Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

かもめ食堂

2007-01-14 | 日本映画(か行)
★★★★★ 2006年/日本 監督/荻上直子

「軽やかな商業至上主義の否定」



ミニシアター系の日本映画で、突出した個性を出すのって意外と難しいように思う。だがこの「かもめ食堂」は非常に個性的で、今まで見たことのない空間がそこに生まれていて驚いた。映像の美しさと独特のテンポ、そして人物造形。何もかもがとても個性的だ。

まずフィンランドの美しい風景。以前南米映画のレビューでも書いたけど、今やアメリカやヨーロッパの風景が出てきても我々は新鮮味を感じなくなってきている。悲しいことに。ところが、フィンランドの風景は全てが新鮮。これは目の付け所がうまかったなあ。そして、テキスタイル好きの私が超ウキウキする北欧デザインの数々。鮮やかなマリメッコのテキスタイルや北欧インテリアが美しいだけでなく、物語に意味を与える役割を担っていることがすばらしい。

例えば、お気に入りのシーンの一つ。荷物をなくしたマサコさんが、新しい服を着てかもめ食堂に入ってくるシーン。白と茶と黒のストライプ模様の斬新なデザインのマリメッコのワンピース。彼女の気持ちに変化が現れたこと、これからマサコさんが新たな役割を担うことなど「変化」の予感をこのワンピースで感じることができる。

「おにぎり」というシンプルなメニューの日本食堂。お客さんが来なくてもきちんとテーブルをふいてお店をきれいにしているサチエ。そのシンプルイズムにも北欧デザインが見事にハマっている。余計なことは言わない、機能的で清潔なもの。サチエが持っている「心根」と北欧デザインが持っているものが見事にぴったり合わさっているのだ。

印象的なシーンをこんなにもたくさん残す映画も珍しい。今でも様々なシーンが頭の中をよぎる。しかし、よくよく考えてみるとシーンのバリエーションが非常に少ないことに気づく。サチエなら、テーブルを拭く、料理をする、プールで泳ぐ、合気道の居合いをする。全編通してみてもほぼこの4つに集約されてしまうほどだ。物語として劇的な展開があったわけではなく、ただ静かに流れるシーンでこれだけ印象的な画面を作り出すことができるのは、まさに監督の力量だろうと感心した。

そして何よりも私が唸ったのは、画面から伝わってくる美しさや癒しのムードとは裏腹に3人の生き方が我々に強いメッセージを放っていることである。特に主人公サチエという人物は考えれば考えるほど、興味深い。特に他人との距離感の付け方。彼女はミドリを家に泊めてあげる優しさを持ちながらも、「もし私が日本に帰ったら寂しいですか?」と聞くミドリに「それはあなたが決めたことだから仕方ないわね」とそっけない返事をする。サチエと言う人物は、馴れ合いを良しとしない潔さを持っている。

そして、「儲けるため」の工夫をしようとしない。新メニューを考えるミドリに対して、今のやり方をつらぬけば必ずお客さんは来ると言う。まるでそば屋の頑固親父である。客には媚びない。儲けるために食堂をやるんじゃない。かもめ食堂は彼女の人生そのものなのだ。ヘルシンキという誰も知り合いがいない街で日本の食堂を開くというその心意気も合わせ、サチエの生き方は、客に、マーケットに、こびへつらう日本の商業主義を真っ向から否定している。

しかも、それを「日本食」でやろう、というのが若い女性だけではなく、おじさんも含めて全ての日本人の心にぐっとくるんである。手仕事、ていねい、心をこめて、素材を生かす。日本食を通して原点回帰する。ほんとに奥が深い作品である。

そして、このようなメッセージ性をシニカルに表現するのではなく、実に軽やかに描いていることがすばらしい。また、原作が群ようこ、監督が荻上直子の女性コンビ。世の中にモノ言う女性の新たな才能が生まれたみたいで、同じ女性として拍手喝采!なのである。

最後に。「知らないオジサンにネコ」をもらってしまったマサコさんで大爆笑でした。なんであんな脚本思いつくの!?