【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

里巡り「開き浜の残念石」編~せいか小さな旅~

2014-02-23 | せいか小さな旅
どこに行かはるのですか?ハイ、ちょっとそこまで・・・
せいか小さな旅は「O月O日9時集合」です。
わんちゃん的にはこの回から初参加です、ヨロシク。

2010年2月での伐木により10数年振りにあらわれた「巨石」木津川開き浜の「大坂城残念石」を訪ねてみんなでウォーキング
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
コース
JR祝園駅(JR下狛駅)⇒JR木津駅⇒JR棚倉駅・・・湧出宮・・・開橋(開き浜)【大坂城の残念石】・・・祝園神社・・・近鉄新祝園駅(近鉄狛田)

JR棚倉駅から歩いてすぐのところです。
湧出宮
和伎座天乃夫岐賣神社(わきにますあめのふきめ)
一の鳥居(西向き)


二の鳥居(南向き)


湧出宮由緒
創建は今より1200年前の称徳天皇天平神護二(766)年、伊勢国五十鈴川の畔より、御祭神としてこの地に勧請したと伝わる。 天乃夫岐賣命(わきにますあめのふきめ)とは天照大神の御魂であるとされる。後に宗像三女神を伊勢より勧請、併祀した。大神をこの地に勧請したところ、一夜にして森が湧きだし四町八反余りが神域となったという。湧出宮という謂われである。
山城の祈雨神十一社の一社、延喜式八十五座の一として朝野の崇敬を受けた。





マンホール 旧山城町(木津川市)

町の花の菊、町の木の紅葉、特産品のお茶の葉とタケノコ

てくてくと、山城町の里山風景を目にしながら開き橋の方へ・・・
開き橋のすぐそばのちょっと上流の河川敷へ、普段ならうっそうと茂る枯草の中を歩くはずが、現場へは、な・なんときれいに除草されて砂が敷かれて道が出来ているんでありました。前日にすばやく・・・だったそうです。
とても歩きやすかったです。



刻印のある残念石の傍で精華町シルバー人材センター「ふるさと案内人」のUさんが「大坂城の残り石、大坂城で使われなかったんで残念無念っと残念石と呼んでますが、皆さんに見ていただいてきっと喜んでいることと思います、残念石に替わりまして私がお礼申し上げます・・・」っと、案内を始めはりました。
ここら辺りには10個あるとか言われていたそうですが、調査する年代によって川も移動するようで現在このような大きな石が7~9個くらいあるそうです。精華町南のNさんが少年時代の頃は「この辺りは渡し船があり、遊び場になっていてこれらの大きな石がなんの石?ってカンジで・・・」だったそうです。

諸大名が切り出した石には、それぞれのマークが彫ってあるそうです、
石の切り口にね。


石の大きさ(0尺0寸)、切り出した日付などと。


1975年の調査で加茂の大野浜(木津川に合流する赤田川辺り)には10個残っていたそうです。 詳しくは➱こちら

大坂夏の陣で1615年大坂城が落城しました、ソレから僅か6年後に徳川秀忠・家光によって再建計画が・・・1629年には大坂城再建。
その工事のやり方がナルホドです、西国と北陸の諸大名による割り普請制度、つまり各大名が責任の上に競争させるんですよ、必死になってやりますよね、大坂城に行ってあの石垣を見てごらんなさい・・・(大きな石を無理やり運んでいた領地の領民はタイヘンだったやろうなぁ・・・)
残石帳っというのがありまして、木津川の流域に残ってるのは全部で500個ッとも言われてます。
山城郷土資料館の前に1個、加茂支所(木津川市)に1個、常念寺に1個、藤堂高虎の生誕地、滋賀県犬上郡甲良町在士(ざいじ)甲良町役場に1個っと詳しく案内してくださいました、Uさんありがとうございました。

◆今日(3/2)のこと、グラウンドゴルフ繋がりのIさん(せいか小さな旅に参加)が
「山城郷土資料館の所には2個、あるんですよR163でローソンのちょっと先、左側に山城郷土資料館があって建物の前庭に・・・」っと教えてくれはりました。
山城郷土資料館の前はよく通ってるところです、加茂支所も観察会の待ち合わせとか、いろいろ・・・
両方とも気が付いてませんでした、そんなワケで写真を撮ってきました。

