『マディソン郡の橋』
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アイオワ州の片田舎に住むフランチェスカ(メリル・ストリープ)は、近所の屋根のある橋を撮りに来たフォトグラファー・ロバート(クリント・イーストウッド)と激しい恋に堕ちる。
離婚歴があり孤独を恐れないロバートの熱い求愛に陶酔するが、彼女には夫と築いてきた家庭と子どもたちへの親として責任があった。
ロバート・ジェームズ・ウォラーのベストセラーを原作に、1995年に世界中で大ヒットしたイーストウッド主演・監督作品。
超今さらですがTVでやってたのを録画。おもしろかったです。
1995年といえばぐりは社会人になったばっかりのころですね。大ヒット映画とかベストセラーとか、そういうのに素直にとびつけなかったころです。
実際観てみたら意外に感動できたけど、たぶん、あのころ観ても何が良いのかぜんぜんわかんなかったと思う。40過ぎて、ヒロインとだいたい似たような年齢になって来たから、うまく共感できたんだと思う。
まあぐりは主婦じゃないし、家庭もないし、子どももいないけど、それでも。
イタリアで米軍兵士だったリチャード(ジム・ヘイニー)と出会い、結婚してアメリカにやってきたフランチェスカ。
当時も今もずいぶん勇気のいる選択だったはずだと思う。当初はなんでも初体験だったろうし、子どもが小さいうちは自分の選択の是非について考える余裕もなかったのに、中西部の農村の生活に慣れ、子どもたちが成長して思春期を迎え自立し始めたとき、急にひとりぼっちになってしまったような孤独に襲われる。
ほんとうに自分の人生はこれでよかったんだろうか。ほかに正解があったんじゃないだろうか。
人生の残り時間を意識する年齢になれば誰もが一度は抱く疑問だ。
ひっそりとあたためてきた幸せ、ひとつずつ積み重ねてきた日々の平和、自分がしてきたことに自信が持てなくなる。何かが間違っていたような気がしてしょうがない。
フランチェスカはロバートに出会うことで、自分が手にしているものの価値を、自らの存在意義を改めて評価し直すことになる。
ロバートのストレートな愛情表現には飾りがなく、誰もが一度はこんな風に求愛されたいと思うほど誠実だけど、互いの思いを大事にしたいからと別れを選ぶふたりの恋を、ぐりはメロドラマだとは思わない。
この映画がつくられた90年代、アメリカ映画は今よりももっと自由で寛容で豊かだった。何も古き良き時代だったなどと懐かしむつもりはない。でも、ごく少人数の登場人物たちの、家庭内のごくささやかな、日常的なシンプルな言葉のやり取りだけで、誰もが共感できる愛情の奥深さと味わいを表現できたというだけで、これが世界的大ヒットになり不朽の名作となっただけの理由になる。
この映画には暴力もなければ露骨な性表現もない。メリル・ストリープとクリント・イーストウッドは確かに大物だけど、いわゆるセクシー女優もイケメンもでてこない。CGもなければアクションもないし、ゴージャスなセットも衣裳もない。それでもこれだけのことがちゃんといえる。いま、アメリカ映画にこういう映画をつくってヒットさせることはできるのだろうか。最近あんまり観てないからよくわかんないけど。
この映画に引用されるイェーツの詩だけど、確か『ミリオンダラー・ベイビー』にも『イニスフリー』が出てきたよね。原作にも出てくるのかな?イーストウッドが好きなだけ?
ぐりも好きだけど。
THE SONG OF WANDERING AENGUS
by: W.B. Yeats
I went out to the hazel wood,
Because a fire was in my head,
And cut and peeled a hazel wand,
And hooked a berry to a thread;
And when white moths were on the wing,
And moth-like stars were flickering out,
I dropped the berry in a stream
And caught a little silver trout.
When I had laid it on the floor
I went to blow the fire a-flame,
But something rustled on the floor,
And some one called me by my name:
It had become a glimmering girl
With apple blossom in her hair
Who called me by my name and ran
And faded through the brightening air.
Though I am old with wandering
Through hollow lands and hilly lands,
I will find out where she has gone,
And kiss her lips and take her hands;
And walk among long dappled grass,
And pluck till time and times are done
The silver apples of the moon,
The golden apples of the sun.
