Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

僕の彼女はサイボーグ

2010-11-21 | 日本映画(は行)
★★★ 2008年/日本 監督/クァク・ジェヨン

「とんがりおっぱいの残像」

「猟奇的な彼女」のイメージでお願いします。っていう企画だったんだろうなあ。最初に主人公二人が出会って、愛を育むあたりは、韓国映画よろしくこっちが恥ずかしくなるような浮き足ムード全開。そうした光景も「これはよその国の出来事だから」なんて脳が言い訳すれば、意外とすんなり入り込めるんだろうけど、やっぱ日本映画だぞっていう前提があるとかなりの違和感を感じてしまう。

しかし、サイボーグを演じるのが綾瀬はるかってのは、絶妙のキャスティングでしょう。彼女、演技に感情表現が乏しいし、無機質っぽい感じがぴったり合ってると思う。加えて、何ですか、あのおっぱいのとんがり具合は。いかにも、フィギュアをそのまま人間サイズに拡大したかのような出で立ち。「サイボーグはるか」のキュートさが何とか作品を引っ張っているんじゃないでしょうか。しかし、裏を返せばそれぐらいしか印象が残らないってことで。

相手役の小出恵介にもう少しコミカルな演技の魅力があれば、もう少し変わったのかも知れません。コメディを演じるという点においては、韓国の俳優の方が断然うまいですね。また、主人公の少年時代の田舎の風景が一体いつの時代?という描写だったのも興醒め。ツッコミどころ満載ゆえにそれを笑って楽しめる映画もありますが、大真面目に作られているようなので突っ込みようにも突っ込めないトホホな気分で終了。

シングルマン

2010-11-21 | 外国映画(さ行)
★★★★ 2009年/アメリカ 監督/トム・フォード
<梅田ブルクにて観賞>


「二度目の奇跡が起きた日」

溺れる夢から醒めたジョージ。何気ない日常の一コマ一コマから、愛する人の記憶が呼び起こされる。あの日、ジムと過ごしたできごと、あの時ジムと交わした言葉。全てがうまくいっていた。愛で満たされた毎日だった。しかし、彼を失った今、もはや生きている意味はない。目の前を通り過ぎるのは全てセピア色のスローモーションでしかないのだ。

愛する人を失い、死を決意した男の一日を叙情的に、美しく描く作品。淡々とすぎてゆく描写に退屈を感じる人もいるだろう。私自身、この調子で120分続くのかと思うと途中で寝ちゃうんじゃないかと思ったんだけど、あることに気づいてからジョージの絶望が私の中に押し寄せてきたのだった。それは、この物語が1962年の出来事であるということ。そして、ジョージが住んでいたガラスの家。

1962年と言えば、ゲイの人々もまだまだ差別されていた時代じゃないだろうか。だって、ハーヴィー・ミルクが市議に選ばれたのが1977年だもの。そんな中、通りからも丸見えのガラスの家で共同生活を送っていたジョージとジム。果たして、そこに行き着く道のりは平坦だっただろうか。映画の中ではその部分に関しては全く描かれず、ふたりの穏やかで愛に満ちた生活が映し出される。ただでさえ、キューバ危機を迎えて不穏な空気が漂う時代にゲイのカップルがガラスの家で暮らしていた、それは当時のアメリカでは奇跡的なことだったのではなかろうか。

失意にくれるジョージの前に現れるふたりの美青年。ひとりはタバコを買いに行った店先で出会った若い男。スペイン人モデルのジョン・コルタハレナが演じているんだけど、もう超カッコイイんだよね。ゲイでなくとも惚れ惚れしちゃう。

そしてもうひとりの美青年が教え子、ケニー。ケニーはジョージの死への決意をかぎとったのだろうか。先生のことが心配だと言って、気にかけ家にやってくる。そう、きっとケニーはジョージに惹かれている。死を決意したその日に、いくつも年上の大学教授にアプローチしてくるなんて。二度とない奇跡がその日に起きた。だから、天国のジムが嫉妬したんだ。ジョージ、君がいる場所はこっちだよってね。