玉城沖縄県知事は、河野洋平氏が会長を務める日本国際貿易促進協会(国貿促)の一員として訪中する。訪中の団長は河野氏。
国貿促は「日中友好の殿堂」とも呼ぶべき団体である。設立は1954(昭和29)年。
国交のない時代から訪中して周恩来と友誼を結んだことに端を発する。
経済活動を促進するだけの団体ではない。その実は、周恩来の言った「政経不可分」を忠実に守り、中国にとって有利な日本の政策をリードしてきた組織といわれていると、有本さん。
河野、玉城両氏の訪中では、習近平国家主席との面会もと報じられているが、国貿促の何たるかを知れば、トップとの面会が可能なワケもよく分かると。
沖縄県議会の一般質問で27日、玉城県知事が。河野洋平氏を団長とする日本国際貿易促進協会(国貿促)主催の訪中団に同行することで、ひと悶着あったのだそうです。
訪中自体は、あきれこそすれ驚きはない。河野、玉城両氏の「親中」ぶりは長年周知のこと。むしろ私が注目するのは、訪中団の主催が「国貿促」であることだと、有本さん。
「国貿促」は、国交のない時代から訪中して周恩来と友誼を結んだことに端を発する。団体名にあるように、設立当初から、「貿易」を切り口として企業を糾合。現在も役員には日本を代表する大企業の経営者OBらが名を連ねている。
といっても、経済活動を促進するだけの団体ではない。その実は、周恩来の言った「政経不可分」を忠実に守り、中国にとって有利な日本の政策をリードしてきた組織といわれているのだそうです。
この国貿促について近年、米国のシンクタンク、ジェームズタウン財団が興味深い分析をしている。
19年、同財団が出した「China Brief」には、「日本における中国共産党の影響工作に関する予備調査」(ラッセル・シャオ)というリポートが掲載されていると、有本さん。
日本に中国共産党の対日統一戦線工作部に直結する組織や関連団体があり、加えて、その工作を意識せず、あるいは意識しつつ関わる「日中友好団体」が存在すると書かれている。これら団体は、日中間の文化交流や経済、貿易の促進を主目的に謳(うた)っているが、活動の行き着くところはその限りではない。中国の統一戦線工作部へとつながると結論づけているのだと。
河野、玉城両氏の訪中では、習近平国家主席との面会もと報じられているが、国貿促の何たるかを知れば、トップとの面会が可能なワケもよく分かる。
コロナ禍や米中の激しいつばぜり合いのなか、身を縮めていた日本の「親中派」が再び活動を活発化させ始めたと、有本さん。
河野洋平氏は、岸田文雄首相にとっては、所属する派閥「宏池会」の先輩。
日本の政治が、親中・親韓という「いつか来た道」へ回帰するのではないか。そんな悪い予感をさせる「訪中」でもあると!
安部、菅政権で、過去の腐れ縁を断って、変動する新たな国際情勢に即した中・韓関係に転じていた日本の外交姿勢。
内弁慶で、対面交渉では翻弄されっぱなしだった外務大臣時代の岸田氏。
今は、首相になっているのですが、その外交実態は変わっていない様で、「いつか来た道」へ回帰との有本さんの評価は、言い得て妙!
