『暗殺 リトビネンコ事件』
2006年11月、ロンドンで元FSB(ロシア連邦保安庁)中佐アレクサンドル・リトビネンコ氏が何者かに毒物を盛られ、23日に放射性物質による中毒で亡くなった。
この映画は、リトビネンコ氏がいったい何をして国を追われ殺されなくてはならなかったのか、彼自身の行為とその背景について、国際的にひろく取材してある。ぐりのような素人にもとてもわかりやすい。
まずFSBとはいったい何か。前身はソビエト時代のKGB、つまり秘密警察である。表向きは諜報機関だが、内情はゆすりたかりに贈収賄、テロ行為に要人暗殺、用もないのに他国に侵攻して罪もない一般市民を爆撃する、なんでもありのテロ組織だ。
リトビネンコ氏はそれを国民に告発しようとした。ロシア国内でテロがあればとにかくなんでもチェチェン人のせいにするロシア政権だが、中にはFSBのヤラセもある(どのくらいの割合でヤラセなのかはわからないが、たとえばコレとかコレはヤラセだといわれている)。なんでそんなことをせにゃいかんのか?利権のためだ。すべてカネなのだ。食糧不足で餓える国民のために出された国費もトーゼンのよーに役人のフトコロへ消える。戦争があって人が死ねば動くカネも莫大にあるというわけだ。
国家の罪を、リトビネンコ氏は命をかけて告発した。ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ氏もそうした。
しかしなぜかロシア国民は無関心だ。怖いからだ。旧ソビエト時代、隣人が隣人を、級友が級友を密告して点数を稼ぐことで国民を縛りつけて来た歴史が、ロシア人の心を未だに蝕んでそのままになっている。ヘンに反応すれば自分が危ないし、反応したところで、たかがニュース1本、告発記事1本で暮らしがよくなるわけじゃない、そんな諦観がロシアの人々の目を、耳を塞いでしまっている。
広い広いロシア、チェチェン人も同胞といえど他人事なのだ。
国民の6割がテロは政府のヤラセだと気づいていて、街頭では活発にデモが行われ、プーチンなんか辞めてしまえとみんなが大声で叫んでいるのに、プーチンは再選したしテロの首謀者は政権の主要ポストを平然と占めている。選挙なんか自由主義なんかこの国ではなんの意味もない。
ロシアとの国交が第一の諸外国も、表立って非難はしない。みんな自分がかわいいのだ。
作中に登場するフランスの哲学者が「無関心は罪だ」という。
腐敗も暴力も無関心によって助長され正当化されていくからだ。
この映画のテーマはまさにそれだ。
リトビネンコ氏は正義に生きようとして死んだが、亡くなる前にロシア正教からイスラム教に改宗した。そうすることで、ロシア人として、チェチェン人を受け入れることを、彼なりに主張したかったのだろう。せめて最期にそうすることで、無関心ではない正義を証明したかったのだろう。
しかし画面にやたらめったら監督がでっぱってくるのはジャマだった。編集とか音楽とかすごくうまく使ってあって、複雑な内容のわりにわかりやすくなってはいるけど、監督の顔とか喋りがウルサくて、妙にヒロイックすぎてクサかった。
あとスグ後ろの列に座ったおっさんがすーーーんげー爆音でイビキかいてずーーーっと寝てて、これにも心底参りました。寝るなら来るなよ・・・。
とりあえず1/3くらいで挫折した『ロシアン・ダイアリー』にもっかいチャレンジせねば。
2006年11月、ロンドンで元FSB(ロシア連邦保安庁)中佐アレクサンドル・リトビネンコ氏が何者かに毒物を盛られ、23日に放射性物質による中毒で亡くなった。
この映画は、リトビネンコ氏がいったい何をして国を追われ殺されなくてはならなかったのか、彼自身の行為とその背景について、国際的にひろく取材してある。ぐりのような素人にもとてもわかりやすい。
まずFSBとはいったい何か。前身はソビエト時代のKGB、つまり秘密警察である。表向きは諜報機関だが、内情はゆすりたかりに贈収賄、テロ行為に要人暗殺、用もないのに他国に侵攻して罪もない一般市民を爆撃する、なんでもありのテロ組織だ。
リトビネンコ氏はそれを国民に告発しようとした。ロシア国内でテロがあればとにかくなんでもチェチェン人のせいにするロシア政権だが、中にはFSBのヤラセもある(どのくらいの割合でヤラセなのかはわからないが、たとえばコレとかコレはヤラセだといわれている)。なんでそんなことをせにゃいかんのか?利権のためだ。すべてカネなのだ。食糧不足で餓える国民のために出された国費もトーゼンのよーに役人のフトコロへ消える。戦争があって人が死ねば動くカネも莫大にあるというわけだ。
国家の罪を、リトビネンコ氏は命をかけて告発した。ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ氏もそうした。
しかしなぜかロシア国民は無関心だ。怖いからだ。旧ソビエト時代、隣人が隣人を、級友が級友を密告して点数を稼ぐことで国民を縛りつけて来た歴史が、ロシア人の心を未だに蝕んでそのままになっている。ヘンに反応すれば自分が危ないし、反応したところで、たかがニュース1本、告発記事1本で暮らしがよくなるわけじゃない、そんな諦観がロシアの人々の目を、耳を塞いでしまっている。
広い広いロシア、チェチェン人も同胞といえど他人事なのだ。
国民の6割がテロは政府のヤラセだと気づいていて、街頭では活発にデモが行われ、プーチンなんか辞めてしまえとみんなが大声で叫んでいるのに、プーチンは再選したしテロの首謀者は政権の主要ポストを平然と占めている。選挙なんか自由主義なんかこの国ではなんの意味もない。
ロシアとの国交が第一の諸外国も、表立って非難はしない。みんな自分がかわいいのだ。
作中に登場するフランスの哲学者が「無関心は罪だ」という。
腐敗も暴力も無関心によって助長され正当化されていくからだ。
この映画のテーマはまさにそれだ。
リトビネンコ氏は正義に生きようとして死んだが、亡くなる前にロシア正教からイスラム教に改宗した。そうすることで、ロシア人として、チェチェン人を受け入れることを、彼なりに主張したかったのだろう。せめて最期にそうすることで、無関心ではない正義を証明したかったのだろう。
しかし画面にやたらめったら監督がでっぱってくるのはジャマだった。編集とか音楽とかすごくうまく使ってあって、複雑な内容のわりにわかりやすくなってはいるけど、監督の顔とか喋りがウルサくて、妙にヒロイックすぎてクサかった。
あとスグ後ろの列に座ったおっさんがすーーーんげー爆音でイビキかいてずーーーっと寝てて、これにも心底参りました。寝るなら来るなよ・・・。
とりあえず1/3くらいで挫折した『ロシアン・ダイアリー』にもっかいチャレンジせねば。