落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

恋の幽霊

2010年04月24日 | book
『切羽へ』 井上荒野著

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九州地方の小さな島で、小学校の養護教員をしている30代のセイ。亡父はこの島で療養所を開いており、セイも島で生まれ育った。夫も島出身の画家で、3歳上の元級友である。
春、島に新しい音楽教師が赴任してくる。石和というぶっきらぼうな青年の存在を、セイは初めて会った瞬間からはっきりと性的に意識する。

自然豊かな静かな島の生活が、季節の移り変わりとともに穏やかに描かれる。全文にみちみちた官能と死の匂いも、あるいはこうした自然描写のひとつなのだろう。
セイと夫は深く愛しあい、互いを自らの一部のように許しあい、受け入れあっている。とても幸せだ。
それでもセイは石和を意識せずにはいられない。彼とどうなりたいという明確な意志があるわけではない。それなのに、身体が、心が、どうしようもなく、石和の異物感を求めてしまう。
その感覚以外に何もないのに、彼女は夫に罪悪感を感じる。甘い疼きのように。
エロティックである。ちょーーーーーーエロである。
実際に文中には性描写はない。ほとんどない。微妙に性的な描写はなくもない。でも大体ないといって差し支えない。
それなのにエロなんである。あーエロい。

しかしエロなんてものはもともと、こうしてちょっと距離をおいて、あるいは間に障害物を挟んで鑑賞するからこそ、より強く官能的に感じられるものなのかもしれない。
といってもこの小説のエロティシズムはいわゆるチラリズムというのともちょっと違う気がする。いってしまえば、ものすごく全体的に露骨でもあるからだ。露骨にエロいのに、直接的にはセックスを描かない。田舎の話だし、ヒロインは保健の先生なんとゆう、平和を絵に描いたような人妻。エロな要素といえば、不倫中の同僚と、ひわいな話が好きな近所の老婆くらいなものである。つまり設定はぜんぜんエロくない。だから、なんだかすごく新鮮なエロティシズムのような気がしてしまう。
ヒロインは激しく石和を求めながらも、同時に夫を愛し、大切にもしている。そのふたつは彼女の中で矛盾していない。そこに女の不可解な怖さも感じる。
けどさ、ちょっとくらい怖いぐらいな方がかわいいよね。女ってさ。それも女の甲斐性なんじゃないかと思う。

ものすごくおもしろくて一気読みしてしまったし、セイというヒロインは好きになれないけど、彼女の境遇は素直にすごく羨ましかった。
だっていいじゃないですかー。芸術家の夫と、海が見える丘の上の古い実家でのふたり暮らし。地元でとれる旬の食材にいろどられた日々の食卓。小学校の子どもたち。そして、ときにはぴりりと刺激的な恋の予感。
この作家も初読だけど、ちょっとファンになったかも。他のも読んでみたいなー。

NOBODY KNOWS

2010年04月24日 | book
『出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで』 鈴木大介著

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ぐりが前からひとりで主張してることですが。
国に本気で少子化をなんとかする気があるのなら、もっと真面目に「生みさえすれば誰でも自動的に育てられる社会システム」を整備するしかないと思う。
今の日本は、子どもを生み育てるにはあまりにもリスクが高過ぎる。まず出産費用が高い。今のところは無料化の方向で進んでるけど、地域によって産科医療に格差がある現状では、日本全国どこでも安心してタダで生めるという状況にはほど遠い(参考記事)。やるなら一時金ではなく、基本的な産科医療費を直接病院から国に請求する制度にするべきである。
たとえば先進国でも少子化対策に成功したフランスでは、産後は国からヘルパーが無料で派遣される。親はひとりでも安心して初めての子育て、赤ん坊の世話に馴染んでいける。フランスは家庭制度そのものを覆して、結婚してもしなくても同じ条件で子育てできるシステムをつくった。核家族化が進行し、離婚率も年々上昇し続ける日本にも同じ制度が欲しいものである。
教育制度もまた然り。給食費なんか親に請求する時点で間違ってる。食育もカリキュラムに入れてしまえば費用なんかとらなくたっていい。教材費や修学旅行や部活費だって同じである。子どもが国の財産なら、そのめんどうをみるのは国の責任だろう。親は家庭を子どもに供給し、国は金と制度を供給する。財源は親世代が働いて納めた税金なんだから、それくらいやって当然ではないのか。
親子だってべつの人間だから相性が悪いこともあるだろうし、そもそも子育てに向かない親もいるだろう。どうしたって家庭や学校に馴染めない子もいるだろう。そういう子にも、いつでも無条件で受け入れてもらえる居場所も用意するべきである。
今の日本社会は、夫婦が揃っていて頼れる実家があって定収入がある世帯以外には、到底子どもを生んで育てられる環境ではない。それだけの条件が揃っていてさえ、みんな苦労している。めちゃめちゃ苦労している。
それでいて、若年世代に向かって結婚して子どもを生みましょうなんて、ムシが良過ぎて口がかゆくなりませんかって話である。
子ども手当が聞いて呆れる。そんな端金渡しただけでいったい何が解決するというのか。ただのバラマキ政治以外の何ものでもないではないか。

アラフォーの主張はさておきまして。
シングルマザーである。シングルマザーを含めたひとり親世帯の半数が年収114万円を下回る、とゆーショーゲキの事実を以前に同じ鈴木大介氏の『家のない少女たち』のレビューにも書きましたがー。
これだけ離婚率が高まっているにも関わらず(2005年の統計では夫婦3組につき1組以上が離婚している)、ひとりで子どもを育てている世帯をケアする国の政策がまったく進んでない。
極論をいえば、国は結婚した人には絶対に子どもを生んで欲しいし、絶対に離婚して欲しくない、と国民を脅してるよーなもんなんである。
これで少子化がどーやらとかいわれてもねえええええ。まあとりあえずそんなワケでシングルマザーはキツイ。慰謝料も養育費もとれず(とれる方がラッキーである)、日中子どもを預かってくれる実家もなく(そもそも母親自身が実家を援助していたりする)、うつ病などの精神疾患を抱えて定職に就けないほど健康を害した女性に残された道はひとつしかなくなる。
売春である。

