中国の不動産バブル崩壊が唱えられて久しいのですが、盛んに唱えられるわりには、耐えています。むしろ、バブル復活の気配さえみられます。
そこには「不動産バブルによる中国経済の人質論」というのがあって、不動産に多大な資金がつぎ込まれていて、崩壊からの延命を支えている実態があるのだそうです。
「不動産は経済だけでなく政府と民衆をも人質に取った」という声さえあるのだそうです。政府が金融支援で不動産バブルを維持するようなことは「毒薬を飲む」のと同じことだと分かっていながら、当面の中国経済の延命のために、それを飲み続けなければならないと指摘するのは、石平氏。
中国のGDPに占める不動産投資額の比率は20.7%に達しているのだそうです。日本は、1%にも満たないと言うのですから、異常な比率なのだと。
産業の「血液」ともいうべき銀行からの融資が、もっぱら、不動産市場へと流れていっていることを示し、伝統的な製造業やIT産業などの新興産業の生存と発展の余地を奪い、資源が産業にではなく、個人の不動産購入に集中的に費やされていることにもなり、国民経済の基幹であるもろもろの産業に対する金融支援が徹底的に細くなっているのだと。
更に、諸兄がご承知の通り、習近平は、国有大企業の保護を優先していて、鄧小平以来の中国経済発展を支えた、改革開放経済を受け継ぐ共青団派の李克強の唱える経済改革の、民間企業や経済の未来を担うべき新興産業には新規融資が疎かになっているのですね。
不動産業や不動産市場への銀行融資の集中は結局、中国の産業全体をダメにし、中国経済発展の未来を奪うこととなっているのだと。
そして問題なのは、政府がそのことは知っていながら、このような状況を変えることもできない点にあると、石平氏は指摘しておられます。
政府が金融支援を実体経済に向かわせるために不動産市場への融資を制限するようなことをしたら、たちまち「不動産バブルの崩壊」が生じ、更にそれは、中国経済の破滅に繋がっていく可能性が大きいため、政府が金融支援で不動産バブルを維持するようなことは「毒薬を飲む」のと同じことだと分かっていながら、当面の中国経済の延命のために、それを飲み続けなければならないのだと。
バブル崩壊のショック療法で、民間の活力を活かす経済への改革を唱える李克強の政策が無視され、国有企業の延命・復古を進める習近平(多大な失業者を産み社会不安を招きたくないとの理はある)の今の政策では、当面の経済の延命は出来ても、「毒薬」を飲み続けることによっての「慢性自殺」の道を進んでいるのであって、中国経済には未来はないと指摘するのが石平氏。
延命をしている間に、神風が吹いて経済復興が叶うのではないかと望みをつないでいるのでしょうか。
「一帯一路」で、海外市場の取り込みを期し、余剰の生産力を埋めようとの戦略展開を進めている習近平。しかし、人件費が高騰し、かつての世界の工場として席捲した威力は低下し、環境安全対策投資の負荷も求められる今日、従前の国有企業頼りでは望みが叶うことは期待できません。
習近平が独裁する経済政策では、中国経済の未来が危ういのですが、毛沢東時代の独裁政治復古を目指し権力集中を進める習近平。秋の党大会で勝利し、鄧小平が構築した毛沢東独裁政治の弊害からの脱却を期した集団指導体制を廃し、自分の延命をも画しています。勿論、胡錦濤・共青団派も、江沢民・上海閥も抵抗しようとしているのですが、抵抗が叶うのか、望みが薄くなってきつつある情勢ですが、秋の党大会に向け、眼が離せませんね。
習近平の独裁体制が構築されれば、毛沢東末期の混乱・没落を招いた中国に逆戻りすることになり、石平氏が指摘される通り、中国の未来は絶望となります。
この花の名前は、ノコンギク
↓よろしかったら、お願いします。
そこには「不動産バブルによる中国経済の人質論」というのがあって、不動産に多大な資金がつぎ込まれていて、崩壊からの延命を支えている実態があるのだそうです。
「不動産は経済だけでなく政府と民衆をも人質に取った」という声さえあるのだそうです。政府が金融支援で不動産バブルを維持するようなことは「毒薬を飲む」のと同じことだと分かっていながら、当面の中国経済の延命のために、それを飲み続けなければならないと指摘するのは、石平氏。
不動産バブル「崩壊しない」危惧 (4/6 産経 【石平のChina Watch】)
中国では以前から、不動産バブルの崩壊を憂慮し、Xデーの到来に戦々恐々としている人が多い一方で、「バブルがなかなか崩壊しない」という現実を逆に危惧してやまない声もある。
いわゆる「不動産バブルによる中国経済の人質論」というものだ。例えば、昨年9月15日付の中国青年報に、社会科学院の魯洲研究員が登場して、「不動産市場は中国の実体経済を確実に人質に取ってしまった」と論じたのが一例である。あるいは今年3月に、香港環球経済通信社の首席経済学者である江濡山氏が「不動産は経済だけでなく政府と民衆をも人質に取った」と訴えている。
