遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

習近平が、エリザベス女王主催の公式晩餐会で、根拠のない南京大虐殺話を披歴

2016-11-14 23:58:58 | 中国 全般
 昨年10月、訪英した習近平は公式晩餐会で、いわゆる南京虐殺事件を持ち出し、「日本軍の残虐行為」を力説した。その際、証拠に引用したのが英人記者J・ホッグ記者の記事だ。ところが、その種の記事もなければ、ホッグは南京に行ってもいない。つまり習の「日本軍残虐演説」は何の根拠もない大嘘と判明した。と、いう産経の記事を取り上げさせていただいていました。
 女王陛下の晩餐会で、根拠の怪しいジャパンバッシングをする国家主席。日本で、大きく取り上げられるべきことですが、拡がりを感じられませんでした。
 「JBpress」で取り上げた記事がありました。繰り返しの類似内容とはなりますが、根拠薄弱なジャパンバッシングを広めさせない為、微力ですが、話題の頻度を上げようと、とりあげさせていただきました。
 同時に、中国が行った虐殺事件の「通州事件」が広く知られるようになり、虐殺事件を先に起こし、日中戦争に火をつけたのが、中国であることの認識が広まる事も、願っています。

 
いつまでも犠牲者の特権を主張する中国 - 遊爺雑記帳
 
ついに馬脚現した習近平、歴史歪曲が白日の下に 南京虐殺の捏造がついに暴かれ始めた | JBpress(日本ビジネスプレス) 2016.11.14(月) 森 清勇

 中国は日本の反対を押し切って、「南京大虐殺」をユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(記憶遺産)に登録した。日本では南京で大虐殺があったと主張する人から、違法行為はあったが虐殺と言われるようなものはなかったと主張する人までいる。<中略>
 
 南京事件当時、中国国民党に関わる在中の米国人記者や宣教師たちは、日本軍が大虐殺を行っているかのような宣伝工作に注力した。

 しかし、
南京城内で市民の保護に当たった国際委員会(ドイツ人ジョン・ラーベ委員長)が抗議した日本軍の非行は、殺人49件、傷害44件、強姦361件、連行390件、掠奪その他170件ほどであった。
 中国にいた米国外交官などが帰国後、実見した現実(大虐殺はなく宣伝は歪められている等の主張)を米国民に訴えたが、ルーズベルト大統領によって戦争遂行を妨害するものとして拘束される状況
であった。

■「大虐殺」とは何か
 そもそも、大虐殺とは何かが問題である。
 広辞苑には「惨たらしい手段で殺すこと」と書かれている。国連が1948年に議決したジェノサイド条約(通称)では、「集団虐殺罪とは、国民的、人種的、民族的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する目的をもって次の行為を行うものをいう。

(1)集団の構成員を殺害すること
(2)集団殺害の共同謀議
(3)集団殺害の直接かつ公然の教唆
(4)集団殺害の未遂(など)

この定義に当てはまる第2次世界大戦中の事象は、先に挙げたナチスによる600万人ホロコーストであり、米国の無差別都市爆撃・原爆投下による40万人殺戮、米英のドレスデン爆撃による15万人死傷、ならびにソ連軍がポーランド将兵4400人を鏖殺したカチンの森事件など
であろう。

その他の大量殺人となれば、毛沢東の大躍進時の2200万人殺害・餓死、文化大革命時の2000万人殺害、ソ連革命時の2000万人粛清、カンボジアのポルポト政権時
の200万人殺害(以上、『正論』2016年4月号、その他)などであろう。
 なお、1989年に起きた
天安門事件
では学生らの民主化要求を人民解放軍が戦車で轢き殺すなどの武力弾圧を行い、解禁された米国の秘密文書によると死傷者4万人以上、うち死者は1万454人(『WiLL』2016年7月)とされる。

