遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

2月 7日は、「北方領土の日」

2020-02-08 01:23:58 | ロシア全般
 2月7日は、「北方領土の日」です。
 日露戦争の講和条約として結ばれた「ポーツマス条約」で、二国間の国際条約で結ばれた日露間での領土は、樺太の南半分と千島列島を日本領土と定められました。
 しかし、太平洋戦争では、日本がポツダム宣言を受諾し降伏した後で、平和条約を一方的に破り北方四島を不法占拠したのはロシア。
 サンフランシスコ条約には参画していないロシアとの領土に関する二国間の合意は、1956年10月に鳩山首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで署名した「日ソ共同宣言」となり、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提で、改めて平和条約の交渉を行うという合意内容でした。
 その後、四島返還に向けて長年、交渉が続けられ、合意文書も交わされていました。
 その交渉を加速させると、お父様の遺志を継いで、森元首相の仲介でプーチン大統領との会談を嵩ね、期待を膨らませた安倍首相でした。
 しかし、2016年12月のプーチン氏の来日時から流れは逆流し始め、「日ソ共同宣言」の二島先行返還へ、更に今日では、ゼロ島返還へとロシアが翻弄する交渉結果となってしまっています。
 日本は、四島返還の歴史的正義の旗をなぜ自ら降ろしてしまわなければならないのでしょうか。

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北方領土交渉経緯

■日ソ共同宣言
1956年10月19日 鳩山首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで署名
 北方領土問題は、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提で、改めて平和条約の交渉を行うという合意
<追記挿入 ここまで>

■日ソ共同声明(1991年)
 1991年4月海部総理とゴルバチョフ大統領により署名された。
 北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて確認された。
 日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す。

■東京宣言(1993年)
 1993年10月、細川総理とエリツィン大統領により署名された。
 領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。
 また、日ソ間のすべての国際約束が、日露間で引き続き適用されることを確認した。

■クラスノヤルスク合意(1997年)
 1997年11月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致。

■川奈合意(1998年)
 1998年4月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致。

■イルクーツク声明(2001年)
 2001年3月、森総理とプーチン大統領により署名された。
 日ソ共同宣言が交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した。

■日露行動計画(2003年)
 2003年1月、小泉総理とプーチン大統領により採択された。日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎と認識し、交渉を加速することを確認した。

▽プーチン来日 過去を否定 (2005年11月)
 「 プーチン来日で惨敗の日本外交 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト

▽山口での首脳会談(2016年12月15日)
 北方4島で「特別な制度」の下での共同経済活動実現へ協議。

▽ロシア極東ウラジオストクでの東方経済フォーラム (2018年9月)
檀上で、プーチン大統領が突如平和条約交渉先行を呼びかけ。

▽シンガポールでの首脳会談(2018年11月14日)
 1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約交渉を加速。

▽ドイツ・ミュンヘンでの日露外相会談 (2019年2月17日未明)
 ラブロフ外相は、第2次世界大戦の正当な結果として北方領土がロシア領になったと認めるよう改めて強調。「日本が、4島を含む全てのクリル諸島(千島列島)の主権をロシアが有することなど、第2次世界大戦の結果を認めることが不可欠だ」と述べ、ゼロ島を主張。

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【主張】北方領土の日 四島返還要求に立ち戻れ 「対独戦勝記念日」参列するな - 産経ニュース 2020.2.7

 ロシアは旧ソ連の独裁者スターリンの「北方領土不法占拠」という国家犯罪にいつまで固執し続けるのか。被害者の日本は択捉、国後、色丹、歯舞の四島返還の歴史的正義の旗をなぜ自ら降ろしてしまわなければならないのか

 
2月7日は令和最初、通算40回目の節目の「北方領土の日」だ。今年で戦後75年もたつのに、戦後最初に被った国家主権・国益喪失事件である北方領土問題は解決のめどさえ立っていない。その理不尽な現実を国民一人一人が直視し返還に一丸となるべき時だ

 
安倍晋三首相は、7日に東京で催される「北方領土返還要求全国大会」で、潔く「四島返還」の原則に立ち戻って国民の結束を訴え、ロシアの異様性を国内外に広く発信してほしい。3日の参院予算委員会で首相は「四島は日本が主権を有する島」と明言した。大会の場でも力説すべきである。

≪領土交渉の破綻認めよ≫

 しかし
残念ながら、安倍政権は対露譲歩に転じたとみられている。一昨年11月、ロシアのプーチン大統領とのシンガポールでの首脳会談で四島全体の7%にすぎない歯舞、色丹の2島返還をうたった昭和31年の日ソ共同宣言に基づいて平和条約交渉を加速させる-ことで合意したからだ。

 四島は1855年2月7日に調印された日露通好条約で日本領土となった。政府はこの日を昭和56年1月の閣議了解で「北方領土の日」と定めた。
四島は他国に帰属したことは一度もない固有の領土だ。ところが、スターリンは終戦直前、日ソ中立条約を一方的に破り、日本がポツダム宣言を受諾し、降伏した後で四島に侵攻し、火事場泥棒的に不法占拠した