逆に言えば、安部氏が切り開いた、変動する世界情勢の中で高めた日本の役割を、反故にする外交政策方向。
安部氏の後継者の適材政治家の出現が急がれますが。。
# 冒頭の画像は、河野洋平氏
この花の名前は、ウツボグサ
↓よろしかったら、お願いします。
国貿促は「日中友好の殿堂」とも呼ぶべき団体である。設立は1954(昭和29)年。
国交のない時代から訪中して周恩来と友誼を結んだことに端を発する。
経済活動を促進するだけの団体ではない。その実は、周恩来の言った「政経不可分」を忠実に守り、中国にとって有利な日本の政策をリードしてきた組織といわれていると、有本さん。
河野、玉城両氏の訪中では、習近平国家主席との面会もと報じられているが、国貿促の何たるかを知れば、トップとの面会が可能なワケもよく分かると。
【有本香の以読制毒】中国の統一戦線工作!? 主催は「国貿促」河野洋平氏と玉城デニー沖縄知事が訪中、習主席とも面会か 日本が「親中・親韓」回帰の〝悪い予感〟 - zakzak:夕刊フジ公式サイト 有本香 2023.6/29
沖縄県議会の一般質問で27日、自民党の花城大輔県議が、河野洋平元衆院議長について、「かつて、わが国の歴史を辱めた大先生」と発言したという。
本紙読者には、この花城発言の真意説明は不要だろう。河野氏といえば、すぐ頭に浮かぶのはいわゆる「河野談話」であり、読者の皆さまも「花城氏の言うとおりだね」と同感されるに違いない。ところが、沖縄メディアは、「問題発言」であるかのように報じている。
議会後、メディアに聞かれた花城議員は案の定、「辱めた」とは、慰安婦問題で日本軍の関与を認めた「河野談話のこと」と答えた。
さらに、「(慰安婦問題の)調査をせずに個人の意見を公の立場で発言したことで、その後の日韓関係に大きく影響した」と説明したという。正鵠(せいこく)を射た発言としか言いようがない。
花城発言は、7月3日から予定されている同県の玉城デニー知事の訪中をめぐる質問の中で出たものだ。玉城氏は、河野氏が会長を務める日本国際貿易促進協会(国貿促)の一員として訪中する。訪中の団長はもちろん河野氏だ。
訪中自体は、あきれこそすれ驚きはない。河野、玉城両氏の「親中」ぶりは長年周知のこと。むしろ私が注目するのは、訪中団の主催が「国貿促」であることだ。
国貿促は「日中友好の殿堂」とも呼ぶべき団体である。設立は1954(昭和29)年。日本が共産中国と国交を樹立(1972年)する18年も前のことだ。
古くは、村田省蔵(元逓信相)や、石橋湛山(元首相)らが会長を務め、国交のない時代から訪中して周恩来と友誼を結んだことに端を発する。団体名にあるように、設立当初から、「貿易」を切り口として企業を糾合。現在も役員には日本を代表する大企業の経営者OBらが名を連ねている。
といっても、経済活動を促進するだけの団体ではない。その実は、周恩来の言った「政経不可分」を忠実に守り、中国にとって有利な日本の政策をリードしてきた組織といわれている。
河野氏は2006年に、前任の橋本龍太郎元首相の死去に伴って会長の座に就いた。余談だが、橋本氏は国貿促のトップとして訪中し、意気軒高な姿を見せたわずか3カ月後に病死している。
この国貿促について近年、米国のシンクタンク、ジェームズタウン財団が興味深い分析をしている。
19年、同財団が出した「China Brief」には、「日本における中国共産党の影響工作に関する予備調査」(ラッセル・シャオ)というリポートが掲載されている。
その中には、日本に中国共産党の対日統一戦線工作部に直結する組織や関連団体があり、加えて、その工作を意識せず、あるいは意識しつつ関わる「日中友好団体」が存在すると書かれている。これら団体は、日中間の文化交流や経済、貿易の促進を主目的に謳(うた)っているが、活動の行き着くところはその限りではない。中国の統一戦線工作部へとつながると結論づけている。
さらにリポートには、日本にその種の「友好団体」が少なくとも7つあり、国貿促はその1つだとしている。ちなみに他の6つは、日中友好協会、日中文化交流会、日中経済協会、日中友好議員連盟、日中協会、日中友好会館だ。
