『夫殺し』李昂著 藤井省三訳
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なんか最近人が死んだり殺されたりする映画とか本ばっかし読んでいるせいか、キモチが荒んでるよーな気がする。
いかんぞ!いかんなー。
あとアレですね、あんまし出歩いてなくて仕事場の人以外の人間と喋ってないからかも・・・。
このままこーゆー生活続けてたらまちがいなくヒッキーになりそーだ。やばし。
そんなぐりが今行きたいのは動物園。とくにアドベンチャーワールド(和歌山県白浜町)と旭山動物園(北海道旭川市)と掛川花鳥園(静岡県掛川市)。どれも遠い。
閑話休題。
コレは去年映画祭で観た『月光の下、我思う』の原作者の旧作。とゆーか出世作にもあたるのかな?台湾を代表するフェミニズム作家の有名な小説だそうだ。
時代は1940年代、舞台はうら寂れた廃港の町。幼くして父を失い、母の不貞によって孤児となった少女が嫁した屠殺業の夫は病的なサディストだった。貧困と暴力と妄信と地域コミュニティの荒廃が生む悲劇。
貧しいったって食べるものが足りないとかそういうわかりやすい貧しさではない。大体台湾は気候が温暖な南国なので、飢えるといっても日本や中国大陸でいうような飢えとは性質がやや異なる。それよりももっと恐ろしい貧しさ。精神世界の貧困。
それが具体的にどういう種類の貧困なのかはあえてここで説明しないが(つーか書きたくないんだな)、そんな貧困が人の世にとってどれだけ不幸なものか、そして人ひとりの力で変革不可能な重みをもっているかが、非常によく描かれています。
自分の頭脳でなにひとつ考えることのできないヒロイン、家庭のあたたかさとは自らつくりだすものであるということにつゆ気づかない夫、蒙昧ゆえに迷信や幽霊や神をよく知りもせずに崇め敬う地域の人々、あえて事実に向きあうことをしない閉鎖的・保守的な社会。それらが渾然一体となって放つえもいわれぬ悪臭とべっとりと湿った空気が文面から漂い、まとわりついてくるような不快きわまりないリアリティ。それなのにどこか残酷なお伽話のようでもある。
この小説は海外でも高く評価されたそーですが、なるほどそれはとてもわかる気がする。
巻末に著者のインタビューと台湾の歴史・近代文学史に関する解説が載っていて、これはなかなかわかりやすかったです。実はこの訳者氏の他の著書はどーも感心せんかったりもしたんですが、こういうさくっとあっさりした解説は悪くないかも。
中国ではなぜか伝統的に「妻の犯罪の裏には必ず姦夫がいるもの」と信じられていて、事実この小説の元ネタである事件─家庭内暴力に耐えかねた妻が夫を殺害─は大変珍しいとされて世間に驚かれたそうだが、ぐり自身はそのことよりも、母の不貞を目撃した幼いヒロインが性的快楽を感じない女性に成長するという因縁というかトラウマについて、もうちょっとつっこんで描いてほしかった気がしました。明らかにそこ物足りんっす。
そこ絶対関係あるはずなんだけど、作中でも解説でもぜんぜんノータッチなのが不可解なり。
なんとなく「不感症のヒロイン≠健全に性に敏感な女=淫婦=悪→ヒロインだけ被害者」みたいな偏見にもみえるんですけど・・・この主人公すごいヒッキーっぽいし・・・・(爆)。←すいません冗談です
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なんか最近人が死んだり殺されたりする映画とか本ばっかし読んでいるせいか、キモチが荒んでるよーな気がする。
いかんぞ!いかんなー。
あとアレですね、あんまし出歩いてなくて仕事場の人以外の人間と喋ってないからかも・・・。
このままこーゆー生活続けてたらまちがいなくヒッキーになりそーだ。やばし。
そんなぐりが今行きたいのは動物園。とくにアドベンチャーワールド(和歌山県白浜町)と旭山動物園(北海道旭川市)と掛川花鳥園(静岡県掛川市)。どれも遠い。
閑話休題。
コレは去年映画祭で観た『月光の下、我思う』の原作者の旧作。とゆーか出世作にもあたるのかな?台湾を代表するフェミニズム作家の有名な小説だそうだ。
時代は1940年代、舞台はうら寂れた廃港の町。幼くして父を失い、母の不貞によって孤児となった少女が嫁した屠殺業の夫は病的なサディストだった。貧困と暴力と妄信と地域コミュニティの荒廃が生む悲劇。
貧しいったって食べるものが足りないとかそういうわかりやすい貧しさではない。大体台湾は気候が温暖な南国なので、飢えるといっても日本や中国大陸でいうような飢えとは性質がやや異なる。それよりももっと恐ろしい貧しさ。精神世界の貧困。
それが具体的にどういう種類の貧困なのかはあえてここで説明しないが(つーか書きたくないんだな)、そんな貧困が人の世にとってどれだけ不幸なものか、そして人ひとりの力で変革不可能な重みをもっているかが、非常によく描かれています。
自分の頭脳でなにひとつ考えることのできないヒロイン、家庭のあたたかさとは自らつくりだすものであるということにつゆ気づかない夫、蒙昧ゆえに迷信や幽霊や神をよく知りもせずに崇め敬う地域の人々、あえて事実に向きあうことをしない閉鎖的・保守的な社会。それらが渾然一体となって放つえもいわれぬ悪臭とべっとりと湿った空気が文面から漂い、まとわりついてくるような不快きわまりないリアリティ。それなのにどこか残酷なお伽話のようでもある。
この小説は海外でも高く評価されたそーですが、なるほどそれはとてもわかる気がする。
巻末に著者のインタビューと台湾の歴史・近代文学史に関する解説が載っていて、これはなかなかわかりやすかったです。実はこの訳者氏の他の著書はどーも感心せんかったりもしたんですが、こういうさくっとあっさりした解説は悪くないかも。
中国ではなぜか伝統的に「妻の犯罪の裏には必ず姦夫がいるもの」と信じられていて、事実この小説の元ネタである事件─家庭内暴力に耐えかねた妻が夫を殺害─は大変珍しいとされて世間に驚かれたそうだが、ぐり自身はそのことよりも、母の不貞を目撃した幼いヒロインが性的快楽を感じない女性に成長するという因縁というかトラウマについて、もうちょっとつっこんで描いてほしかった気がしました。明らかにそこ物足りんっす。
そこ絶対関係あるはずなんだけど、作中でも解説でもぜんぜんノータッチなのが不可解なり。
なんとなく「不感症のヒロイン≠健全に性に敏感な女=淫婦=悪→ヒロインだけ被害者」みたいな偏見にもみえるんですけど・・・この主人公すごいヒッキーっぽいし・・・・(爆)。←すいません冗談です