 
日露領土交渉はシンガポール会談以降、実質的に破綻したといわざるをえない。ロシアは相手が弱腰に出ると、足元を見て嵩(かさ)にかかって高飛車に出てくる。いまや、「第二次大戦の結果、北方領土は正式にロシア領になったと認めない限り交渉には応じない」「平和条約には領土問題は含めない。領土は条約締結後に話し合う」などと言いたい放題だ。「領土交渉の前提として将来の北方領土に米軍基地が置かれないことを文書で確約せよ」とまで要求している。

 谷内正太郎前国家安全保障局長は1月下旬、BSフジ番組でロシア側が領土問題を盛り込まない無条件の平和条約締結を求めている事実を認め「何らかの前進をみるためにほかにやることがあるのかというと、ない」と断言した。

 日露間では「共同経済活動」の難交渉が続いているが、これ自体が領土問題の障害になっているともいえる。この間も
ロシア側は四島海域で日本漁船を相次いで拿捕(だほ)し、罰金まで科している

 厚かましいことに、プーチン大統領は安倍首相に5月9日の対独戦勝75周年式典への招待状を送ってきた。スターリンがヒトラーを打ち破った日だが、第二次大戦はもともと、両独裁者が独ソ不可侵条約で結託し、東西からほぼ同時にポーランドを侵略したことが発端ではないか。首相がロシアの勝利を一方的に祝う手前勝手な式典に参列すれば、スターリンの四島占領を含む一連の戦争犯罪を認めることになってしまいかねない。参列はきっぱり断るべきだ。

≪展示館の国際的PRを≫

 1月下旬、
内閣官房が運営する「領土・主権展示館」が東京・霞が関で再開した。昨年まで日比谷公園にあったものを7倍の広さに拡充・移転した。従来展示していた韓国が不法占拠する竹島問題中国が領有を狙う尖閣諸島に新たに北方領土問題が加えられた。

 昨年来、
安倍政権が避けていた「不法占拠」「日本固有」などの用語も堂々と使われ、歴史的な経緯や現状をビジュアルも含めたふんだんな資料でわかりやすく解説している。

 ロシア外務省はすぐさまモスクワの日本大使館員を呼び出し、「前向きな雰囲気を作ろうとする日露首脳間の合意に反する」などと抗議した。
ロシア側の素早い反応を見れば、展示資料がいかに真実を物語っているか分かる

 国会議員はもちろん、在日露大使館や各国大使館、留学生、来日観光客もぜひ一度見学して真実を知ってほしい。全国の児童、生徒の修学旅行の必見スポットにするなど、幅広く利用される方法を考えるべきだ。
北方領土問題は日露2国間にとどまらず、戦後世界に残された国際問題なのである。

 「北方領土の日」の2月7日。社説で取り上げたのは、主要5紙では産経だけでした。
 新型コロナウイルスで騒然としているとは言え、国家の主権に係る領土問題。それを忘れないためのメモリアルディ。しかし、産経以外の偏向オールドメディアでは、すっかり忘れ去られています。

 民主党政権時代に、尖閣諸島近海での海保の巡視船と中国漁船との接近事件があり、日本の弱腰対応を観たメドベージェフ大統領(当時)による国家元首初の四島上陸となる、国後島上陸(10年11月)を許しました。

 そして、ゼロ島返還となった今日、メモリアルディなのに、北方四島について、日本のメディアから忘れ去られてしまっています。

 産経・主張は、シンガポール会談以降日露交渉は破綻したといっています。
 いろいろな時点が考えられますが、現状のロシアは、ゼロ島を主張していて、破綻しているのは衆目が一致するところです。
 ロシアは相手が弱腰に出ると、足元を見て嵩(かさ)にかかって高飛車に出てくるのは衆知のこと。更に、馬面にニンジンをぶら下げて翻弄するプーチン大統領の外交手管も有名。
 
 しかし、欧米諸国から制裁包囲網を敷かれていて、地下資源の輸出頼みのロシアの台所は火の車。
 欧州で絞られている天然ガスのアジアへの販路開拓を進め、中国へのパイプライン開通にこぎつけましたが、買いたたかれているのは、諸兄がご承知の通り。

 欧米主要国が経済精査網を敷く中、あえて経済支援の話を進めてきた日本。
 ゼロ島返還なら、経済支援も平和条約締結も要りません。
 しばらく冷却期間をおく時でしょう。

 7倍の広さに拡充・移転し再開された「領土・主権展示館」。
 ロシア外務省はすぐさまモスクワの日本大使館員を呼び出し、「前向きな雰囲気を作ろうとする日露首脳間の合意に反する」などと抗議したのだそうですね。前向きってどの口が言えるのでしょう。
 ロシア側の素早い反応を見れば、展示資料がいかに真実を物語っているか分かると、産経・主張。


 
 # 冒頭の画像は、ポーツマス条約時(1905年)の日本領


2月 7日は、北方領土の日


政府広報(北方領土問題) - YouTube




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ソ連が満洲に侵攻した夏 (文春文庫)


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