Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

さらば、わが愛 覇王別姫

2006-04-27 | 外国映画(さ行)
★★★★★ 1993年/香港/172分
監督/チェン・カイコー 主演/レスリー・チャン、チャン・フォンイー、コン・リー

「傑作歴史大河ロマン」


遊女の母に捨てられ京劇の養成所に入れられた少年、小豆。そこには過酷な訓練と仲間たちのいじめが待っていた。そんな中ただ一人小豆を守ってくれたのが石頭。幾多の試練を乗り越えながら小豆の石頭に対する思いは友情を越え、愛情へと変わっていく。やがて2人は京劇役者として台頭を表し、小豆は“程蝶衣”、石頭は“段小樓”と名を変え、京劇界きってのスターとなっていた。だが、激しい時代の波にもまれ、2人の地位や名誉もずたずたに切り裂かれる。そして一途に小樓を愛し続けた蝶衣の愛は、遊女“菊仙”の出現により一度たりとも成就せぬまま、悲しい最期を遂げる。

程蝶衣を演ずるレスリー・チャンの演技に息をのみ、京劇の美しさ、中国の激動の歴史に心揺すぶられる3時間です。実は、わたくしここのところ、2時間以上の映画には耐えられない体質になっているのですが、この映画は3時間が本当にあっという間です。少年時代が約40分ほどありますが、だいたいこういう一生ものを語る映画は少年時代の描写がつまらんのが常ですが、この映画は違います。同じ男同士でありながら、小豆が石頭を愛するようになる心の変化にとても素直に感情移入できます。京劇と言う非常に伝統的な世界で行われる、仲間同士のいじめやとてつもなく厳しい修行の描写に胸を締め付けられます。

そして、レスリーがすばらしいです。彼は京劇の女形の役ですが、本当に美しいこと、美しいこと。彼が愛する段小樓(チャン・フォンイー)と共に劇中に演ずる京劇が『覇王別姫』(はおうべっき)。京劇のストーリーと2人のストーリーが見事にオーバーラップしていきます。姫を演ずる蝶衣は小樓を愛している。だから劇中、姫という役を通してその愛を訴え続けるんです。でも、劇は劇、と割り切り、全く意に介さぬ小樓。しかも、遊女の“菊仙”と突然結婚してしまう。小樓のバカヤロー(泣)

“菊仙”を演じるのは中国を代表する女優、コン・リー。立場的には憎まれ役なんだけど、彼女の演技がこれまたすばらしいんです。女のしたたかさ、強さ、そして時にかいま見せる母性。蝶衣も恋敵なんだけど、自分を捨てた母もまた遊女であったため、心から憎みきれない。ふたりの間には、敵同士でありながら、心の底でお互いが足りないものを求め合っている、そんな不思議な関係性が生まれていきます。清朝末から日本統治時代、共産党政権樹立、文化大革命という時代の流れと共に、何が良くて、何が悪いかという価値観がすさまじい勢いで変わっていく。社会主義が台頭し、派手な衣装は民衆の前で燃やされ、さらし者にされた上、お互いを告発、罵り合う壮絶なラストシーンは息をのみます。また、劇中の京劇のきらびやかさも圧巻。レスリー・チャンが化粧をして舞台に上がったその様は、見るものを圧倒します。まるで、色彩の洪水。

03年4月に自ら命を絶ったレスリーと蝶衣の悲劇がダブって仕方がないです。そしてこれほどの演技をしているのに、レスリーが主要な映画祭でいずれも主演男優賞をとっていない、というのも本当に解せません。切なくて、切なくて、見終わった後も胸が痛い。でも、本当にいい作品を観たという至高の満足感にひたれる、壮大な大河ロマン。文句なしの5つ星です。


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わらび、開いてた

2006-04-27 | 野菜作りと田舎の食
家の裏の土手に毎春わらびが出る。山に入って、せっせと取るほど好きな山菜でもないので、つっかけ履いてちょろちょろっと取れれば、それでいいんである。さて、さて今年は、と外に出たらガガーン!もう開いてた。遅かったんである。ショック。

↓わらびが出るのはこのあたり。平らなところににょきっと出てくるので、比較的出たな、というのがわかりやすい。



でもでも、である。なんかおかしい。周りを見渡すと、どれもこれも葉が開いてしまっている。いつもは、少しずつ時間差でにょきにょきと出てきて、先が開いていないのもあれば、そうでないものもある。が、今年は、一斉ににょきっと出てきて、あっという間に葉が開いてしまったみたい。こんなこと、ないんだけどなあ。

↓このわらびの先のように、全体が丸まっているものを採る。こいつはもう下の葉が開いているのでダメ。


どうも、やはり今年の春の気候はヘンなんだとしか思えない。だって、気がついたら全部開いてるんだもん。それとも、私が気づくのが遅かっただけ?かなり悔しい。別に私は山菜がすごく好き、というわけでは全然ない。でも、なんか採ってしまう。おそらくそれは、外に生えているもので食べられるんだったら、食べとこうよ、という甚だセコイ考えから来ているに違いない、と自分なりに思っている。

でも、なんか楽しくない?「えー、それ食べられんの?どんな味~」的な好奇心が常にむずむずとあるんだもん。それに、やっぱ季節に出るものを喰らうってのが、なんか人間してるって感じなんだよね。だから、うまくなくてもわらび食べたかったのに、非常に残念だよ。林道、探しにいこっかな。


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