「不動産が中国経済を人質にとってダメにした」という彼らの論調の根拠は、バブルが膨らんできている中で、中国経済に占める不動産業と不動産投資の比重が、あまりにも大きくなりすぎたということである。
2016年、中国の国内総生産(GDP)に占める不動産投資額の比率は何と23・7%(国際通貨基金試算)に上っている。日本の場合、同じ16年における不動産投資の総額はせいぜい4兆円程度で、GDPの1%にも満たない。この対比から見ても、中国における不動産業の異常な肥大さがよく分かる。
不動産業がそこまで肥大化してしまうと、それが伝統的な製造業やIT産業などの新興産業の生存と発展の余地を奪ってしまう。問題をさらに深刻化させているのは、産業の「血液」ともいうべき銀行からの融資も、もっぱら、不動産市場へと流れていくことである。
2016年、中国全国の金融機関から企業や個人に貸し出された新規融資の総額は12・65兆元(約200兆円)であるが、そのうち、個人向け不動産ローンへの貸し出しは5・68兆元で全体の45%にも上っている。当然、どの産業分野に対する融資よりも圧倒的に高い数字である。
つまり今の中国では、銀行の融資という産業の発展にとって最も重要な資源が産業にではなく、個人の不動産購入に集中的に費やされているのだ。そのことは逆に、本来なら国民経済の基幹であるもろもろの産業に対する金融支援が徹底的に細くなっていることを意味する。
しかも、産業部門への銀行融資の大半は、政府が守らなければならない伝統的国有大企業に集中しているから、経済の活力となるべき民間企業や経済の未来を担うべき新興産業には新規融資がほとんど流れていかない。
不動産業や不動産市場への銀行融資の集中は結局、中国の産業全体をダメにし、中国経済発展の未来を奪うこととなっているのだ。上述の経済学者たちが語る「不動産による中国経済人質論」の真意はまさにここにある。
もちろん、この程度のことなら、当の中国政府は百も承知のはずだ。問題は、政府が知っていながら、このような状況を変えることもできない点にある。
もし政府が金融支援を実体経済に向かわせるために不動産市場への融資を制限するようなことをしたら、結果的に不動産の買い手が急速に減少し、不動産価格の暴落、すなわち「不動産バブルの崩壊」は目の前の現実となる。しかしそれはまた、中国経済の破滅を意味する悪夢のような展開であろう。
つまり中国政府が金融支援で不動産バブルを維持するようなことは「毒薬を飲む」のと同じことだと分かっていながら、当面の中国経済の延命のために、それを飲み続けなければならないのだ。
その結果、中国政府は結局、バブルの崩壊による「ショック死」よりも、「毒薬」を飲み続けることによっての「慢性自殺」を選ぶことにもなりかねない。中国経済にはやはり、未来はない。
中国では以前から、不動産バブルの崩壊を憂慮し、Xデーの到来に戦々恐々としている人が多い一方で、「バブルがなかなか崩壊しない」という現実を逆に危惧してやまない声もある。
いわゆる「不動産バブルによる中国経済の人質論」というものだ。例えば、昨年9月15日付の中国青年報に、社会科学院の魯洲研究員が登場して、「不動産市場は中国の実体経済を確実に人質に取ってしまった」と論じたのが一例である。あるいは今年3月に、香港環球経済通信社の首席経済学者である江濡山氏が「不動産は経済だけでなく政府と民衆をも人質に取った」と訴えている。
「不動産が中国経済を人質にとってダメにした」という彼らの論調の根拠は、バブルが膨らんできている中で、中国経済に占める不動産業と不動産投資の比重が、あまりにも大きくなりすぎたということである。
2016年、中国の国内総生産(GDP)に占める不動産投資額の比率は何と23・7%(国際通貨基金試算)に上っている。日本の場合、同じ16年における不動産投資の総額はせいぜい4兆円程度で、GDPの1%にも満たない。この対比から見ても、中国における不動産業の異常な肥大さがよく分かる。
不動産業がそこまで肥大化してしまうと、それが伝統的な製造業やIT産業などの新興産業の生存と発展の余地を奪ってしまう。問題をさらに深刻化させているのは、産業の「血液」ともいうべき銀行からの融資も、もっぱら、不動産市場へと流れていくことである。
2016年、中国全国の金融機関から企業や個人に貸し出された新規融資の総額は12・65兆元(約200兆円)であるが、そのうち、個人向け不動産ローンへの貸し出しは5・68兆元で全体の45%にも上っている。当然、どの産業分野に対する融資よりも圧倒的に高い数字である。
