【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

伊賀市の歴史街道(和銅の道~岩倉峡):13㎞

2014-02-12 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
JR伊賀上野駅からスタートです
『和銅の道』を歩き岩倉峡公園から『やぶっちゃの湯』で解散でした。

和銅の道とは?


和銅三年(710)、藤原京から平城遷都に伴い、東海道に対する官用の通信連絡のため、岡田駅(今の京都府相楽郡加茂町舟屋あたり)から、笠置町、南山城村押原を経て島ヶ原奥村、大道、中矢、伊賀市西山、新家駅(にいのみのうまや)(今の伊賀市東高倉字官者付近)に至る道路が開設され、「和銅の道」と称される。
旧上野市はは昭和54年にJR伊賀上野駅から滋賀県御斎峠(おとぎとうげ)までのハイキングコースとして設定し、多くの市民に親しまれてます。

のどかな田園風景の中を歩いて行きます。
遠くに上野城が見えてました


火の見やぐらのてっぺんにぶら下がった半鐘を見かけました


佛土寺(ぶっとじ)ではロウバイの良い匂いが・・・




高倉神社


本殿、八幡社、春日社は、三棟とも彩色され、蟇股(かえるまた)内の彫刻等桃山時代の特色をよく示している。国の重要文化財に指定されている。

高倉神社の境内で『天然記念物アヤマスズ自生地』っという石碑を見かけました

アヤマスズってどんなお花なんやろ?っとちょっと気になりました。➱こちら

町石(ちょうせき)


建長年間(1251~1255)に、補陀落寺(ふだらくじ)から奈良街道とよばれる旧街道に向かって1町ごとに建てられた石碑。今は廃補陀落寺(はいふだらくじ)となっている。

お昼は吊り橋の下で・・・(岩倉峡公園)

おにぎりをほうばりながらも上の吊り橋が気になるわんちゃん
「吊り橋渡りに行く人、行きますよ~」
「は~い」



この辺りは春は桜、秋は紅葉・・・が最高のようです


つり橋から真下を見ると




岩倉水力発電所跡


明治37年開業当時は、巌倉水電株式会社、三重県のみならず他近府県の水力発電のさきがけとなった、しかし、昭和28年8月15日の台風水害で壊滅的な被害により閉鎖された。

マンホールの蓋
旧島ヶ原村(三重県 現・伊賀市)

村の花のミヤマツツジと村の鳥のキジをデザイン

旧上野市(三重県 現・伊賀市)

農業集落排水のマンホールで、
市の木カシ(樫)、市の花ハギ(萩)、市の鳥シラサギ、
市内を流れる木津川のアマゴをデザイン

2004年(平成16年)11月1日
上野市・阿山郡伊賀町・島ヶ原村・阿山町・大山田村・名賀郡青山町が合併して伊賀市が発足。

しぐるるや田のあらかぶの黒む程


元禄三年(1690年)芭蕉、四十七歳の作である
故郷へと向う田圃路にかかると、折しもばらばらと時雨が降ってきた。見ると稲を刈ったあとに生えた新しい株も今は黒ずんで見える。そこへまた一しきり時雨がやってきた。

月ぞしるべこなたへいらせ旅の宿

寛文三年(1663年)芭蕉、二十歳の作である

折から照っているこの月がよい道案内です。さあお宿をいたしましょうからお入り下さい
この句は初期の貞門俳諧の影響が大きく、この頃流行した謡曲をもとにした句の代表的なものと思われる。謡曲鞍馬天狗」には「夕を残す花のあたり、鐘は聞えて夜ぞ遅き、奥は鞍馬の山道の花ぞしるべなる、こなたへ入らせ給へや」の「花」を「月」に置き換え、「入らせ給へ」の「給へ=給べ」に旅を掛けた技巧がある。また謡曲では「牛若丸」に呼びかけているが、ここは「旅人」として指している

五月雨も 瀬ぶみ尋ねぬ 見馴川

寛文10年、芭蕉、27歳の作。伊賀上野時代の作。

五月雨で増水した水馴川は、どこが瀬だか岸だか分からない。よく見れば当の五月雨の雨も瀬踏みをしながら降っているようだ。水馴川には見慣れた川の意をこめ、五月雨を擬人化したもの。水馴川は奈良にある川。

「伊賀って芭蕉の生誕地なんですね、あっちこっちに句碑がありました。」
「芭蕉が諸国に出かけたのは、俳諧を隠れ蓑にしてその地の状況をしらべるため、という『芭蕉忍者説』もあるんですよ。」って、おっしゃる方もおられて「えっ!??」っというカンジで ⇒こちら

ウォーキングの最終地点は、島ヶ原温泉「やぶっちゃの湯」➱こちら
「ここで、温泉に入る人は?」う・う~ん湯冷めが心配なんでパスかな?の人ばっかりで
みんなでJR島ヶ原駅まで歩くことに・・・。



時刻表をよくよく見ると、なんと1時間に一本、ICカード使えません。
運よく10分も待たないうちに加茂行きの列車はやってまいりました。見ると1両編成のディーゼルカーでした。
そして、ワンマンカー。