は中国が中心であり、時代はパックス・アメリカーナからパックス・シニカに変わる、というわけだ。
ここで留意すべきは、中国はまだ日本を一帯一路朋友圏に引き込みたいと考えているらしい、ということだ。
博鰲アジアフォーラム開幕演説でもRCEP(地域的な包括的経済連携)調印に触れている。RCEP調印の意義はほかでもない、韓国と日本を中国朋友圏に取り込むことである。韓国は完全に米国の同盟国から中国朋友圏に引っ越した。では、日本はどうか。米国と離間させ、中国側に引きずり込むことができるのか。中国にとってRCEPはその取っ掛かりである。
「覚悟」がなければ足元をすくわれる
私が今回の日米共同声明で残念に思うのは、せっかく半世紀に一度の歴史的な声明として人々の記憶に残るであろうこの声明文書が、米国の主導でまとめられ、日本は米国の言いなりになって署名しただけだという印象を対外的に与えた点だ。
そういう印象を与えるのは、声明発表前の共同記者会見での菅首相の受け答えの弱さにも原因がある。たとえば新疆の人権問題について「対中制裁に参加するか」を問われたとき、「新疆ウイグル地区の状況についても、わが国の立場や取り組みについてバイデン大統領に説明し、理解を得られた」と逃げた。おそらくは新疆綿を含め、日本企業と新疆産農産物の関わりの深さを説明して、すぐにはデカップリングに応じられないという立場を説明したのではないだろうか。
台湾問題にしても、台湾という言葉を盛り込むならば、台湾海峡ではなく、もっと明確に台湾防衛に日本がコミットすることを書き込んでもよかったはずだし、米国はそれを求めたであろうが、そこは濁してしまった。
こういう、そこはかとない日本の迷いを中国はやはり見逃していない。独立系メディア「観察者網」に掲載された論評では、「米国が日本に絶えず圧力をかけて、共同声明の中に台湾と人権問題を含めるよう要求」して、日本がその要求をのまされたとして、同情的にみており、朝日新聞の論評記事を引用しながら「日本が米国に引きずられる立場から抜け出さなければ、外交、経済、安全保障など総合的な戦略を決める上で、外交の幅はますます狭くなるだろう」「米国についていって、日本は覚悟ができているのか?」と、気遣うように問いただしている。日本に対して正面から非難し恫喝するのではなく、こういう変化球で攻めてくるときの中国は要注意だ。
日本の現在の世論は強い反中感情に傾いているが、非核三原則否定や、防衛費増や、中国の経済的デカップリングによる企業が被るであろう不利益は、うまく世論誘導すれば、反米世論にすり替わる。親米か親中かという世論分断は日本で十分に起こり得る素地があるのだ。民主主義社会に対する世論分断は政治を混乱させる最大の戦略だ。
だからこそ、今回の日米共同声明の意味をきちんと日本国民は受け止めて、今後の世界の枠組みがどのように構築されるのか、日本がその中でどのような役割を担うかを、自らの意志で選択していかねばならない。
フィリップ・デービッドソン太平洋軍司令官は人民解放軍建軍100周年の2027年前に中国による台湾進攻の恐れがある、と警告した。日本は台湾防衛に協力する覚悟ができているか? 尖閣諸島を守るために血を流す覚悟ができているか? 中国を各種産業サプライチェーンから外していく経済的痛みに耐える覚悟はできているか? そう問われて、米国の外圧に負けてそうなった、というのではなく、自らの覚悟でそういう道を選択したと、答えられるようにしておかねば、日本は足元をすくわれる。
今回の声明にある「台湾」は、台湾海峡という固有の「地名の一部であり、台湾という「国」を表現したものではないと福島さん。この点も、多くの専門家が指摘しておられるところですね。
米中の関係が大きく変化するとき、地政学的に「台湾」がクローズアップされる。今回の声明も半世紀後に、あの時が国際社会の「大変局」の1つの基点であったと感慨をもって振り返ることになるかもしれないと。
1969年のニクソン・佐藤の日米首脳会談は、中国の国際社会デビューが決まり、そして台湾が国際社会における孤児の運命をたどることが決まった。
その後、半世紀、中国は日米の支援を得て大国になったが、日米の望むような自由アジアのメンバーにはならず、それどころか世界の自由社会の脅威になった。
