二ヶ月以上のご無沙汰、年が変わり、関東の松の内を過ぎ、関西の松の内までもとっくに過ぎてしまってのご挨拶となりましたが。
昨年一年当ブログにお越し下さった皆さま、ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます m(__)m
新しい年 (ってもうひと月近く過ぎてますが) がよきものでありますように。
さて、昨秋あたりから 内的変化に一段と拍車がかかった感がありましたが、よりによって12月に 「自分」 なるものを いったん解体し じっくり眺め渡して一から造り直すみたいなことが起こり、うわべは通常営業、内側は怒涛の年越しとなりました。
内と外のギャップのなんとすごかったことよ、よくまああの状態で 大掃除だのおせち作りだのと例年どおりにやれたものだ (^_^;)
いや、これができるのがマインドというものなのだと 今回思い知らされたわけですが。
昨年夏だったか秋だったかに 「パーフェクト ・ センス」 という映画を知りました。
人々が 次第に五感を失ってゆくというお話だそうです。。。。ってざっくりし過ぎでしょ
もっと詳しく知りたいと思われる方は こちらをどうぞ。 → 「映画 『パーフェクト ・ センス』 のネタバレあらすじ結末」 ※ネタバレあり ご注意ください。
映画そのものは観ていないのですが、この情報をきっかけに あれこれ思いが巡りました。
「パーフェクト ・ センス」 では 嗅覚 → 味覚 → 聴覚 → 視覚 の順に失ったところで話が終ったようだけれど、このあと触覚までなくなったら 人類はおしまいだろうなぁ。
五感をすべて絶たれるってどんな感じなんだろう。
触覚が残っていれば まだ他とのつながりを感じることはできるだろうけれど、それも失われたら たったひとり真っ暗闇に閉じ込められたような氣分だろうか。
ん? 待てよ。
そもそも私たちの本質は 五感を超えたところにあるんだよね。
私たちはもともと形を超えた内的存在であり、そのおおもとの本質を思い出そうというのが、今自分が没頭していることじゃないか。
五感を失うとは、五感の情報に惑わされることなく その本質にダイレクトに触れるチャンスでもあるのでは?
暗闇に閉じ込められるというのは 五感の側から見ての話、五感を断たれることで逆に見えてくるものもあるんじゃないかな。
私たちは 五感を通して 自分と自分でないものの境目から 「これが私」 と認識しているわけですが、じゃあ 五感がすべて感じ取れなくなったら 「私」 も消えてなくなるのでしょうか?
いや、まだ残っています、“在る” という感覚が。
五感とは比べ物にならないほどしんと静かで 主張のない感覚ですが、決して消すことも切り離すこともできないもの。
この “在る”、おととしあたりから 常に意識のどこかにひっそりまつわりついているようでしたが、昨年12月 これが一氣にクローズアップされることになったのです。