さまよえるアンガスの歌
頭がほてっていたので
ハシバミの林に出かけた。
そしてハシバミを切り剥いで棒をつくり
イチゴの実を糸につけ
白い蛾が羽ばたき
星が蛾のようにまたたくころ
イチゴの実を流れにおとして
小さな銀色の鱒をつりあげた。
それを床に置くと
火をおこしにかかった。
そこで床にさらさらと音がして
誰かが私の名前を呼ぶのだ。
それは林檎の花を髪に差した
輝く少女になり
私の名前を呼んで駆け出し
暁の光に消えていった。
私は窪地や丘を
さまよい歩いて年老いてしまったが
彼女の行方をみつけ
その唇にくちづけし、その手をとりたい。
丈高いまだらな草地をめぐり
時がついに果てるまで
月の銀の林檎
太陽の金の林檎。
(ぐり訳)
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アイオワ州の片田舎に住むフランチェスカ(メリル・ストリープ)は、近所の屋根のある橋を撮りに来たフォトグラファー・ロバート(クリント・イーストウッド)と激しい恋に堕ちる。
離婚歴があり孤独を恐れないロバートの熱い求愛に陶酔するが、彼女には夫と築いてきた家庭と子どもたちへの親として責任があった。
ロバート・ジェームズ・ウォラーのベストセラーを原作に、1995年に世界中で大ヒットしたイーストウッド主演・監督作品。
超今さらですがTVでやってたのを録画。おもしろかったです。
1995年といえばぐりは社会人になったばっかりのころですね。大ヒット映画とかベストセラーとか、そういうのに素直にとびつけなかったころです。
実際観てみたら意外に感動できたけど、たぶん、あのころ観ても何が良いのかぜんぜんわかんなかったと思う。40過ぎて、ヒロインとだいたい似たような年齢になって来たから、うまく共感できたんだと思う。
まあぐりは主婦じゃないし、家庭もないし、子どももいないけど、それでも。
イタリアで米軍兵士だったリチャード(ジム・ヘイニー)と出会い、結婚してアメリカにやってきたフランチェスカ。
当時も今もずいぶん勇気のいる選択だったはずだと思う。当初はなんでも初体験だったろうし、子どもが小さいうちは自分の選択の是非について考える余裕もなかったのに、中西部の農村の生活に慣れ、子どもたちが成長して思春期を迎え自立し始めたとき、急にひとりぼっちになってしまったような孤独に襲われる。
ほんとうに自分の人生はこれでよかったんだろうか。ほかに正解があったんじゃないだろうか。
人生の残り時間を意識する年齢になれば誰もが一度は抱く疑問だ。
ひっそりとあたためてきた幸せ、ひとつずつ積み重ねてきた日々の平和、自分がしてきたことに自信が持てなくなる。何かが間違っていたような気がしてしょうがない。
フランチェスカはロバートに出会うことで、自分が手にしているものの価値を、自らの存在意義を改めて評価し直すことになる。
ロバートのストレートな愛情表現には飾りがなく、誰もが一度はこんな風に求愛されたいと思うほど誠実だけど、互いの思いを大事にしたいからと別れを選ぶふたりの恋を、ぐりはメロドラマだとは思わない。
この映画がつくられた90年代、アメリカ映画は今よりももっと自由で寛容で豊かだった。何も古き良き時代だったなどと懐かしむつもりはない。でも、ごく少人数の登場人物たちの、家庭内のごくささやかな、日常的なシンプルな言葉のやり取りだけで、誰もが共感できる愛情の奥深さと味わいを表現できたというだけで、これが世界的大ヒットになり不朽の名作となっただけの理由になる。
この映画には暴力もなければ露骨な性表現もない。メリル・ストリープとクリント・イーストウッドは確かに大物だけど、いわゆるセクシー女優もイケメンもでてこない。CGもなければアクションもないし、ゴージャスなセットも衣裳もない。それでもこれだけのことがちゃんといえる。いま、アメリカ映画にこういう映画をつくってヒットさせることはできるのだろうか。最近あんまり観てないからよくわかんないけど。
この映画に引用されるイェーツの詩だけど、確か『ミリオンダラー・ベイビー』にも『イニスフリー』が出てきたよね。原作にも出てくるのかな?イーストウッドが好きなだけ?
ぐりも好きだけど。
THE SONG OF WANDERING AENGUS
by: W.B. Yeats
I went out to the hazel wood,
Because a fire was in my head,
And cut and peeled a hazel wand,
And hooked a berry to a thread;
And when white moths were on the wing,
And moth-like stars were flickering out,
I dropped the berry in a stream
And caught a little silver trout.
When I had laid it on the floor
I went to blow the fire a-flame,
But something rustled on the floor,
And some one called me by my name:
It had become a glimmering girl
With apple blossom in her hair
Who called me by my name and ran
And faded through the brightening air.
Though I am old with wandering
Through hollow lands and hilly lands,
I will find out where she has gone,
And kiss her lips and take her hands;
And walk among long dappled grass,
And pluck till time and times are done
The silver apples of the moon,
The golden apples of the sun.
さまよえるアンガスの歌
頭がほてっていたので
ハシバミの林に出かけた。
そしてハシバミを切り剥いで棒をつくり
イチゴの実を糸につけ
白い蛾が羽ばたき
星が蛾のようにまたたくころ
イチゴの実を流れにおとして
小さな銀色の鱒をつりあげた。
それを床に置くと
火をおこしにかかった。
そこで床にさらさらと音がして
誰かが私の名前を呼ぶのだ。
それは林檎の花を髪に差した
輝く少女になり
私の名前を呼んで駆け出し
暁の光に消えていった。
私は窪地や丘を
さまよい歩いて年老いてしまったが
彼女の行方をみつけ
その唇にくちづけし、その手をとりたい。
丈高いまだらな草地をめぐり
時がついに果てるまで
月の銀の林檎
太陽の金の林檎。
(ぐり訳)