【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

手ぶくろを買いに

2022-01-13 | 絵本




冷たい雪で牡丹色になった子狐の手を見て、母狐は毛糸の手袋を買ってやろうと思います。
その夜、母狐は子狐の片手を人の手にかえ、銅貨をにぎらせ、かならず人間の手のほうをさしだすんだよと、よくよく言いふくめて町へ送り出しました。
はたして子狐は、無事、手袋を買うことができるでしょうか。
新実南吉がその生涯をかけて追及したテーマ
「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」を、今、黒井健が情感豊かな絵を配して、絵本化しました。


寒い冬が北方から、狐の親子の棲んでいる森へもやって来ました。
ある朝、洞穴から子供の狐が出ようとしましたが、
「あっ。」と叫んで眼を抑えながら母さん狐のところへころげて来ました。
「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴、早く早く。」と言いました。
母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。


母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解りました。昨夜のうちに、真っ白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお陽さまがキラキラと照らしていたので、雪は眩しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。


子供の狐は遊びに行きました。真綿のように柔らかい雪の上を駈け廻ると、雪の粉が、しぶきのように飛び散って小さい虹がすっと映るのでした。
すると突然、うしろで、「どたどた、ざーっ。」と物凄い音がして、パン粉のような粉雪が、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。子狐はびっくりして、雪の中にころがるようにして十米も向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは樅の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹絲のように雪がこぼれていました。


間もなく洞穴へ帰って来た子狐は、
「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする。」と言って、濡れて牡丹色になった両手を母さん狐の前にさしだしました。母さん狐は、その手にはーーっと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ暖かくなるよ、雪をさわるとすぐ暖かくなるもんだよ。」と言いましたが、かあいい坊やの手に霜焼ができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊やのお手々にあうような毛絲の手袋を買ってやろうと思いました。


暗い暗い夜が風呂敷のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮かびあがっていました。
親子の銀狐は洞穴から出ました。子供の方はお母さんのお腹の下へはいりこんで、そこからまんまるな眼をぱちぱちさせながら、あっちやこっちを見ながら歩いて行きました。


やがて、行手ににぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の狐が見つけて、「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねぇ。」とききました。
「あれはお星さまじゃないのよ。」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。「あれは町の灯なんだよ」
その町の灯を見た時、母さん狐は、ある時町へお友達と出かけて行って、とんだめにあったことを思い出しました。およしなさいっと言うのもきかないで、お友達の狐が、ある家の家鴨(あひる)を盗もうとしたので、お百姓に見つかってさんざ追いまくられて、命からがら逃げたことでした。
「母ちゃん、何してんの、早く行こうよ。」と子供の狐がお腹の下から言うのでしたが、母さん狐はどうしても足がすすまないのでした。そこで、しかたがないので、坊やだけを一人で町まで行かせることになりました。


「坊やお手々を片方お出し。」と、お母さん狐が言いました。その手をお母さん狐はしばらく握っている間に、かわいい人間の子供の手にしてしまいました。坊やの狐はその手を広げたり握ったり、抓(つね)って見たり、嗅(か)いで見たりしました。
「何だか変だな母ちゃん、これなあに?」と言って、雪あかりに、又その、人間の手に変えられてしまった自分の手をしげしげと見つめました。
「それは人間の手よ。いいかい坊や、町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まず表に円いシャッポの看板のかかってる家を探すんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間から、こっちの手、ほらこの人間の手を差し入れてねこの手にちょうどいい手袋を頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目よ。」と母さん狐は言い聞かせました。
「どうして?」っと坊やの狐はききかえしました。
「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴(つか)まえて檻(おり)の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ。」
「ふーん」
「決して、こっちの手を出しちゃいけないよ、こっちの方、ほら人間の手の方をさしだすんだよ。」と言って、母さんの狐は、持って来た二つの白銅貨を、人間の手の方へ握らせてやりました。


子供の狐は、町の灯を目あてに、雪あかりの野原をよちよちやって行きました。始めのうちは一つきりだった灯が二つになり三つになり、はては十(とお)にもふえました。
狐の子供はそれを見て、灯には、星と同じように、赤いのや黄いのや青いのがあるんだなと思いました。


やがて町にはいりましたが通りの家々はもうみんな戸を閉めてしまって、高い窓から暖かそうな光が、道の雪の上に落ちているばかりでした。
けれども表の看板の上には大(たい)てい小さな電燈がともっていましたので、狐の子は、それを見ながら、帽子屋を探して行きました。自転車の看板や、眼鏡の看板やその他いろんな看板が、あるものは、新しいペンキで画(えが)かれ、あるものは、古い壁のようにはげていましたが、町に始めて出て来た子狐にはそれらのものがいったい何であるか分からないのでした。


とうとう帽子屋が見つかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電灯に照らされてかかっていました。
子狐は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「今晩は。」
すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸(約3cm)ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、(お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手を)すきまからさしこんでしまいました。


「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木の葉で買いに来たんだなと思いました。そこで、
「先にお金を下さい。」と言いました。子狐はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指のさきにのっけて、カチ合わせて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚から子供用の毛絲の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。子狐は、お礼を言って又、もと来た道を帰り始めました。


「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有(おっしゃ)ったがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの。」と思いました。けれども子狐はいったい人間なんてどんなものか見たいと思いました。
ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何というおっとりした声なんでしょう。
「ねむれ ねむれ
 母の胸に
 ねむれ ねむれ
 母の手に  」
子狐はその唄声(うたごえ)は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。 


するとこんどは、子供の声がしました。
「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼(な)いてるでしょうね。」
すると、母さんの声が
「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ。」


それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ跳んで行きました。お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖かい胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。


二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや。」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖かい手袋くれたもの。」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」とつぶやきました。



この本は、『校定 新実南吉全集』(大日本図書刊)所収の「手ぶくろを買ひに」を底本としています。読みやすくするため、旧かなづかいを新かなづかいにあらため、一部改行しましたが、そのほかは原文のままです。(巻末より)
【作者紹介】
作・新実南吉(にいみ なんきち)
1913年愛知県に生まれる。東京外国語学校英語部文科卒業。
中学時代より文学に興味をもち、童話・童謡・詩・小説などを書き続ける。
1943年没。その作品は民芸品的な美しさと親しみ深さを感じさせ、今も多くの人に愛されている。
主な作品に「ごんぎつね⇒こちら」「手ぶくろを買いに」「おじいさんのランプ」などがあり、全業績は『校定・新実南吉全集』(全12巻・大日本図書)に網羅されている。
絵・黒井 健(くろい けん)
1947年新潟市に生まれる。新潟大学教育学部中等美術科卒業。
1983年、第9回サンリオ美術賞を受賞。主な絵本作品に『ごんぎつね』『手ぶくろを買いに』(新実南吉作)
『猫の事務所』(宮沢賢治作)画集に『雲の信号』(宮沢賢治詞)『ミシシッピ』(偕成社)がある。