Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ツイン・ピークス シーズン1 vol.2

2008-02-11 | TVドラマ(海外)
★★★★★ 1989年/アメリカ 監督/デヴィッド・リンチ
<episode2~episode4>

「小人のダンスに魅せられて」

vol.1で、リンチワールドの幕が開き、どいつもこいつもクセ者だぜ!って言う怒濤の展開が見られて、いよいよ捜査はどうなる?ってことでvol.2。

ところが、クーパー捜査官は自分の見た夢を手がかりに捜査するわ、チベット密教の夢からヒントを得たという占いみたいな捜査法は取り入れるわ、FBIのくせに実に非科学的なやり方で犯人を捜し始める。このトンチンカンぶりに引いてしまう人もいるに違いない。しかしながら、ローラを殺した犯人を母親がフラッシュバックで見たり、森に潜む悪魔という伏線がしっかり張ってあるから、人智を超える何かがこの事件に絡んでいるってことを受け止めて見続けるしかない。まあ、私はその作業を困難とは全く思わないのですけれど。

ツイン・ピークスは「町には木しかない」と言われるほどの田舎町として描かれている。人々も昔からの知り合いばかりで、平和に暮らしている。しかし、その裏では、日頃の妬みそねみがあって、意外な人物同士の繋がりがある。そこへ、都会からひとりの捜査官がやってくる。FBIの切れ者だ。本来ならば、よそ者として疎まれる立場の彼が、町の人を敬い、町に溶け込むことを最優先とし、やがて、人々は彼に全幅の信頼を寄せる…。

と、こういう展開。どっかで見たことあるよなあ…。で、最近気づいた。これって「金田一シリーズ」も一緒じゃん!よそ者としての視点って結局観客の視点でもあるわけです。だから、よそ者である主人公がどんどん裏に隠されたものを暴き出すプロセスって、見ている私たちも実にスリリングに感じられる。こういう構図は探偵物では王道のパターンなのかしら。

そして、episode2のラストシーンについに来ました。「小人と赤いカーテンの部屋」。私は、このシーンが「ツイン・ピークス」にどっぷりハマった人と、去ってしまった人を分けたボーダーラインではないかと思う。episode2と言えば、物語はまだ始まったばかり。その段階で、早くもリンチワールドが最高潮に達する。それは「俺の撮りたいように撮るから」という宣言のようにも見える。小人のダンスに魅せられ、カーテンの向こう側を覗いて見たいと感じた人は、さらに深みにハマっていくこととなる。