【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

八月一日

2017-08-01 | デジカメ日記
8月1日:花火の日
1948年(昭和23年)8月1日戦後GHQによって禁止されていた花火大会が解禁されたこと、また、1955年(昭和30年)8月1日に東京墨田区の花火工場で大爆発事故があり、多数の死傷者が出たこと、8月1日に世界一とも言われる、PLの花火大会が開催されることを併せて花火の日に制定されました。オリンピックの開会式などで海外で花火が上がる映像を見ることがありますが、数だけがボンボン上がって情緒が無いように思います。
最近の日本の花火大会は音楽との共演が楽しめたり、結構凝ってますよね、花火のルーツは一般には中国だと言われてます。火薬製造の基本となる硝酸塩の混合物硝石を偶然発見したことがきっかけでノロシが誕生します、万里の長城ではノロシが通信手段として利用されてました。
その後火薬はシルクロードを通ってヨーロッパにわたって戦争の道具として使われていきます。一方で14世紀後半のイタリア・フレンチェではキリスト教の式祭などで火を吐く人形のようなものができて花火らしきものが広がっていきます、まずは火薬として広がったとすると、日本には種子島に鉄砲が伝来したころにつながります。戦国の世では火薬は武器以外には考えられなかった。それが徳川幕府の時代になって、世の中平穏になると火薬は娯楽へと・・・つまり、花火のために使われるようになった。日本で初めて花火を鑑賞したのは徳川家康だと言われています。
花火を楽しむ余裕があった?1613年(慶長18年)イギリス国王の使者が駿府城に居た家康を謁見した際に同行してた中国人が花火を見せたという記録が残っているそうです。この時の花火は打ち上げ花火ではなく、筒から火花が噴き出すタイプのものだった、その時のインパクトが相当強かったのでしょう、花火は諸国の大名の間に広がっていきました。新しもの好きの江戸っ子たちも虜になったと・・・
そうなると、あっちでもこっちでも花火が上がって、防火の概念がなかったのでしょう、そこここで火事が起こる。これはまずいとお上は花火禁止令を出すのですが江戸っ子たちはいうことを聞くはずがありませんでした。
「どうも江戸では花火が流行っているらしい」っと、耳にした男が「コレは商売になる」っとピンときて奈良は吉野村から単身江戸へ出ていき、日本橋のそばで花火屋を開きます、コレが「鍵屋」男の名は鍵屋弥兵衛
 彼は大川(今の隅田川)の川岸に生えているヨシの管の中に火薬を詰めて花火として売ったんですがコレが大流行、鍵屋は花火屋としての地位を確固たるものにしました。鍵屋7代目の時代には清吉というタイヘン有能な番頭が居ました。7代目働き者の彼にのれん分けを許します、清吉改め市兵衛が始めた花火屋が「玉屋」
花火が上がった時の、「鍵屋あーっ」「玉屋あーっ」はここからきてるんですね。
今でも大人気の隅田川の花火大会ですが日本でも一番古い花火大会で、もともとが両国の川開きと呼ばれて享保18年(1733年)に始まってます、当時は鍵屋の6代目の時代。その頃江戸では疫病が流行って多くの人が亡くなりました、8代将軍・徳川吉宗が大川端(現在の隅田川河畔)で催した、「川施餓鬼」(死者の霊を弔う法会)に遡る。1733年7月9日(享保18年5月28日)、幕府は前年にならって川施餓鬼とあわせ、慰霊と悪病退散を祈願する目的で、両国の川開きの日に水神祭を実施。その際に花火を打ち上げたのが、現在の花火大会のルーツとされる。
最初は鍵屋が一手に担っていた花火大会でしたが、玉屋ができると両国橋を挟んで上流を玉屋下流を鍵屋が受け持つようになりました。
ところが、天保14年(1843年)4月、徳川 家慶(とくがわ いえよし):第12代征夷大将軍が日光参拝に向かうという前日に玉屋は火事を出してしまいます。花火屋の火事ですから被害は甚大、店はもちろん半丁ほどの町並みが焼け落ちてしまいます。
玉屋は江戸処払い(追放)となって僅か30年で店を閉じることになったんです。
両国川開きの花火は、明治維新や第二次世界大戦などにより数度中断し、1961年から1977年まで、交通事情の悪化や、隅田川の水質汚濁による臭害等により中断するが、昭和53年(1978年)に現在の「隅田川花火大会」に名称を変えて復活し、以後毎年続けられている。

琵琶湖花火 
2011年8月                 
  

2008年8月


2008年8月


2012年8月


2012年8月



2013年8月 大阪なにわ




2013年7月 桑名


2013年7月 蒲郡

以上の花火の写真は民ちゃんがご主人と一緒に各地の花火大会に行った時ご主人が撮らはった写真です。

「花火」   北原白秋

花火があがる、
銀と緑の孔雀玉……パツとしだれてちりかかる。
紺青の夜の薄あかり、
ほんにゆかしい歌麿の舟のけしきにちりかかる。

花火が消ゆる。
薄紫の孔雀玉……紅くとろけてちりかかる。
Toron……tonton……Toron……tonton……
色とにほひがちりかかる。
両国橋の水と空とにちりかかる。

花火があがる。
薄い光と汐風に、
義理と情の孔雀玉……涙しとしとちりかかる。
涙しとしと爪弾の歌のこころにちりかかる。
団扇片手のうしろつきつんと澄ませど、あのやうに
舟のへさきにちりかかる。

花火があがる、
銀と緑の孔雀玉……パツとかなしくちりかかる。
紺青の夜に、大河に、
夏の帽子にちりかかる。
アイスクリームひえびえとふくむ手つきにちりかかる。
わかいこころの孔雀玉、

どばっちゃんから

オリックスのホーム、ほっともっと球場(ほっともっとフィールド神戸)での花火です。

Re.わんちゃん
オリックスのファンなの?それと、野球場の花火ってホームチームのラッキー7で打ち上げるのかな?

Re.どばっちゃん
Yes sir
7回裏の攻撃前のファンサービス。
その日は日ハムの大谷クンを見たさに遠い遠い神戸の山まで行きました。
オリックスは別に・・・ってカンジだけど、近鉄時代の昔に藤井寺に20年位住んでいたので良く藤井寺球場へは行ってました。

Re.わんちゃん
ふ~~ん そうなんや・・・

八月のカレンダー


名字 八月一日(ほずみ,はっさく,やぶみ,ほづみ)さん
穂積氏、源氏などにもみられる。穂積氏の異形であり、旧暦8月1日に実る稲の穂を摘み贈る風習が語源といわれる。語源は稲穂を積んだ稲塚。古代からの神事に携わる名族。群馬県、高知県、徳島県、岐阜県、静岡県などにみられるが群馬県は特に多く見られる。
八朔(はっさく)で思い出したことがあります ⇒こちら