『恋文讃歌』 鬼塚忠著
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東京でその日暮らしをしていた隆に、鹿児島の母から祖父が危篤だとの報が届く。隆が物心ついたときには“廃人”状態で個人的な交流もなかった祖父・達夫だったが、その枕頭で祖母・テルからふたりの愛を引き裂いた戦争の悲惨さを聞かされ、衝撃を受ける。
『海峡を渡るバイオリン』の共著者・鬼塚忠が自身の体験を下敷きに描いた大河ラブロマン。
実際に著者が祖母から聞かされた話をもとにしているというので読んでみた。
実をいうと、ぐりも数年前に他界した祖母の人生を何かの形に残したいという夢がある。1910年、日韓併合の年に生まれ、生涯恋を知ることも愛を知ることもなく、ただひたすら苦労しつづけた祖母。これまでにも何度かこのブログでも触れたが、彼女は日本語が話せず、ぐりは朝鮮語を話せなかったため、生前ほとんど会話することもできず、ぐり自身の両親も戦後生まれで祖父母の朝鮮時代~渡日前後の事情は何も知らない。手がかりらしいものも今となっては何もない。でも、ぐりが知る範囲内でも人間としてこれ以下はないという辛酸をなめつくした彼女の生きた証を、いつか何かの形にしたいとは思っている。
達夫とテルは家庭教師と教え子として出会い、達夫の教師としての朝鮮・元山への赴任を機に結婚。1940年のことだった。
戦時下ではあっても大恋愛で結ばれたふたりは幸せな新婚時代を過ごしたが、1944年、戦局が厳しくなり招集を免除されていた教職の達夫も入営を命じられる。
孤独の中で隣人に助けられ、テルは長女(隆の母)を出産、そして敗戦。ソ連軍から逃れるための地獄のような引き揚げの旅が始まる。
ものすごくドラマチックな話だと思うし、鬼塚忠の他の著作と同じように、これもたぶん映像化されるんだろうなという印象はうける。すごくわかりやすいのだ。ぶっちゃけていえば子ども向け、十代の少年少女が読むにしてもちょっとと思うくらい、一面的で奥行きがない。人物造形には個性がなく、情景描写にもなんの葛藤もない。せっかくテルの視点と達夫の視点を交互に描く構成にしたにも関わらず、ストーリー展開は一本調子で、オリジナリティはどこにも見受けられない。タイトルになっている恋文のエピソードもそれほど響かない。同じような背景・設定の『朱夏』(宮尾登美子著)に比べれば小説としての完成度はどうしても見劣りがするし、シベリア抑留の経験談としても『プリンス近衞殺人事件』(V.A.アルハンゲリスキー著)とか『クラウディア 最後の手紙』(蜂谷弥三郎著)と比べると臨場感に欠ける。
ただ、30年以上間近にいながら知ろうともしなかった祖父母の若き日のドラマに接した著者の感動はとてもよく伝わってくる。
だから、戦争を体験した祖父母の話を聞いてほしいという願いだけは素直に心に響く。
『蟻の兵隊』の舞台挨拶のとき、奥村和一氏も「おじいさんおばあさんに戦争の話を聞いて下さい」と真剣に観客に語りかけていた。きっと話したいことがあるから、話すことで解放されることもあるから、聞いてあげてほしいと、彼はいっていた。そんな奥村氏も一昨年鬼籍に入られた。
けどほんとうは、私たちは私たちのためにこそ、そして未来の子どもたちのためにこそ、過去の人が体験してきた歴史を語り継がねばならないのだ。ほんとうに大切なものを決して忘れないために、ほんとうの幸せを自らこの手につかんで離さずに生きていくために。
ぐりも心から思う。戦争の頃のことを話してくれる人たちが元気なうちに、誰もが、目の前のその声に真摯に耳を傾けてほしい。本物の平和な未来は、そこからしか築けないと思うから。
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『海峡を渡るバイオリン』の共著者・鬼塚忠が自身の体験を下敷きに描いた大河ラブロマン。
実際に著者が祖母から聞かされた話をもとにしているというので読んでみた。
実をいうと、ぐりも数年前に他界した祖母の人生を何かの形に残したいという夢がある。1910年、日韓併合の年に生まれ、生涯恋を知ることも愛を知ることもなく、ただひたすら苦労しつづけた祖母。これまでにも何度かこのブログでも触れたが、彼女は日本語が話せず、ぐりは朝鮮語を話せなかったため、生前ほとんど会話することもできず、ぐり自身の両親も戦後生まれで祖父母の朝鮮時代~渡日前後の事情は何も知らない。手がかりらしいものも今となっては何もない。でも、ぐりが知る範囲内でも人間としてこれ以下はないという辛酸をなめつくした彼女の生きた証を、いつか何かの形にしたいとは思っている。
達夫とテルは家庭教師と教え子として出会い、達夫の教師としての朝鮮・元山への赴任を機に結婚。1940年のことだった。
戦時下ではあっても大恋愛で結ばれたふたりは幸せな新婚時代を過ごしたが、1944年、戦局が厳しくなり招集を免除されていた教職の達夫も入営を命じられる。
孤独の中で隣人に助けられ、テルは長女(隆の母)を出産、そして敗戦。ソ連軍から逃れるための地獄のような引き揚げの旅が始まる。
ものすごくドラマチックな話だと思うし、鬼塚忠の他の著作と同じように、これもたぶん映像化されるんだろうなという印象はうける。すごくわかりやすいのだ。ぶっちゃけていえば子ども向け、十代の少年少女が読むにしてもちょっとと思うくらい、一面的で奥行きがない。人物造形には個性がなく、情景描写にもなんの葛藤もない。せっかくテルの視点と達夫の視点を交互に描く構成にしたにも関わらず、ストーリー展開は一本調子で、オリジナリティはどこにも見受けられない。タイトルになっている恋文のエピソードもそれほど響かない。同じような背景・設定の『朱夏』(宮尾登美子著)に比べれば小説としての完成度はどうしても見劣りがするし、シベリア抑留の経験談としても『プリンス近衞殺人事件』(V.A.アルハンゲリスキー著)とか『クラウディア 最後の手紙』(蜂谷弥三郎著)と比べると臨場感に欠ける。
ただ、30年以上間近にいながら知ろうともしなかった祖父母の若き日のドラマに接した著者の感動はとてもよく伝わってくる。
だから、戦争を体験した祖父母の話を聞いてほしいという願いだけは素直に心に響く。
『蟻の兵隊』の舞台挨拶のとき、奥村和一氏も「おじいさんおばあさんに戦争の話を聞いて下さい」と真剣に観客に語りかけていた。きっと話したいことがあるから、話すことで解放されることもあるから、聞いてあげてほしいと、彼はいっていた。そんな奥村氏も一昨年鬼籍に入られた。
けどほんとうは、私たちは私たちのためにこそ、そして未来の子どもたちのためにこそ、過去の人が体験してきた歴史を語り継がねばならないのだ。ほんとうに大切なものを決して忘れないために、ほんとうの幸せを自らこの手につかんで離さずに生きていくために。
ぐりも心から思う。戦争の頃のことを話してくれる人たちが元気なうちに、誰もが、目の前のその声に真摯に耳を傾けてほしい。本物の平和な未来は、そこからしか築けないと思うから。
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