南京事件に先立つ4か月余前、北京東方の親日政権があった通州で、日本人居留区の385人(民間人)が居留区を警備していた中国保安隊と暴民に突如襲われ、掠奪・暴行されたうえに婦女子を含む223人が惨殺される事件(通州事件)が起きた

 中国人に嫁した日本人女性が現場の近くにいて一部始終を目撃していた(藤岡信勝編著『通州事件 目撃者の証言』)。
 本人は日本人が惨殺される状況を見るに忍び難く、声を出そう、助けに行こうと葛藤するが、夫に日本語を喋るな、隠れているようにと厳命され、状況を見届ける以外になかったと悔やむ。
 その証言は現場にいたものしか語れない、また日本人ではあり得ない惨たらしさに満ちている。
 
 以上の例示のように、戦闘行為に関わる兵士などではなく、
一般市民の殺戮は文句なしに虐殺と言えよう。他方で、捕虜の資格を喪失した便衣兵や反乱した捕虜などへの対処で起きる殺傷は、戦闘行為の一環
とみるべきであり、虐殺とは言い難いのではないだろうか。

■朝日新聞が広めた南京大虐殺
 南京では戦闘はあったがラーベが抗議したように「虐殺」と言われるほどのことはなかったので、時の流れとともに忘れられていった。
 ところが、「虐殺の被害者が忘れようとすることは自由だ、しかし虐殺した側の国民が忘れることは、犯罪の上塗りにほかならぬ」(本多勝一『中国の旅』)として、
朝日新聞の本多記者が「戦争中の中国における日本軍の行動を、中国側の視点から明らかにする」(同上)という訪中目的で入国を許され、1971年6月から7月にかけ取材
する。
 そのルポルタージュが帰国約1か月後から4か月間にわたって朝日新聞に連載され、大きな反響を呼ぶ。
 当時現地で戦った10万人超の軍人、200人を超える日本の新聞社・通信社の報道陣、数十人の日本人作家や画家、そして外交官、さらに民間人は戦闘が行われてから約8年後の東京裁判で初めて「その事実」を知り、疑心暗鬼にとらわれていたが、本多記者のルポに改めて驚かされる。
 事件に関わった日本人関係者が異議申し立てをしても、本多氏は「中国側の視点」での聞き書きであり、相手が話したことを忠実に書いただけであるとして、ごく一部の訂正を除き、事実の確認に努力したとは思われない。
 いずれにしても、
この新聞連載が南京大虐殺論議の発火点となり、日本国家と日本人の頭上に重くのしかかることになる


 本多氏は新聞だけでなく、「朝日ジャーナル」や「週刊朝日」でも連載し、写真の一部は「アサヒグラフ」でも発表する。
 これらのルポは単行本『中国の旅』に纏められ、翌年に出版される。朝日新聞社がいかに全力投球して南京事件を「南京大虐殺」に作り上げていったかが分かる。
下調べをして疑問点や問題点を見つけて、現地で確認するのではなく、真偽を問わずにただ至る所で虐殺があったという中国の主張
は、東京裁判による自虐史観に取りつかれた日本人学者たちを勢いづけることになる。
 中国にとっては日本のクオリティ紙からお墨つきをもらったようなものであったろう。

 爾来、
日本では大虐殺派(30万人以上)、まぼろし派(虐殺はなかったと主張)、その中間派(数万人虐殺)と大きく3つに分かれて論争
が行われてきた。
その後発掘された資料からは、先述のように国民党の宣伝工作によって拡大喧伝されたことが明らかになり、虐殺派の主張はトーンダウン
している状況である。

筆者は、戦闘行為に付随した捕虜の反乱鎮圧など、派生的に発生したものは基本的に虐殺ではないという視点に立っており、その視点からは30万人はおろか、数万人の虐殺もなく、まぼろし派の立場
である。

南京攻略戦に参加した将兵や多数の記者などの誰一人として「大虐殺」を語った者はいない
。現地で視認していなかったのであるから当然であろう。東京裁判で初めて「南京大虐殺」を聞き、唖然とするわけである。

