落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

わが父・溥傑

2006年02月11日 | TV
「わが父・溥傑 ラストエンペラーの弟・波乱の生涯」

満州国皇帝溥儀の弟・溥傑と日本華族・嵯峨浩の間に生まれた嫮生さんが、中国で父の足跡を辿る旅のドキュメンタリー。
浩さんの自伝は映画化されたりドラマ化されたりしているが、実はぐりはどれも見たことがないし、本も読んでいない。この機会に読もうと思う。
満州で生まれた嫮生さんは終戦後幼くして父と生き別れ、国共内戦に巻きこまれて戦地を彷徨いながら九死に一生を得て日本に帰ってきた。シベリアに抑留され中国の戦犯収容所に入っていた父とは長い間別れて暮したが、結果的には生きて再会することができた。
きれいな日本語で丁寧に淡々と語る嫮生さんの口調と、真摯で率直な言葉で綴られた父・溥傑氏の手紙や自伝からは、人はひとりで生きているのではない、まして生きていくにはそれぞれが互いに向きあい、相手を思いやることがいちばん大切であるというごく当り前のことが、実感としてせつせつと伝わってくる。
溥傑氏一家の日中友好への願いは深く清々しくまっすぐで、それだけに今現在の日中関係のあまりの愚かしさが虚しく思える。外交とはいったい何のためにおこなわれるものなのか。互いの権利主張を押し通したところで何が解決する訳ではない。まず向きあって相手のいうことをちゃんと聞くことからしか何も始まりはしない。
嫮生さんは今の日中関係をどう思っているだろう。それが聞いてみたい気がしました。

浩さんが中国で亡くなったとき、遺体に取りすがって「浩さん、浩さん」と泣く父の姿を見て嫮生さんは「たいへんな苦労はしたけど、夫にこれほど愛し抜かれた母は女性として幸せな一生だったんではないか」と思ったそうだ。
溥傑氏と浩さんは政略結婚ではあったけど、心の底から信頼し尊敬しあった愛情深い夫婦だった。生まれ育った国も環境も全然違っていたけど、ふたりにはそんなことは関係なかった。
人間には本来そうした壁を乗り越える能力はあるのだ。今の日本人と中国人は、そのことを忘れているのではないだろうか。互いの壁取り払い、溝をうめる努力を惜しまないこと。簡単なことではないかもしれないけど、今の日本と中国にもっとも必要なことは、それなんではないだろうか。

泣き虫バス

2006年02月11日 | movie
『忘れえぬ想い』
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挙式直前に亡くなった婚約者(古天楽ルイス・クー)の子ども(原島大地)をひきとり、彼のバスに乗って運転手の仕事をひきつごうとするヒロイン(張柏芝)。若く経験もなく失敗やトラブル続きの彼女を見兼ねて、死んだ男の同僚(劉青雲ラウ・チンワン)があれこれと世話を焼き始める。やがて3人の間には家族愛に似た情愛が湧いてきて・・・という、香港映画のメロドラマの定番もの。
突然恋人を失ったショックで泣くこともできず、彼と準備した新居で彼の子どもと暮らし彼の車に乗ることで遠ざかっていく死者の記憶をつなぎとめようと必死に突っ張るヒロインのキャラクターは、ガリガリにやせこけたセシリアにそらおそろしいほどハマっている。もうまったく演技には見えない。ただ健気というのではなく、他にどうすればよいのかわからず、死と孤独という現実に向きあうこともできないという追いつめられた精神状態が、とてもストレートに伝わってくる。
劉青雲は不器用だが包容力のあるお人好し、とゆーこの人のタイプキャストですね。コレは。

なんというか、このふたりはある意味では香港人のトラディショナルな理想の女性像/男性像のよーな気もしました。意地っ張りで気が強いけど情に篤い女、女子どもにはどこまでも優しい男。香港映画にはしょっちゅう出てくるタイプですね。
子役はムチャクチャかわいいし泣けるけど、ストーリーとしてはごくごく当り前のメロドラマ。とくに新鮮さはないです。おもしろいけど、映画館で観んといかんほどご大層な作品ではない。
もうひとつこの映画のおもしろいところは、主人公たちの職業がミニバスの運転手という点。
香港の公共交通機関のなかでも独特な、タクシーとバスの間のようなもので、運転手たちの収入は給料ではなく自分で乗せた客の運賃によって支えられている。つまりそれぞれの努力と工夫次第で稼ぎが良くも悪くもなるもので、見ていてもかなりきつい仕事のようである。
そんな彼らがサバイブする香港ドライブが映画の背景になっていて、そこは結構興味深かったです。前回香港にいった時は乗らなかったけど、次回は是非チャレンジしてみたいです。