日米は、この怪物のような大国を育んでしまったツケをどのように払うべきかという問題に直面してきたが、その答えが今回の共同声明であり、台湾への言及は、やはり米国から日本へ対中政策の大変更のシグナルととらえるべきであると福島さん。
日本は台湾を含む同盟国、地域の安全保障のために防衛力強化を約束し、また米国は核兵器を含むあらゆる手段で尖閣防衛に協力することを承諾したと。
時代の流れが大きく転換する基点となる日米首脳会談であり共同声明であったとも。
中国自身が、おそらくはそのことを一番よくわかっていたはずだ。それだけに反応は、慎重にロジックで攻めてきている。
中国は国連の看板を掲げて、正義は我にあり、と主張してきたと。
中国側の反論は、日米首脳会談直後に海南島で開催されたアジア版ダボス会議とよばれる「博鰲(ボアオ)アジアフォーラム」開幕式における習近平によるビデオ演説が下敷きになっているのだそうです。
それは、日米同盟を「小圏子」と呼ぶ一方で、「一帯一路」沿線国家のグループを「朋友圏」とよび、明らかに世界の中心を日米と争う意思を見せた演説。「小圏子」が中国をデカップリングするというなら、より強大でポテンシャルのある一帯一路朋友圏で対抗するという宣言なのだと。
国連は、これまでは第2次大戦の最大の戦勝国、米国をリーダーとしてきたが、今後は中国が中心であり、時代はパックス・アメリカーナからパックス・シニカに変わる、という習近平の主張。
留意すべきは、中国はまだ日本を一帯一路朋友圏に引き込みたいと考えているらしい、ということだと福島さん。
RCEP調印の意義はほかでもない、韓国と日本を中国朋友圏に取り込むことである。韓国は完全に米国の同盟国から中国朋友圏に引っ越した。
日本は調印はしましたが、TPP11の世界標準化を目指していて、英国他台湾、タイ等の加入検討に加え、中国も検討をほのめかせているのは、諸兄がご承知の通りです。
中国のTPP参加「ハードル高いがかなり本気」の理由 | 海外特派員リポート | 小倉祥徳 | 毎日新聞「経済プレミア」
今回の日米共同声明で残念に思うのは、せっかく半世紀に一度の歴史的な声明として人々の記憶に残るであろうこの声明文書が、米国の主導でまとめられ、日本は米国の言いなりになって署名しただけだという印象を対外的に与えた点だと福島さん。
そういう印象を与えるのは、声明発表前の共同記者会見での菅首相の受け答えの弱さにも原因があると。
菅さんのキャラなのか、媚中・二階氏の影響なのでしょうか。
こういう、そこはかとない日本の迷いを中国はやはり見逃していない。独立系メディア「観察者網」に掲載された論評では、「米国についていって、日本は覚悟ができているのか?」と、気遣うように問いただしている。日本に対して正面から非難し恫喝するのではなく、こういう変化球で攻めてくるときの中国は要注意だと。
非核三原則否定や、防衛費増や、中国の経済的デカップリングによる企業が被るであろう不利益は、うまく世論誘導すれば、反米世論にすり替わる。親米か親中かという世論分断は日本で十分に起こり得る素地があるのだ。民主主義社会に対する世論分断は政治を混乱させる最大の中国の戦略だと福島さん。
フィリップ・デービッドソン太平洋軍司令官は人民解放軍建軍100周年の2027年前に中国による台湾進攻の恐れがある、と警告した。台湾進攻は、尖閣侵攻もセットであることは、衆知のこととなってきていますね。
日本は台湾防衛に協力する覚悟ができているか?
尖閣諸島を守るために血を流す覚悟ができているか?
中国を各種産業サプライチェーンから外していく経済的痛みに耐える覚悟はできているか?
米国の外圧に負けてそうなった、というのではなく、自らの覚悟でそういう道を選択したと、答えられるようにしておかねば、日本は足元をすくわれると福島さん。
媚中派の二階氏などの国会議員、オールド偏向メディア、国益より目先の自社の経済利益を優先する経済界等に、中国の世論戦がどこまで浸透しているのかが気がかりです。
# 冒頭の画像は、記者会見した菅首相とバイデン大統領
ミツマタの花
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