Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

コード・アンノウン

2008-02-02 | 外国映画(か行)
★★★★★ 2000年/フランス・ドイツ・ルーマニア 監督/ミヒャエル・ハネケ

「断片で語る力。ハネケのウルトラC」


まず見終わって、ため息。これはすごい。こういうやり方もあるんだ、と見せ方の斬新さに驚くばかり。物語が時間通りに進行するというごく当たり前の作り方ををぶっ壊すような作品って、最近よくありますね。時間が逆行するとか、複数の話を同時進行させるとか。でもこの「コード・アンノウン」という作品のような作りは、今まで見たことない。

本作は、ほんの5分~10分程度の短いエピソードが次々と展開される。ジュリエット・ビノシュがぼんやりとテレビを見ながら延々とアイロンをかけるといった一見して全く意味の見いだせない短いシーンがあったかと思うと、これだけで1本のショート・フィルムになりうるような完成度を保つシーンもある。そしてラストまで個々のエピソードがどう繋がるのかという観客の好奇心も掴んで話さない。

短いエピソードの中には、ほんの小さな断片が見え隠れしている。その小さな断片で奥に隠れている問題、それも一つや二つではなく幾重にも重なった問題を顕わにする。その断片が登場人物のちょっとした仕草だったり、一見物語とは関係のないようなセリフだったり、画面の隅にぼんやり立っている人だったりするもんだから、いちいち「そういうことか!」と膝を叩きたくなるような面白さがある。何か表現したいものがある時に、水面に一滴のしずくをたらせばそれで良い。そんな感じ。

なので、小難しい作品は嫌、という方にも映画表現の可能性として、こういう方法もあるんだとぜひ知って欲しい。そう思わせるだけの力を持っている作品。この作品の中で語られているテーマで5、6本は映画が作れる。人種差別、戦争、地域格差、児童虐待…。社会が抱える問題がてんこ盛りです。なのに、それらの出来事は物語として語られるのではなく、断片で語られるのです。その分、観客の想像も刺激される。こんな離れ技ができるのは、ハネケしかいない。