連休を利用して、10月6日(木)~10日(日)の日程でまたしても震災ボランティアに参加して参りましたが。
今回は移動2日+実働2日と日数も短かったし、前回滞在したのと同じ拠点での活動でもあり、たまたま担当したタスクも被災地のお祭りのお手伝いとゆー、比較的のどかなものだったので、わりとまったりなボランティアでした。
お祭りそのものは1日だけだったんだけど、前日は準備をしてたんだよね。会場の小学校で他の参加団体や地元の人といっしょにテントたてたり、看板つくったり、出し物のバルーンアートを練習したり。
当日は他の出店なんか覗くどころか、トイレも食事もせずに、ひったすらバルーンひねりまくっては地元の子どもたちに配ったり教えたりしてました。
いやーバルーンアートってむつかしいね~。とくにぐりは握力が弱いので、バルーンに空気を入れて口を結ぶだけでも四苦八苦でございます。そして手の脂がめっちゃもってかれるので指先ガッサガサになります。未だに10本全部の指がサカムケ(関東では“ササクレ”とゆーのか?)になってます。痛い。
夜は漁師さんたちとバーベキューをする予定だったんだけど、お祭りの片付けをしてから行ってみたらもう終わっちゃってたり。なんかぐだぐだ。
ぐりが夏以降ボランティアに行っている三陸地方の拠点付近では、一部地域で少しずつ瓦礫撤去が進み、支援のニーズは緊急支援から生活支援や心のケアなどに移りつつある。
生活支援は避難所での集団支援から、仮設住宅や自宅避難者への個別支援に代わり、カフェやイベントで交流の場を設けたり、訪問健康相談や手仕事の指導をしたり漁業のお手伝いをしたり、緊急支援のようにはっきりとしたゴールがわかる活動ではなくなってきている。一見のどかでまったりした支援活動のように見えて、息の長い根気が要求される。
阪神淡路大震災の復興と今回の東日本大震災の復興の違いは、今回の被災地の大半の地域が震災前からもともと過疎と高齢化という問題を抱えていたという点にある。自立して復興したくても圧倒的にメンバー不足なのだ。
ほんとうなら災害支援なんてさっさと終わって、よそ者のボランティア団体がいなくなることこそがほんとうは望ましい「復興」の姿だ。しかし現実にはそれは難しい。
だから、地域の活性化まで支援しなければ、復興への足がかりすらつかめない。気が遠くなるような話である。
陸前高田市にて。
震災当時屋上に避難した100名の被災者が取り残され、2日間を過ごした市庁舎。
献花台が設置された正面玄関には4月27日の日付の入った「捜査終了」の紙が貼られている。
陸前高田の瓦礫撤去は隣の気仙沼市に比較するとだいぶ遅れていて、一見してまだまだな印象がある。
瓦礫と泥から舞う土ぼこりがひどく、空気は白く煙って風景がぼやけて見える。
画像の市役所付近は市の中心部にあたるが、海岸沿いから気仙川上流5km地点付近まで、見渡す限り街のすべてがきれいさっぱりと失われている。
ここでも地盤沈下は激しく、海岸線が微妙に内陸に食い込んで来ている。
8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.1)
今回は移動2日+実働2日と日数も短かったし、前回滞在したのと同じ拠点での活動でもあり、たまたま担当したタスクも被災地のお祭りのお手伝いとゆー、比較的のどかなものだったので、わりとまったりなボランティアでした。
お祭りそのものは1日だけだったんだけど、前日は準備をしてたんだよね。会場の小学校で他の参加団体や地元の人といっしょにテントたてたり、看板つくったり、出し物のバルーンアートを練習したり。
当日は他の出店なんか覗くどころか、トイレも食事もせずに、ひったすらバルーンひねりまくっては地元の子どもたちに配ったり教えたりしてました。
いやーバルーンアートってむつかしいね~。とくにぐりは握力が弱いので、バルーンに空気を入れて口を結ぶだけでも四苦八苦でございます。そして手の脂がめっちゃもってかれるので指先ガッサガサになります。未だに10本全部の指がサカムケ(関東では“ササクレ”とゆーのか?)になってます。痛い。
夜は漁師さんたちとバーベキューをする予定だったんだけど、お祭りの片付けをしてから行ってみたらもう終わっちゃってたり。なんかぐだぐだ。
ぐりが夏以降ボランティアに行っている三陸地方の拠点付近では、一部地域で少しずつ瓦礫撤去が進み、支援のニーズは緊急支援から生活支援や心のケアなどに移りつつある。
生活支援は避難所での集団支援から、仮設住宅や自宅避難者への個別支援に代わり、カフェやイベントで交流の場を設けたり、訪問健康相談や手仕事の指導をしたり漁業のお手伝いをしたり、緊急支援のようにはっきりとしたゴールがわかる活動ではなくなってきている。一見のどかでまったりした支援活動のように見えて、息の長い根気が要求される。
阪神淡路大震災の復興と今回の東日本大震災の復興の違いは、今回の被災地の大半の地域が震災前からもともと過疎と高齢化という問題を抱えていたという点にある。自立して復興したくても圧倒的にメンバー不足なのだ。
ほんとうなら災害支援なんてさっさと終わって、よそ者のボランティア団体がいなくなることこそがほんとうは望ましい「復興」の姿だ。しかし現実にはそれは難しい。
だから、地域の活性化まで支援しなければ、復興への足がかりすらつかめない。気が遠くなるような話である。
陸前高田市にて。
震災当時屋上に避難した100名の被災者が取り残され、2日間を過ごした市庁舎。
献花台が設置された正面玄関には4月27日の日付の入った「捜査終了」の紙が貼られている。
陸前高田の瓦礫撤去は隣の気仙沼市に比較するとだいぶ遅れていて、一見してまだまだな印象がある。
瓦礫と泥から舞う土ぼこりがひどく、空気は白く煙って風景がぼやけて見える。
画像の市役所付近は市の中心部にあたるが、海岸沿いから気仙川上流5km地点付近まで、見渡す限り街のすべてがきれいさっぱりと失われている。
ここでも地盤沈下は激しく、海岸線が微妙に内陸に食い込んで来ている。
8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.1)
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