重要なことなので繰り返し書くが、リポートには、日中友好議員連盟も「統一戦線工作にかかわることがある」と記されている。
河野、玉城両氏の訪中では、習近平国家主席との面会もと報じられているが、国貿促の何たるかを知れば、トップとの面会が可能なワケもよく分かる。
コロナ禍や米中の激しいつばぜり合いのなか、身を縮めていた日本の「親中派」が再び活動を活発化させ始めた。
河野氏といえば、岸田文雄首相にとっては、自民党総裁の先輩であり、属する派閥「宏池会」の先輩にもあたる。
日本の政治が、親中・親韓という「いつか来た道」へ回帰するのではないか。そんな悪い予感をさせる「訪中」でもある。
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■有本香(ありもと・かおり) ジャーナリスト。1962年、奈良市生まれ。東京外国語大学卒業。旅行雑誌の編集長や企業広報を経て独立。国際関係や、日本の政治をテーマに取材・執筆活動を行う。著書・共著に『中国の「日本買収」計画』(ワック)、『「小池劇場」の真実』(幻冬舎文庫)、『「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史』『「日本国紀」の天皇論』(ともに産経新聞出版)など多数。
沖縄県議会の一般質問で27日、自民党の花城大輔県議が、河野洋平元衆院議長について、「かつて、わが国の歴史を辱めた大先生」と発言したという。
本紙読者には、この花城発言の真意説明は不要だろう。河野氏といえば、すぐ頭に浮かぶのはいわゆる「河野談話」であり、読者の皆さまも「花城氏の言うとおりだね」と同感されるに違いない。ところが、沖縄メディアは、「問題発言」であるかのように報じている。
議会後、メディアに聞かれた花城議員は案の定、「辱めた」とは、慰安婦問題で日本軍の関与を認めた「河野談話のこと」と答えた。
さらに、「(慰安婦問題の)調査をせずに個人の意見を公の立場で発言したことで、その後の日韓関係に大きく影響した」と説明したという。正鵠(せいこく)を射た発言としか言いようがない。
花城発言は、7月3日から予定されている同県の玉城デニー知事の訪中をめぐる質問の中で出たものだ。玉城氏は、河野氏が会長を務める日本国際貿易促進協会(国貿促)の一員として訪中する。訪中の団長はもちろん河野氏だ。
訪中自体は、あきれこそすれ驚きはない。河野、玉城両氏の「親中」ぶりは長年周知のこと。むしろ私が注目するのは、訪中団の主催が「国貿促」であることだ。
国貿促は「日中友好の殿堂」とも呼ぶべき団体である。設立は1954(昭和29)年。日本が共産中国と国交を樹立(1972年)する18年も前のことだ。
古くは、村田省蔵(元逓信相)や、石橋湛山(元首相)らが会長を務め、国交のない時代から訪中して周恩来と友誼を結んだことに端を発する。団体名にあるように、設立当初から、「貿易」を切り口として企業を糾合。現在も役員には日本を代表する大企業の経営者OBらが名を連ねている。
といっても、経済活動を促進するだけの団体ではない。その実は、周恩来の言った「政経不可分」を忠実に守り、中国にとって有利な日本の政策をリードしてきた組織といわれている。
河野氏は2006年に、前任の橋本龍太郎元首相の死去に伴って会長の座に就いた。余談だが、橋本氏は国貿促のトップとして訪中し、意気軒高な姿を見せたわずか3カ月後に病死している。
この国貿促について近年、米国のシンクタンク、ジェームズタウン財団が興味深い分析をしている。
19年、同財団が出した「China Brief」には、「日本における中国共産党の影響工作に関する予備調査」(ラッセル・シャオ)というリポートが掲載されている。
その中には、日本に中国共産党の対日統一戦線工作部に直結する組織や関連団体があり、加えて、その工作を意識せず、あるいは意識しつつ関わる「日中友好団体」が存在すると書かれている。これら団体は、日中間の文化交流や経済、貿易の促進を主目的に謳(うた)っているが、活動の行き着くところはその限りではない。中国の統一戦線工作部へとつながると結論づけている。
