Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

世界最速のインディアン

2008-02-25 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2005年/アメリカ 監督/ロジャー・ドナルドソン
「マイノリティたちへの高らかな応援歌」


私は物事を違う角度で眺めたり、異なる視点で捉える作品が好きなのだが、本作はあまりにも真っ当、ストレート。出てくる人は次から次へといい人ばっかりで、何ともご都合主義的展開…と思ったら、実はスピードに賭ける男のロマンを描きつつ、別のテーマを内包していることに気がついた。そこで、一気に私の気持ちはラストの競技会でぐんと高まり、大拍手を持って清々しく見終わったのだ。

それは、インディアンというマシーンが「世の中のマイノリティ」を象徴しているのだ、ということ。バートがアメリカに降り立ち、競技場に着くまでに幾つものトラブルを乗り越えていく。その時手をさしのべてくれるのは、紛れもないアメリカ社会のマイノリティたちなのだ。トランスジェンダーのフロント係、南米移民のカーディーラー、ネイティブアメリカン、砂漠にひとり住む未亡人。もちろん、バート自身もアメリカにおいては、ダウンアンダーからやってきたマイノリティ。インディアンというマシーンそのものも、競技会においては整備不良の時代錯誤のポンコツと揶揄される。

そんなマイノリティたちの気持ちを乗せて、インディアンは塩平原を駆け抜ける。ふらふらと揺れながらも最高時速をたたき出す。インディアンの勝利はマイノリティの勝利を意味する。そこに、実に大きなカタルシスがあるのではないだろうか。競技場についてからは、複数のアメリカ人がバートを助けてくれる。よくもまあ、地球の裏側からやってきた、と。

しかし、出会った人々の助けがなければバートはこの場にいない。つまり、バートはアメリカ社会のマイノリティたちに導かれてここにやってきたと見ることはできないだろうか。そして彼らに導かれたバートがアメリカ人を動かし、変えた。競技会委員がルールを破っても出場させたことを考えれば、マイノリティがシステムを変えたとまで捉えられるのかも知れない。

もちろん、物語を引っ張るバートのキャラクターが魅力的であることも大きいのは確か。ハンニバル・レクターことアンソニー・ホプキンスが、今作では打って変わって裏表のない清々しい役どころ。世間ずれしておらず、やんちゃな少年がそのまま大人になったようなキャラクターで、女にモテるのも納得。63歳からスタートしている物語だけに彼の来し方が気になるところだけど、映画ではその辺は潔くばっさり切り捨てている。これは、物語をシンプルにする故だろうが、この展開は至って正解。

男の人ならメカに関する描写も楽しめること間違いなし。挑戦することのすばらしさ、人間の優しさをしっかり描きながら、世の中のマイノリティを高らかに応援する作品。多くの方にオススメしたい。