つまり今の中国では、銀行の融資という産業の発展にとって最も重要な資源が産業にではなく、個人の不動産購入に集中的に費やされているのだ。そのことは逆に、本来なら国民経済の基幹であるもろもろの産業に対する金融支援が徹底的に細くなっていることを意味する。
しかも、産業部門への銀行融資の大半は、政府が守らなければならない伝統的国有大企業に集中しているから、経済の活力となるべき民間企業や経済の未来を担うべき新興産業には新規融資がほとんど流れていかない。
不動産業や不動産市場への銀行融資の集中は結局、中国の産業全体をダメにし、中国経済発展の未来を奪うこととなっているのだ。上述の経済学者たちが語る「不動産による中国経済人質論」の真意はまさにここにある。
もちろん、この程度のことなら、当の中国政府は百も承知のはずだ。問題は、政府が知っていながら、このような状況を変えることもできない点にある。
もし政府が金融支援を実体経済に向かわせるために不動産市場への融資を制限するようなことをしたら、結果的に不動産の買い手が急速に減少し、不動産価格の暴落、すなわち「不動産バブルの崩壊」は目の前の現実となる。しかしそれはまた、中国経済の破滅を意味する悪夢のような展開であろう。
つまり中国政府が金融支援で不動産バブルを維持するようなことは「毒薬を飲む」のと同じことだと分かっていながら、当面の中国経済の延命のために、それを飲み続けなければならないのだ。
その結果、中国政府は結局、バブルの崩壊による「ショック死」よりも、「毒薬」を飲み続けることによっての「慢性自殺」を選ぶことにもなりかねない。中国経済にはやはり、未来はない。
中国のGDPに占める不動産投資額の比率は20.7%に達しているのだそうです。日本は、1%にも満たないと言うのですから、異常な比率なのだと。
産業の「血液」ともいうべき銀行からの融資が、もっぱら、不動産市場へと流れていっていることを示し、伝統的な製造業やIT産業などの新興産業の生存と発展の余地を奪い、資源が産業にではなく、個人の不動産購入に集中的に費やされていることにもなり、国民経済の基幹であるもろもろの産業に対する金融支援が徹底的に細くなっているのだと。
更に、諸兄がご承知の通り、習近平は、国有大企業の保護を優先していて、鄧小平以来の中国経済発展を支えた、改革開放経済を受け継ぐ共青団派の李克強の唱える経済改革の、民間企業や経済の未来を担うべき新興産業には新規融資が疎かになっているのですね。
不動産業や不動産市場への銀行融資の集中は結局、中国の産業全体をダメにし、中国経済発展の未来を奪うこととなっているのだと。
そして問題なのは、政府がそのことは知っていながら、このような状況を変えることもできない点にあると、石平氏は指摘しておられます。
政府が金融支援を実体経済に向かわせるために不動産市場への融資を制限するようなことをしたら、たちまち「不動産バブルの崩壊」が生じ、更にそれは、中国経済の破滅に繋がっていく可能性が大きいため、政府が金融支援で不動産バブルを維持するようなことは「毒薬を飲む」のと同じことだと分かっていながら、当面の中国経済の延命のために、それを飲み続けなければならないのだと。
バブル崩壊のショック療法で、民間の活力を活かす経済への改革を唱える李克強の政策が無視され、国有企業の延命・復古を進める習近平(多大な失業者を産み社会不安を招きたくないとの理はある)の今の政策では、当面の経済の延命は出来ても、「毒薬」を飲み続けることによっての「慢性自殺」の道を進んでいるのであって、中国経済には未来はないと指摘するのが石平氏。
延命をしている間に、神風が吹いて経済復興が叶うのではないかと望みをつないでいるのでしょうか。
「一帯一路」で、海外市場の取り込みを期し、余剰の生産力を埋めようとの戦略展開を進めている習近平。しかし、人件費が高騰し、かつての世界の工場として席捲した威力は低下し、環境安全対策投資の負荷も求められる今日、従前の国有企業頼りでは望みが叶うことは期待できません。
習近平が独裁する経済政策では、中国経済の未来が危ういのですが、毛沢東時代の独裁政治復古を目指し権力集中を進める習近平。秋の党大会で勝利し、鄧小平が構築した毛沢東独裁政治の弊害からの脱却を期した集団指導体制を廃し、自分の延命をも画しています。勿論、胡錦濤・共青団派も、江沢民・上海閥も抵抗しようとしているのですが、抵抗が叶うのか、望みが薄くなってきつつある情勢ですが、秋の党大会に向け、眼が離せませんね。
習近平の独裁体制が構築されれば、毛沢東末期の混乱・没落を招いた中国に逆戻りすることになり、石平氏が指摘される通り、中国の未来は絶望となります。
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