落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

虹色の旗の下

2006年07月09日 | movie
『男生女相』(前回上映時の關錦鵬スタンリー・クァンインタビュー
『S/N』

東京国際レズビアン&ゲイ映画祭での鑑賞。両方とも再見。
『男生女相』は關錦鵬監督が香港返還を目前にした1996年、自らのセクシュアリティをカミングアウトする形で発表したドキュメンタリー。初見はいつどういうシチュエーションだったかはすっかり忘れてしまった(爆)。
一方の『S/N』は京都出身のアーティスト集団ダムタイプが1993〜95年に世界各地で上演した『S/N』を録画したもの。ぐりは95年のスパイラルでの上演を観ている。その年の10月、中心的メンバーで『S/N』にも出演していた古橋悌二氏が35歳という若さで亡くなったので、こちらは公演の強烈さといっしょに激しい記憶になってしまった。
どちらもとてもとても好きな作品だが、その後再び見る機会がないまま10年内外の月日が経って、今になってこうして連続してみると、いわんとしているメッセージは不思議なくらい自然に重なりあっている。
思いこみかもしれない。いや、むしろ、もしかしたら、セクシュアル・マイノリティという立場の人間がアートを通じて社会に訴えたいメッセージの根幹は、実はみんな同じようなものなのかもしれない。

『男生女相』の上映前、司会者はこの作品をアジア版『セルロイド・クローゼット』だと紹介したが、おそらく關錦鵬自身にはそういった大上段に構えた意図はないのではないだろうか。ぐりのイメージだが、彼はそういったタイプの作家ではない。あくまでミニマルな感情や感覚のディテールを丁寧にひろいあつめ映像に記録することで、観客の心を無言でそっと喚びおこすような、そういうごく控えめに穏やかな表現をするタイプではないかと思う。
だからこの映画も建前上は「同性愛的観点による中国語映画史」みたいな形式にはなっているが(本来は映画100周年を記念してイギリス映画協会から依頼されて制作された)、全編を通じて監督個人のパーソナルな回想の延長としてそれぞれのエピソードやインタビューが構成されている。一般にドキュメンタリーでは作家の主観を擬似的に排除する表現が主流だが、關錦鵬はあえて冒頭に早世した父の思い出を語り、エンディングは実母の笑顔でしめくくった。そこには、主観の介在しないドキュメンタリーなんかありえないというニュートラルな姿勢と、公私ともに映画人としての人生を全うしようとする覚悟のようなものが伺える。
とはいえ語り口調はひたすら淡々としていて、張徹(チャン・チュ)、呉宇森(ジョン・ウー)、狄龍(ティ・ロン)、張國榮(レスリー・チャン)、陳凱歌(チェン・カイコー)、徐克(ツイ・ハーク)、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)、蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)、楊徳昌(エドワード・ヤン)、李安(アン・リー)など中国語映画界を代表する錚々たる人々が、自らの作品と自分自身との関わりと、そこに反映されたセクシュアルな側面について、リラックスしてそれぞれの言葉で自由に語っている。

關錦鵬は初め、例に挙げたお気に入りの映画の中から「同性愛的」であったり「同性愛的には不自然」と感じた部分をピックアップしてはインタビュイーに意図を問うわけだが、セクシュアリティによらず、それぞれの映画作家は作中の愛情表現においてそれが「同性愛的」であるかどうかはほとんど意識していない。それどころか、その「愛」がどうカテゴライズされるかなんて気にもしていない。眼中にない。それよりも、そこに「愛」そのものが感じられることだけにこだわろうとしている。そうして映像になった愛の呼び名はさまざまだ。男女の愛、同性愛、兄弟愛、姉妹愛、友愛、親子愛、師弟愛・・・呼び方は違ってもその愛は愛に違いないし、それをどう呼ぶかはどこまでも観客の勝手だ。
逆にいえば、愛情の形態─対象や表現方法、関係性─は人それぞれに各々違っているし、誰をどんな形で愛するかは当事者同士の問題であって、第三者も含めた社会がそれを美しいだの穢らわしいだの健全だの不健全だの正しいだの間違っているのどうこうと定義出来るようなものではないのだろう。言葉にしてしまえばものすごく当り前のことだけど、それを自然な感覚として実感するのは簡単なことではない。
エンディングの実母のインタビューには涙が出た。關錦鵬は父亡き後女手一つで子どもたちを育てた母への敬慕を常に忘れない人だが、その理由が非常に強く伝わってくるラストシーン。彼女の寛容さも「愛」ゆえだ。
感動しました。

『S/N』のテーマもまた「愛」。
冒頭、舞台に3人のスーツ姿の男が現れるが、3人とも「GAY」と書いた黄色いラベルを身体に貼りつけている。ひとりは聴覚障害者で、ひとりはHIV+で、ひとりはアフリカ系アメリカ人で、それも黄色いラベルにして貼ってある。つまり、彼らは同性愛者という側面では同じ「括り」に入る人間だが、当然それぞれにまったく別の人間でもある。
ここで必然的に観客の意識はHIV+の古橋氏にフォーカスするわけだが、彼らはそれにうまく乗って「愛の形」を語り始める。AIDSという病が介在することによって、セックスにはリスクが伴うようになった。成熟し自立したオトナとして、相手を守るため、自分を守るためにもセイファーセックスをしましょうと。そうすればベッドで相手に無駄な疑惑をもつこともなく、安心して快楽を追求することができますよと。
だが現実には、いろいろな理由で─ナマの方がきもちいいからとか、信頼感覚や愛情表現を損なうからとか─セイファーセックスを敬遠する価値観が一般的なままだ。あれから10年以上経った今もそうだ。

しかし、人間がそれぞれ異なった顔や声や身体つきをもっているように、愛情やセックスの形だって人それぞれ、相手と時と場合によってもっと自由に柔軟に考えられて然るべきではないのか。コンドームをつけたセックスはきもちよくないと決めつけるのはなぜなのか。HIV感染者だっていちいちこそこそ逃げたり隠れたり毎日嘆き悲しんだりなんかしているわけではない。感染経路はそれぞれに違うし当り前に恋愛だってしている。
セクシュアリティや人種や生立ちや生活背景や性別や年齢や職業によって人間を完全にアイデンティファイできないのと同じように、愛情やセックスにも正解はない。
これだってムチャクチャ当り前のことだが、なぜだか誰もそのことをちゃんと大きな声で主張したりはしない。結局、みんないっしょに同じ答えに頷いてる方が楽だからだろうか。そんなん退屈なだけだと思うんだけどなあ。

上映後のトークショーで古橋氏と直接親交のあった人たちが登壇して、思い出話も含めHIVをとりまく社会環境についてカンタンな話をしてくれたのだが、HIV感染者とその家族やパートナーを支援するNPO活動をしている生島嗣氏の回想がものすごく強烈だった。
古橋氏はかつてニューヨークのゲイシーンでは有名なドラアグ・クイーンだったそうだが、彼の周囲で仲間たちがばたばたとAIDSに斃れていくなかで、若い自分が「バトンを渡されたような気がした」と語ったという。
彼が死んだ友人たちから受取ったバトンとは何だったのか。『S/N』にもバトンを持って疾走するパフォーマンスがある。彼自身がこの世を去って11年。観客の前に投げ出されたバトンはどうなっただろう。
われわれは、そのことをちゃんと知っていて何もしていない。何も変わっていない。11年も経っているのに。
『S/N』は上演当時世界中でたくさんの観客を感動させ、熱狂させた。その感動は、熱狂は、いったいどこへ行ったのだろうか。