そこでアナタはちょっとまて、と思うかもしれない。
再婚は?生活保護は?母子寮とかあるでしょ?ぐりもそう思う。
確かに財源に恵まれ、匿名性の高い大都市ではそれもあるかもしれない。子持ちの女性が好きとか、子ども好きとか、そういう奇特な男性をつかまえる機会もなくはないかもしれない。だが現実には、シングルマザーと結婚できて定収入のある甲斐性持ちの男をどこででも捕まえられたら、いまどき誰も苦労なんかしてないだろう。生活保護や施設などの行政サービスも、あるいは大都市部でなら抵抗なく受けられるかもしれない。現にわざわざサービスを受けやすい地域に転居してから窓口を訪れる困窮者も増えているという。彼らは地元の窓口で行政職員に「○○に引っ越せば申請が通る」などと教えられてくるそうである。呆れてものもいえない。
だがそもそも子どもを抱えたシングルマザーはそこまで小回りはきかない。地域のつながりが深く、因襲や差別意識の根強い地方都市では、シングルマザーであるというただそれだけで多くの重荷を背負っている。そのうえで、行政の福祉に頼ることにさえ差別がある。
ぐりが、国が国民に出産と婚姻関係の維持を押しつけて脅迫している、という根拠はここにある。
ひとりで子どもを生んで育てる女性を助けるどころか差別する世の中で、誰が安心して国を信じて子を生み育てたいなどと思うものか。冗談も大概にして欲しい。

著者は、とにかくどうでも握った子どもの小さな手を離さないでほしい、と述べている。
本書に登場するシングルマザーにとって、子どもは真っ暗闇の人生を照らす唯一の明かりだという。
でも、とぐりは思う。
ぐりの知人に、母親に「あなたのために離婚しないで我慢してきた」とずっと言い聞かされて育った人がいた。彼女の母親は夫の死後まもなくその兄弟と再婚したが、この再婚相手がただただ妻と連れ子(実の姪にあたる)を虐待しまくるどうしようもない男だった。経済的自立の手段を持たなかった彼女の母親は、生活と世間体のために平和な家庭環境を犠牲にして厭わなかったのだ。
果たしてそれが知人にとって幸せな子ども時代だったとは誰にもいえないだろう。
どうしようもない夫婦ならどんどん壊せばいい。壊しても、堂々と誰憚ることなく子どもが育つ世の中がなぜつくれないのだろう。
男はなぜ若い女しか眼中になく、子連れの女を敬遠したがるのか。世の中はなぜひとりで子どもを育てている男は賛美し、女には同情したり憐れんだり蔑んだりするのだろう。
企業はなぜ子持ちの女性を採用しようとせず、国はそうした採用にもっと積極的に補助を出さないのか。

どうしてなのだろう。わからない。

関連レビュー:
『誰も知らない』

Fire of Sticks

2010年04月24日 | book
『薪の結婚』 ジョナサン・キャロル著 市田泉訳

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恋愛中の人間は誰もが妄想家だ。
大好きな人、愛する人と、こんなことがしてみたい、あんなことがしてみたい、こんな話もしたい、あんなこともしてあげたい、それこそ傍にいないときはいつでも、相手と自分との未来を思い描いて夢心地にひたるのが、恋愛のいちばん幸せな部分なんじゃないかと思う。
逆にいえば、人には妄想する力があるからこそ、恋愛というものができるのかもしれない。相手と自分を重ねあわせてその将来を妄想することが楽しめなかったら、恋に堕ちるなどという愚行はなかなかできない。
恋をしなくても人を愛することはできるだろう。でも、妄想なくして恋はないと思う。
恋と愛は違うものだからねー。

『薪の結婚』は最初から半分くらいはごくごくよく描けた、リアルにロマンチックな恋愛小説である。
ミランダは30代の稀覯本ディーラー。高校時代は学校中の憧れのまとだった同級生のジェームズと交際したが、卒業後の進路で離ればなれになり、それっきりになってしまった。同窓会でジェームズのその後を耳にして、自分がもう若くないこと、恋の儚さを実感した矢先に、別のパーティーで魅力的な既婚男性ヒューと出会う。知的でユーモアがあって遊び慣れたヒューに抗いがたく惹かれていくミランダ。ふたりが抜き差しならない関係に陥るのに時間はかからなかった。
ところがこのあたりから話は怪しくなってくる。この邦訳版は創元推理文庫から出ている。つまり、この小説はジャンルとしてはラブロマンスではなくミステリーなのだ。
というわけで、前半の甘々な空気がだんだんきなくさいニオイに変わってくる。有り体にいうとオカルトチックになってくるんである。

ぐりはべつにオカルトとかミステリーが好きなわけではないので、読んでる途中は「??なんじゃこりゃ??」と思っていたのだが、読み終わるとなんだかにんまりしてしまった。あんまり詳しくいうとネタバレになってしまうので避けますが。
こーいっちゃなんだけど、小説にでてくるほど甘くロマンチックな恋なんて、現実にはそうはないのだ。現実よりも妄想の方がずっと甘くてロマンチックなわけで、そういってしまえば、この小説の題材がものすごくリアリスティックに感じられてくる。
おもしろいよね。なるほどーって感じです。
この作家の本は初めて読みましたが、また他のも読んでみよっかな?