Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

太陽のかけら

2010-11-14 | 外国映画(た行)
★★★★☆ 2007年/メキシコ 監督/ガエル・ガルシア・ベルナール

「死の予感に満ちた乱痴気騒ぎ」


金持ちの息子が別荘に友人を招いて、バカ騒ぎをする。その1日を描いただけの作品なんですが、最後まで全く飽きさせません。実に素晴らしい初監督作品だと思います。もうガエル君なんて、呼べないじゃないですか。

この別荘で交差する登場人物たちそれぞれに見え隠れする心理描写が実に巧いんです。全てのシークエンスが思わせぶりで不安を掻き立てる。バカ騒ぎの向こうに死の予感がずっと漂っている。ドラッグのやり過ぎで誰かが死ぬんじゃないか。使用人の娘がプールに落ちて死ぬんじゃないか。別荘に車で向かう恋人が事故に遭うんじゃないか。そんな死の予感で頭がいっぱいになる。しかも、その死はじわじわとではなく、突然訪れるはず、そういう気分にさせられるからスクリーンから目が離せない。いったん帰宅したと思った使用人のアダンが木の上で見つかるシーンなんて、完全に死体が落ちてくるように見えました。あれは、きっとそう狙って撮ってるよね。

同じ道楽息子のバカ騒ぎでも、アメリカじゃこうならんだろうな、という南米らしさがまた大きな個性となって輝いています。妹も兄もお互いの友人を罵り合いながら結局同じ空間で過ごしてたりとか、使用人に対してはえらく居丈高だったりとか。急に感情が高ぶったかと思えば、すぐさま俺たちアミーゴじゃんみたいになるんですよね。

光と影。そのコントラストの見せ方も秀逸。それは道楽息子の「外面」と「内面」を描くものでもあり、道楽息子と使用人というように「富裕層」と「貧困層」を描くものでもある。感心したのが、それらのコントラストを実に何気ないシーンで観客に感じさせてしまうことですね。そう、「見せる」のではなく「感じさせる」。冒頭からバカ丸出しだった主人公クリスが母親のどうでもいい電話でふと涙ぐむ。こうした明確には見せないけど、観客にその奥にある何かを感じさせるシーンが次から次へと出てきます。使用人一家の描き方も凄くいいです。

別荘での1日を描く、というとってもミニマルなスタイルの中に、多くのイマジネーションを観客に与える作品。「金持ちのバカ騒ぎ」を切り口にもってきたセンスもすばらしい。ガエル・G・ベルナール監督には、ぜひ母国メキシコで第2弾を撮って欲しい、そう思わされました。