落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

スカスカ王国

2006年02月01日 | book
『ハーフムーン・ストリート』ポール・セロー著 村松潔訳
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4163104704&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

負け犬の遠吠え、ロンドンのアメリカ人編。といってしまえば身もフタもないんだけど、まさにその通りのお話。
ヒロインは30歳くらい、独身、子なし。ね。高学歴だが高収入ではない。しかし美人である。長身で髪はハニーブロンド。職業は国際経済研究所の研究員。実はバツイチ。ばっちり負け犬です。
まぁでもこの小説が発表されたのは1984年。どちらかといえばその3年後に大ヒットしたStingの「Englishman In NewYork」の逆バージョンといった方が穏当かもしれない。
それにしてもこれは同じセローの『九龍塘の恋』(1997年)にモロそっくりな話です。
主人公はセロー作品の大半のそれらと同じく、異郷で退屈な生活を送っている。彼女/彼が変化を求めていると、それはちゃんと向こうからやってくる。彼女/彼は半ば喜び、半ば他に選択肢をみつけられないままその変化を受け入れる。するとそこには世にも恐ろしい(以下ネタバレなので省略)。
設定や背景は違うし、ストーリーの練り具合にもかなりの差があるけど、まるで姉妹かなにかのように両者はよく似ている。どっちが姉でどっちが妹なのかはさておき。

前述のようにヒロイン・ローレンは人間なら誰でも欲しがるものをいろいろ持っている。タフでセクシーでしかもインテリ。
だが文芸作品に登場する多くのインテリがそうであるように、彼女に「知性」はまったくない。自分の意志でわざわざロンドンに来てそこに住んでいながら、ロンドンのこともイギリス人のことも端からバカにしている。自分の仕事である研究だって他人に評価されたいという野心のためにしているだけであって、ほんとうの探究心というものは一切ない。自分がいかに無知で狭量で自己中心的で心の貧しいイヤな女かということにはまるで気づかず、とにかく自分以外の人間や街や国やモノをなんでもコケにしまくる女。自分ではプライドがあるように思いこんでいて実際にはプライドのかけらもない、周囲の親切や真心や警告には毛ほども注意の利かない無反省な女。それって単に傲慢なだけのバカじゃん。
お金はないけど野心はあって性的魅力にあふれた女、といえば行き先は相場が決まっている。あるきっかけでエスコートサービスという、高級コールガールエージェントを通して夜の商売を始めるのだ。そのきっかけがもうミエミエなのが笑える。そんなん絶対怪しいやんけ!という超うさんくさいオトリ(?)にローレンは無防備にひっかかってしまう。読者はもうそこで彼女の末路がわかってしまうのだが、その末路に至るまでの彼女の踊らされっぷりがまた笑える。
他人の不幸は密の味、とはよくいったものだけど。

ローレンはかくしてお金とすてきな住まいを手に入れ、菜食ダイエットとエクササイズに精を出す(でもピーナッツバターはバカ食い)。毎晩紹介される客ごとに自分がどれだけ知的な女でストイックな生活をしているかをひけらかす。
そうして彼女が虚栄の階段を高く上れば上るほど、転落の衝撃は大きくなっていく。読み手はいつ彼女が背後から思いきり蹴り落とされるのか、その衝撃への期待でワクワクする(爆)。彼女が空回りすればするほど、あたかも自分の足で彼女の背をぐいと押しやる瞬間を待っているような、奇妙に昂揚した知覚を感じる。
おそらくこの小説の魅力は一見サスペンス風のストーリーではなくて、いかにも現代アメリカらしいヒロインのどこか歪んだ価値観のスカスカ感の描写力なんではないだろうか。
美貌や体力や学位やお金があるからって、世の中必ずしもなんでも思い通りになるわけじゃない。そりゃ多少は役に立つかもしんないけどさ。

「Englishman In NewYork」の歌詞にこういうくだりがある。

Takes more than combat gear to make a man
Takes more than a license for a gun
Confront your enemies, avoid them when you can
A gentleman will walk but never run

戦う武器を揃えても一人前にはなれない
銃のライセンスを持ってたって同じ
敵と正面から向かいあうんだよ 無用な争いはしない
紳士は歩いても決して走ったりしない
(ぐり訳)

理屈でいえばホントに当り前のことなんだけど、みんなそんなことすごくよくわかってるんだけど、どうして人はそんな「スカスカなモノ」ばっかし追いかけ続けるんだろうね。
なぜなんだろう。
この小説、ローレンの顧客の男性キャラがなかなか見分けつかなかったのが難といえば難でした。だって結局みんな彼女とヤリたいだけなんだもん。そこに人種とか地位とか権力とかはぜんぜんカンケーないってとこがおもしろいんだけど。
ところでこの小説は86年にシガニー・ウィーバー主演で映画化されてるけど、ストーリーは原作とは相当違うらしいです。ぐりは観たことないけど、シガニー・ウィーバーのコールガール役はちょっとなあ・・・(爆)。

実をいうとぐりにはかつてこのローレンとよく似た友人がひとりいた。きれいで教養があってお金が大好きだった彼女。もう10年以上会ってないけど、読んでてふと彼女を思いだしました。今ごろどこでどうしているだろう。元気かな。