巨匠・縄師

2006年02月11日 | movie
『PROMISE 無極』
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あのねー。おもしろかったよ。意外にも。ウン。満足。
衣装とか美術セットとか、映像はとても綺麗。アクションは劉燁(リウ・イエ)がいってた通りまるで舞踊のように華やか。さすがー。
一部に「特撮がイケてない」とゆーレビューもみかけたけど、なかなか健闘してたんじゃないかな?少なくとも『LOVERS』よりは相当よく出来てたと思う。これはちょっと強引では?と思うとこもあるにはあったけど、全体としてはよく出来てたよ。
笑えるとこもいっぱいあったしね。「・・・ココは笑ってもいいのか?」と一瞬迷うよーなとこもあるけど、とりあえずかなり笑える。感動はないけどね。
前評判はあんまりよくなかったし実はちーとも期待はしてなかったんだけど、予想してたよりは全然楽しめました。少なくともナニがやりたかったのかはすごくよくわかる映画です。つまりはファンタジーとコスプレとアクションがやりたかったのよ。ね?ノリがもろアキバ系やんけ・・・。

しかしストーリーはバックリ破綻してる(爆)。人物の行動にぜーんぜん一貫性ないしー。とくに光明(真田広之)と昆侖(張東健チャン・ドンゴン)と傾城(張柏芝セシリア・チョン)の心の動きはさっぱり表現しきれてない。彼らをめぐる展開が毎度毎度、なんでそうなるっ?みたいな。いちいちイキナリ。演技がどうとかいう問題ではない。台本の完成度が低いのだ。
それに反して無歓(謝霆鋒ニコラス・ツェ)や鬼狼(劉燁)はヒジョーに単純でわかりやすい。つーかこの映画はニコラスが主役なんじゃない?もしや?無歓おもしろすぎるよ。ぐり馬鹿ウケよ。無歓サイコー。ブラボー。
アンド。公開前は劉燁が予告編に映ってなくてさみしい思いをしてた人もいたと思うんだけど、本編を観て初めて「あ、あのヒト劉燁だったんだ」とゆーシーンがありました(爆)。例の黒衣姿じゃなくて、顔が原形とどめないくらい凄まじい形相をしてるせいで気づかなかったんだよね。つーくらい、劉燁は必死!で演技してます。アクションシーンばっかしでロクに‘芝居’みれないけど(涙)。

俳優はそれぞれにすごく頑張ってるけど、正直な話、ニコラス以外は誰がやってもいっしょだったんじゃないかな?とゆー気がしました。確かにスキルやキャリアからいえばまあまあ妥当なキャスティングではあるけど、それぞれの個性はあんまり生きてなかったと思う。ドンさんファンとかあんなんで納得してんのかな?みんながめちゃくちゃ一生懸命なだけに、よけいそう感じました。
陳紅(チェン・ホン)は『北京ヴァイオリン』であやしげなネーチャン役やってた人ですね。これ観て改めて気づきました(遅っ)。しかしこの満神っちゅーキャラも意味不明ですー。神ってこーゆーもんだっけ?なんか違うんじゃ?
つかそれは他のキャラもそーだね(笑)。将軍は初対面の女にめろめろしてるだけだし、奴隷は主人のいうことはまったくきいてないし、王妃はどーみても娼婦にしかみえないし、公爵がむしろ‘女王様’だし(なんで王妃=女に執着するのかが謎)、刺客はいちいち情に流されすぎ。
そういう「まず設定ありき」なとことか、衣やら鎧やら扇やらアイテムがやけにモノをいうストーリーとか、陳凱歌(チェン・カイコー)ってばやっぱRPG好き?

それにしても陳凱歌は毎回‘男女の愛’の表現が幼稚すぎて参りますね。ラブシーンがありゃいいってもんじゃないんですよ。苦手なら苦手でいいから、もうそれに挑戦するのはヤメた方がええんとちゃいますかね。あとこのヒトってばもしや緊縛好き?いちーち縛りまくり。縛りのシーン多過ぎます。そのたんびに縛りアイテム変えたりしてるけどさ、そーゆー問題じゃなくってよ。

初日の初回にも関わらず映画館ガラッガラでビビりました。大丈夫か〜?全米公開は結局どーなるんだろー。