【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

極楽の余り風

2022-07-22 | 日記
「極楽の余り風」という表現がある
「極楽の余り風」の本当の意味【浄土の風だより】 ⇒こちら
 ちょうど今頃から後に迎える夏の暑い時期、山道など歩いて汗だくになった身に、ときおり清々しい涼風が木陰を抜けて吹いてくる。〝ああ、こんな嬉しい風はない!〟と感激すると、先の言葉が口をついて出る。
 私がこの表現を聞いたのは『夏の医者』という落語が最初だったと記憶している。父を助けるため息子が老医者を伴って帰る途中、山頂で一服している時に涼風が吹いてきたのを「ああ、極楽のあまり風じゃ」と喜ぶ。落語では、そう言った途端にうわばみに飲み込まれてしまうが、医者は冷静に構え、蛇の胃の中で下剤をまく……。このように荒唐無稽な仕掛けが盛りだくさんあり、笑いが絶えない話となっている。
 落語も名作だが、「極楽の余り風」とはご法義の盛んな関西地方ならではの表現だ。もちろん落語より先にそうした言い回しがあったのだろう。しかし最初にこう表現した人はどんな心境・境地をお持ちだったのだろう。単なる感覚的な表現なのか、それとも真実仏法を解した上での嘆文だったのか。
 想像してみると面白いのだが、〝極楽にはそよ風が吹いている〟と表現するいきさつを遡ると、浄土三部経典にまで至ることになる。浄土真宗本願寺派寺院「浄風山吹上寺」広報サイト『浄土の風だより』
◆ 経典に学ぶ真実の涼風
自然の徳風やうやく起りて微動す。その風、調和にして寒からず、暑からず。温涼柔軟にして、遅からず、疾からず。もろもろの羅網およびもろもろの宝樹を吹くに、無量微妙の法音を演発し、万種温雅の徳香を流布す。それ聞ぐことあるものは、塵労垢習、自然に起らず。風、その身に触るるに、みな快楽を得。たとへば比丘の滅尽三昧を得るがごとし。
『仏説無量寿経』20 巻上 正宗分 弥陀果徳 眷属荘厳
▼意訳(現代語版より)
すぐれた徳をそなえた風がゆるやかに吹くのであるが、その風は暑からず寒からず、とてもやわらかくおだやかで、強すぎることも弱すぎることもない。それがさまざまな宝の網や宝の樹々を吹くと、尽きることなくすぐれた教えの声が流れ、実にさまざまな、優雅で徳をそなえた香りが広がる。その声を聞き香りをかいだものは、煩悩がおこることもなく、その風が身に触れると、ちょうど修行僧が滅尽三昧[めつじんざんまい]に入ったようにとても心地よくなるのである。

『梅雨明け十日』という言葉がある、こちら
カンカン照りの日、日陰も木陰もないグランドでグラウンドゴルフに打ち興じる日のこと、「そよ~~」ッと一瞬風が。
カンカン照りなのに冷~っとしたキモチイイ風でした。
「コレって極楽の余り風っと言うのんちゃうん?」「そうや、そうや、そやねぇ」っと、打順を待ってる2~3人で大盛り上がり・・・

今の時季のわんちゃんとこの庭
ショウジョウソウ(猩猩草[7]、学名:Euphorbia cyathophora)トウダイグサ科

花期に頂部の苞葉が赤く色付き、園芸用に栽培されるが、世界中の熱帯を中心に帰化植物としても分布を広げている。

キキョウ(桔梗、Platycodon grandiflorus)キキョウ科

一般的にキキョウは、紫色で花びらがすべてくっついた形状をしている合弁花を咲かせます。 キキョウの花は、おしべとめしべが一つの花の中に両方存在している、雌雄同花と呼ばれるタイプの花です

カシワバアジサイ (柏葉紫陽花、 学名 : Hydrangea quercifolia )アジサイ科(ユキノシタ科)

原産地は 北米 東南部。 花 の 色 は 白 。 葉 の形が カシワ に似ていることが、 和名 の由来。 花は 円錐 状あるいは ピラミッド 型に付く独自の形状をしており、 5月 〜 7月 に真っ白い花を付ける。 八重咲き と 一重咲き がある。