さらにリポートには、日本にその種の「友好団体」が少なくとも7つあり、国貿促はその1つだとしている。ちなみに他の6つは、日中友好協会、日中文化交流会、日中経済協会、日中友好議員連盟、日中協会、日中友好会館だ。
重要なことなので繰り返し書くが、リポートには、日中友好議員連盟も「統一戦線工作にかかわることがある」と記されている。
河野、玉城両氏の訪中では、習近平国家主席との面会もと報じられているが、国貿促の何たるかを知れば、トップとの面会が可能なワケもよく分かる。
コロナ禍や米中の激しいつばぜり合いのなか、身を縮めていた日本の「親中派」が再び活動を活発化させ始めた。
河野氏といえば、岸田文雄首相にとっては、自民党総裁の先輩であり、属する派閥「宏池会」の先輩にもあたる。
日本の政治が、親中・親韓という「いつか来た道」へ回帰するのではないか。そんな悪い予感をさせる「訪中」でもある。
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■有本香(ありもと・かおり) ジャーナリスト。1962年、奈良市生まれ。東京外国語大学卒業。旅行雑誌の編集長や企業広報を経て独立。国際関係や、日本の政治をテーマに取材・執筆活動を行う。著書・共著に『中国の「日本買収」計画』(ワック)、『「小池劇場」の真実』(幻冬舎文庫)、『「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史』『「日本国紀」の天皇論』(ともに産経新聞出版)など多数。
沖縄県議会の一般質問で27日、玉城県知事が。河野洋平氏を団長とする日本国際貿易促進協会(国貿促)主催の訪中団に同行することで、ひと悶着あったのだそうです。
訪中自体は、あきれこそすれ驚きはない。河野、玉城両氏の「親中」ぶりは長年周知のこと。むしろ私が注目するのは、訪中団の主催が「国貿促」であることだと、有本さん。
「国貿促」は、国交のない時代から訪中して周恩来と友誼を結んだことに端を発する。団体名にあるように、設立当初から、「貿易」を切り口として企業を糾合。現在も役員には日本を代表する大企業の経営者OBらが名を連ねている。
といっても、経済活動を促進するだけの団体ではない。その実は、周恩来の言った「政経不可分」を忠実に守り、中国にとって有利な日本の政策をリードしてきた組織といわれているのだそうです。
この国貿促について近年、米国のシンクタンク、ジェームズタウン財団が興味深い分析をしている。
19年、同財団が出した「China Brief」には、「日本における中国共産党の影響工作に関する予備調査」(ラッセル・シャオ)というリポートが掲載されていると、有本さん。
日本に中国共産党の対日統一戦線工作部に直結する組織や関連団体があり、加えて、その工作を意識せず、あるいは意識しつつ関わる「日中友好団体」が存在すると書かれている。これら団体は、日中間の文化交流や経済、貿易の促進を主目的に謳(うた)っているが、活動の行き着くところはその限りではない。中国の統一戦線工作部へとつながると結論づけているのだと。
河野、玉城両氏の訪中では、習近平国家主席との面会もと報じられているが、国貿促の何たるかを知れば、トップとの面会が可能なワケもよく分かる。
コロナ禍や米中の激しいつばぜり合いのなか、身を縮めていた日本の「親中派」が再び活動を活発化させ始めたと、有本さん。
河野洋平氏は、岸田文雄首相にとっては、所属する派閥「宏池会」の先輩。
日本の政治が、親中・親韓という「いつか来た道」へ回帰するのではないか。そんな悪い予感をさせる「訪中」でもあると!
安部、菅政権で、過去の腐れ縁を断って、変動する新たな国際情勢に即した中・韓関係に転じていた日本の外交姿勢。
内弁慶で、対面交渉では翻弄されっぱなしだった外務大臣時代の岸田氏。
今は、首相になっているのですが、その外交実態は変わっていない様で、「いつか来た道」へ回帰との有本さんの評価は、言い得て妙!
逆に言えば、安部氏が切り開いた、変動する世界情勢の中で高めた日本の役割を、反故にする外交政策方向。
安部氏の後継者の適材政治家の出現が急がれますが。。
# 冒頭の画像は、河野洋平氏
この花の名前は、ウツボグサ
↓よろしかったら、お願いします。