【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

散歩道で

2022-07-31 | 折々の花~散歩道で~
毎日の散歩を心がけています、木津川の堤防に上がり「さて、北か?南か?」ッと独り言。
北方面は玉水橋、途中の遠藤川河川敷辺りは茶畑が広がってます、南方面は開き橋、木津川堤防からは右にむくのきセンターの建物見ながら、気が向いたら祝園神社までお参りを兼ねて・・・
今朝は北へ、玉水橋方面へ。

遠藤川の河川敷に下りていくと、ウワッと驚きのキノコ
 
オオシロカラカサタケ(大白唐傘茸、Chlorophyllum molybdites)ハラタケ科カラカサタケ属の菌類である。
子実体は食毒で、摂取すると嘔吐や下痢の激しい胃腸症状を引き起こす。食用きのこのカラカサタケに類似しており、北米では最も誤食が多い毒キノコとして知られる。もっと詳しくはこちら

イタチハギ(鼬萩)マメ科 別名:クロバナエンジュ
 
原産地:北アメリカ、メキシコ
日本には韓国から1912年に初めて導入され、1940年代以降、緑化や観賞用として本格的に輸入された。日本各地に野生化している。
外来生物法で要注意外来生物に指定された.日本の侵略的外来種ワースト100

山本の渡し場跡
 
碑隠 昭和四十九年三月建立 田辺町文化財保護委員会
和銅4年に「山本駅」が設けられ、ここから船で木津川を渡り宇治田原を経て、瀬田へ通じる交通の要衝であった。古い歴史をもつ渡しであった。 (田辺町近代誌より)
玉水橋から堤防を南に入っていくところにある。

飯岡渡し場跡
 
碑隠 昭和四十九年三月建立 田辺町文化財保護委員会
玉水橋下流、飯岡の入口付近の木津川川べりに千貫岩という大きな岩が露出している。ここから対岸の玉水に渡った。この渡し場は、月の名所でも有名である。(田辺町近代誌より)玉水橋から堤防を北に入っていくと豊田翁の碑に隣接してある。

豊田翁の碑

飯岡は木津川の千貫岬に大岩があるため、村人は旱天に悩み、洪水に苦しんでいた。豊田武兵衛はこれを憂い、宝暦13(1763)年に用水路計画に着手した。千貫岩は安永元(1772)年に打ち抜かれ、ここに万年樋が完成。残る工事は平坦部だけとなったが、永年の工事で私財を使い果たし、また幾多の妨害を受け八幡伝法院に身を寄せることを余儀なくされた。村人は万年樋に水を流すため、残っているわずかの工事を完成させ、武兵衛に帰村を乞うたが彼は固持して受けず、寛政6(1794)年に伝法院の一室で77歳の生涯を閉じた。 天保3(1832)年になって万年樋の上に碑が建てられた。



ここの公園には渡し舟がある
この日の朝は「山本の渡し場跡」は、玉水橋を南へちょっとのところ「飯岡渡し場跡」は玉水橋を北へちょっとのところ、玉水橋西詰にデジタル温度計があります、そのすぐそばを北へ南へ行ったり来たりするもんですから、いつも「何度ぐらいかな?」とみるのが癖になってるもんで、その日は朝の7時前なのに、もう『32℃』ドヒャ~~なカンジ