これらの石材は大坂城の改築の時に伊勢津藩の藩主、藤堂高虎が自ら加茂に滞在し現在の加茂町大野山から切り出した大坂城石垣修築用の石材です。多くの石材が木津川を下って大坂へ運ばれましたが、なかには、のちの修理用のために備蓄されたモノもアリ木津川と赤田川の合流点を中心に約500個残っていたことが知られています(案内板より)



クリックすると拡大します

山城郷土資料館の前庭に2個並んでました、なんと桜の樹の下に。




加茂支所の「加茂文化センター」の前に、確かに・・・




「そこにモノがあっても知らない時は見えなくて、知ったら見えてくる」
ナルホドです。

大阪城に行くと藤堂高虎が切り出した石に出会えるかも?(探せば・・・)

ここで河川レンジャーのFさん登場、
ちょうど残念石があった辺りで魚とりをされてたとか・・・木津川っていつも川の形が変っていくんですよとか、川の中がジャングルのように木々が生え茂ってしまって残念石は何処に?コレでは洪水対策にはアカンなぁっと、伐採してもらったら残念石が現れた・・・それからも洪水が来るたびに埋まってしまったり、また現れたり、今は見つかった時よりちょっと埋まってるそうです。
「尚、只今、木津川展開催中です、トイレ休憩をされてぜひ木津川展に寄ってください」っと。

ちょっと、トイレをお借りして、木津川展も見せていただいて開き橋を渡り「祝園神社」へ

祝園神社

今度はふるさと案内人のMさん登場。
武埴安彦(たけはにやすひこ)の霊を鎮めた神社。 ➱こちら

奈良の春日大社からの勧請。
(古い石灯籠を見ると『春日』の銘がありました、確かに)



「精華町の社寺と美術」(精華町発行)によりますと・・・っと難しい漢字や言葉を易しく解説されながら読み上げてくださいました。
「精華歴史物語」にも(祝園の地名について、日本書紀の伝承によって・・・っと載っているそうです)
図書館にあるそうなんでいっぺん手に取って、祝園神社の成り立ちをお勉強ですね(出来るかな?)

祝園神社は創建770年、正面に石灯籠があります


石灯籠が真ん中に一基建っているというのは約1千年以前の神社・仏閣にあるっといわれてます。コレだけで古い神社なんだなぁ・・・っと。
奈良では唐招提寺、薬師寺、興福寺、秋篠寺、東大寺(銅の灯籠)
石灯籠ひとつ見ても「ここは古いんだなぁ・・・」祝園神社は古いんですよ(ほぉ~~です)。
◆いごもり祭り
お正月の三日間、町中が灯りを消し、一切の物音を謹慎する習わしになってます。
二日目の大松明の神事の時には、夜暗くなってからになるんで「ふるさと案内人」の方が祝園駅から往復、案内して下さるそうです。今年は二十数名の方を案内されたとか・・・
来年も「いごもり祭り」案内されるそうですよ、わんちゃん的には要チェックです。

「せいか小さな旅」コースの最初にお参りした湧出宮も「いごもり祭り」の神事が執り行われます、祝園神社とはまるっきり無縁じゃないみたいです。

マンホール


真ん中に町章、きらびやかな町名(精華)の割りに地味・・・ちょっと残念。けど、シンプルなデザインこれはこれで良いのかも?
これこそマンホール蓋ってカンジがする・・・ご覧の通りデザイン蓋ではありません、で残念な精華町のマンホール蓋です、。



「せいか小さな旅」はここで解散、皆さんと祝園駅まで歩くことに、
祝園駅から「せいかくるりんバス」でとか、JRで木津方面へとか、祝園発のバスでとか、近鉄でとか・・・。
ここ精華町に移り住んで早や40年とちょっと、ジックリと精華町のこと知り始めたところのわんちゃんです、今更ながらですが・・・