■本多氏は煽動家
本多氏がジャーナリストであるならば、戦時中は語られることもなく、東京裁判で突然語られ始めた南京事案については大きな疑問がもたれていたわけで、中国の言い分をただ聞き書きして新聞紙上に発表するだけでは無責任の誹りを免れないであろう。
<中略>


 当時は日本の新聞社として朝日新聞しか中国に駐在を許されていなかった。そうした中で、中国側の視点から日本軍の行動を明らかにすることは中国にとっては願ってもない「大虐殺」流布の好機であり、「飛んで火にいる夏の虫」に、中国共産党が国家ぐるみで最大限の便宜を図ったことは言うまでもない。

<中略>

 30万人であれ、数万人であれ、南京市民を虐殺したのであれば、日本と日本軍人が汚名を着せられても致し方ない。しかし、本当にそうした虐殺行為が起きたのだろうか


■記者や軍人たちの証言

<中略>


 毎日新聞と朝日新聞、そして同盟通信は、それぞれ記者など約50人を南京に派遣している。3社で150人の報道体制である。外国人記者も5~6人いたし、外交官や日本人作家・画家なども数十名おり、言論をもって生きていた人間が約200人いたことになる。
 その
誰一人として「虐殺」を語った者はいない。あちこちで1人や2人の遺体を見たり、揚子江縁では数百人(数千人という人もいる)の死体があったという人もいる。しかし、死体を見たというほとんどの者が、戦争中の出来事であって、虐殺などと考えたことはなかったと証言する。

 当時南京にいた関係者は外国語新聞や東京裁判で初めて「虐殺」を聞き、現地を隈なく巡回した者たちも「寝耳に水」に驚いたという。インタビュアーから、「虐殺を見なかったのですか」と、しつこく聞かれて、「そういえば、あれが虐殺だったんでしょうか」と逆に聞き返してくる返事ばかりである。
外国語新聞は南京にいた米国人宣教師や国民党宣伝処の嘱託などで働いていた人物による報道などが基になっている。彼らは布教活動に対する米国からの資金援助が減り続けるため、米国内での寄付などをもっと多く募る目的で、日本軍の悪行を宣伝する必要があった
とも言われる。

 記者たちよりももっと多くいて、実戦を戦ったのが将兵たちである。個々の兵士は限られた地域しか見ていないだろうが、部隊指揮官ともなれば、責任地域で何が起きているかを掌握している。
 掌握しなければ、次の行動がとれない。万を数えていた兵士の誰もが虐殺の報告を挙げていないし、小部隊の指揮官から連隊長、師団長も虐殺事案の報告を受けていない。

 
虐殺事件の現場ともされる安全区(避難区)には同盟通信が支局を開設していた。その支局に事件があったとされる時期に出入りしていた記者さえ、虐殺を見たこともなければ、同僚記者など約50人の誰からも聞いたことがないという

 ただ、
米国からの逆ニュースで、南京で虐殺事件が起きたようだと知ったという。宣教師たちが捏造した情報が逆に南京にもたらされていた
のである。

安全区を設定したドイツ人ジョン・ラーベ(委員長)は、「貴下の砲撃隊が安全区を砲撃されなかったという美挙に対して、(中略)感謝の意を表するものであります」という書簡を日本軍に送っている。
 当時、南京の全市民が安全区に集結して国際委員会の管理下にあったわけであるから、安全区が安泰ということは、南京全市民が安泰であったということである。国際委員会が抗議したように、若干の殺人・強盗、強姦等はあったが、市民の「虐殺」というほどのことはなかった
ということである。


 文字数オバーの為、【続】習近平が、エリザベス女王主催の公式晩餐会で、根拠のない南京大虐殺話を披歴 - 遊爺雑記帳へ続く。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 11月13日(日)のつぶやき | トップ | 【続】習近平が、エリザベス... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

中国 全般」カテゴリの最新記事